NHKアナウンス室

アナウンサー仕事の流儀

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インタビュー 守本奈実

視聴者と一体感を味わいたい。
12/03
子どものころからアナウンサーに憧れていた。
  • 小さいころはどんな子どもでしたか?

    末っ子だったので基本的には甘えん坊だったと思うんですが、生意気にも早く独り立ちしたいという気持ちが強かったような気がします。3歳、4歳のころ、1人で買い物に行くのが好きで、近くの商店街に牛乳を買いに行っていたことを覚えています(笑)。
    小学生のころは本と紙芝居が好きで、仲の良い友だちと図書館に行って紙芝居を借りて、お互いに読み聞かせをしていました。そして、そうするうちに、誰かが作った紙芝居では満足できなくなって、自分たちでオリジナルの紙芝居を作って遊ぶようになりました。

  • スポーツには興味がなかったのですか?

    中学校の3年間はバレーボールをみっちりやりました。でも、アルバイトができる高校生になると部活よりもアルバイトに精を出すようになりました(笑)。何か買いたいものがあったわけではなく、働いてお金を稼ぐということに憧れがあったんです。一番長くやっていたのが友人のお父さんが経営していたコンビニで、そのほかにもお寿司屋さん、ファストフード店などいろいろなアルバイトを経験しました。

  • では、大学生のころはどのように過ごしていましたか?

    英語の教師になるために英文科で勉強をしていました。ただ、アルバイトも続けていて、特撮ヒーローショーのMCをはじめました。子どもたちを前に私がしゃべっているところに怪獣が出てきて、私が「きゃー、助けて!」と叫ぶとヒーローが登場するというショーです。どのシーンでどんなコメントをするのかは、自分で考えることになっていたので、とても難しかったです。週に1回、アクションをするチームと練習していたのですが、それだけでは足りなくて、先輩がやっているショーを自腹で見に行って勉強していました。

  • アナウンサーになりたいと思ったきっかけは?

    実は、アナウンサーには小学生のころから憧れていました。私は『米米クラブ』が大好きで、彼らが出演するTV番組を見ながら、「そうか、アナウンサーになれば、大好きなミュージシャンにも会えるんだ!」と思ったんです。さらに、中学・高校のころは、毎日、深夜ラジオを聴いていたので、ラジオでしゃべるアナウンサーになりたいと、次第に、私にとって大きな夢を抱くようになりました。そして、就職活動で、夢を夢だけで終わらせないために、思いきってアナウンサー試験にチャレンジしたんです。

    大きな夢が、見事かなったわけですね。

    私には優秀な同期がたくさんいるので、「守本にはちょっと抜けたところがあるけど、おもしろそうだから採用してみるか」と思ってもらえたのではないでしょうか。きっと、採用する側も冒険だった思いますよ(笑)。

12/10
番組が成長させてくれた。
  • 新人のころ、特に印象に残っているのはどんな仕事ですか?

    大分放送局にいた1年目の冬、大分在住の中学3年生の女の子が競技かるたのクイーン戦で最年少優勝しました。そのニュースを知って、彼女をインタビューしたいと先輩に相談したのがきっかけで、番組を作ることになりました。翌年の防衛戦まで密着したドキュメンタリー番組です。
    彼女は「畳上の格闘技」と言われる競技かるたで女性部門の全国トップの立場にいましたが、ふだんはごく普通の中学生(取材期間中に高校に進学)でした。とはいえ、防衛しなければならないという重圧は相当なもので、15歳でそのプレッシャーに立ち向かわなければなりませんでした。
    私は、彼女とそのご家族に、およそ1年間、まさに密着させていただきました。カメラが回っていないところでも、たくさんの話をしてもらったし、私自身のこともたくさん聞いてもらいました。彼女のことを知りたい一心で、頻繁に会いに行ったり、電話で話したり・・・あるときは取材者として、あるときは年上の友人として。

  • 取材ではどんな苦労がありましたか?

    取材者として中立な立場と、友人として彼女の防衛を応援する立場。私はその2つの立場を行ったり来たりしていました。防衛戦が迫って来ると、彼女もご家族も緊張感が増してきます。友人としてはそっとしておいてあげたい。でも取材者としては防衛戦を目の前にした彼女の心境を聞きたい。そんな葛藤の中、おそるおそる彼女に話を聞きに行くと、彼女は「守本さん、待ってたよ!」と明るく笑顔で迎えてくれるんです。きっと取材を受けるような心境ではなかったと思いましますが、私の立場に気をつかってくれていたのでしょうね。
    彼女は、見事、防衛を果たし、その様子を番組にすることができました。
    私は彼女に何度も励まされ、救われながら、人と向き合うことの大切さなど、多くのことを学ばせてもらいました。そして、その番組は間違いなく自分を変えてくれたと思います。

  • 2局目の福岡放送局では、どんな番組を担当しましたか?

    大好きな音楽に関われる番組を担当させていただきました。九州と沖縄のミュージシャンの卵を応援する公開収録番組の司会です。ところが、進行が台本通りにいかないことが多い上、私は、デビュー前のミュージシャンたちにどんな質問をすれば、言葉をうまく引き出せるのかもわからない。さらに、会場の反応を見ながら盛り上げていくことも難しく、毎回、悩んでいました。
    そんなとき、ある先輩に相談したら、「そのままでいいんだよ」というアドバイスをいただきました。
    「そのままでいい」というのは、会場の雰囲気を大切にしながら、たとえ明確な言葉が引き出せなくても、若いミュージシャンたちの演奏する前の緊張感や、歌い終えた後の安堵感みたいなものに寄り添って、その場にいればいいということ。ちゃんと出場者に寄り添っていれば、ミュージシャンたちを応援している会場のあたたかな雰囲気が、きっとテレビを見ている人にも伝わるはずだというのです。
    司会者としてその場を盛り上げることも大事ですが、まず1人の応援者としてそこにいること、出演者に寄り添うことが大事なのだということを教えていただきました。

  • 先輩アナウンサーから、ほかにはどんなことを学びましたか?

    これも福岡時代ですが、夕方のニュース番組を一緒に担当させていただいた先輩アナウンサーの仕事に対する姿勢は、とても勉強になりました。たとえば、番組の冒頭のあいさつ。数十秒の短いコメントなのですが、それが毎回とてもすてきなんです。「福岡の今日の気温は何度でしたが、北海道のどこどこでは何度でした。縦に長い日本列島ですね」とか、真夏日には「ショーウインドウのマネキンも汗をかいていました」とか、言葉の選び方が的確で、共感できるんです。冒頭のさらっとしたあいさつなのに、毎回本番前に紙に書いて何度も推敲(すいこう)されていました。
    その姿に感銘を受けたし、言葉を扱う仕事というのはこういうものなのだと教えていただきました。

12/17
自然体でカメラの前に。
12/25
仕事も、子育ても、大切な時間。
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