NHKアナウンス室

アナウンサー仕事の流儀

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インタビュー 佐藤克樹

放送は人々の心をひとつにできる。
2/04
憧れは、スポーツアナウンサー。
  • アナウンサーという仕事を意識するようになったのは、いつごろですか?

    高校3年生の冬に長野オリンピックが開催(1998年)されて、当時わたしは受験生でありながら勉強そっちのけでオリンピックを見ていました。特に夢中になって観戦していたのは原田雅彦選手のスキージャンプです。金メダルを獲得した団体戦ももちろん応援していましたが、その前に行われ、原田選手が銅メダルに輝いた個人ラージヒルはとても感動的でした。
    前大会のリレハンメルで原田選手はジャンプを失敗してとても悔しい思いをしていたので、この長野大会ではそのリベンジがかかっていました。そして、原田選手、2本目のジャンプ。飛距離は十分、あとは着地だけというときにNHKのアナウンサーが「立て、立て、立て、立ってくれ!」と実況しました。その言葉は、原田選手を応援しているすべての人の思いを代弁していたし、多くの人たちの気持ちをひとつにしました。そのとき、声だけでみんなの気持ちをひとつにするアナウンサーってすごいなと思ったのです。
    それがきっかけでアナウンサーという職業に憧れるようになり、大学では『アナウンス研究会』に入りました。

  • 『アナウンス研究会』では、どのような活動をしていましたか?

    ニュース原稿を読む練習や、フリートークをしてその合間に曲をかけるラジオのディスクジョッキーのようなこと、あとは小説などを朗読する練習もしました。
    いろいろな活動がありましたが、その中でもわたしが好きだったのは野球の実況です。大学野球が行われている球場のバックネット裏で、テープレコーダーを片手に実況をする。そしてその録音を聞いて先輩からアドバイスをもらっていました。

  • そうして、アナウンサーを志望するようになったわけですね。

    神宮球場などで実況の練習をしているうちに、これを仕事にしたいと強く思うようになりました。狭き門であるのは重々承知していましたが、どうしてもチャレンジしてみたくてアナウンサー試験を受けました。

  • 実際にアナウンサーになって、
    はじめて野球を実況したときのことは覚えていますか?

    もちろん覚えています!初任地が熊本で、そこではニュース原稿を読むなど、いろいろなことをやらせてもらいましたが、熊本の藤崎台球場で高校野球の地方大会の実況をしたときは本当にうれしかったです。
    うまくできなくて、先輩や上司からたくさん指摘を受け自分の未熟さを実感しましたが、それでも楽しかったですね。

2/12
言葉に愛があるか?
  • 初任地の熊本放送局で特に印象に残っている仕事は何ですか?

    水俣病の取材です。水俣病は、学校の教科書にも出てくるので知っていましたが、いまだに、健康被害で苦しんでいる方がいて、患者としての認定や補償をめぐる問題が続いていることは、熊本に赴任するまで知りませんでした。それで、赴任から4年目の2006年、水俣病の公式確認から50年という節目の年、わたしは、インタビューとナレーションで構成したラジオのドキュメンタリー番組を作ることにしたんです。
    日本の高度成長期の陰で苦しんだ人たちがいて、その苦悩は50年経ってもまだ終わっていない。それを地元の放送局としてしっかり伝えるべきだと思ったからです。
    取材では数多くのインタビューをさせていただきました。その中で被害者の方々は「過去に戻ってやり直すことはできないけど、自分たちと同じような被害は二度と繰り返してはいけない。」と話していました。「それを伝えてほしいから、インタビューも受けるのだ。」と。
    わたしも、「このことは決して風化させてはいけない、現状をしっかり伝えなくてはいけない」という使命感をもって番組を制作しました。そういう意味でも、特別な思い出となっています。

  • それから、当時、水俣で食べた海の幸がおいしかったこともよい思い出です。特にしらす(カタクチイワシの稚魚)は絶品でした。水俣の海は美しく、ダイビングも楽しめます。温泉もありますし、ぜひ多くの方に訪れてほしいですね。

  • 次に赴任した前橋放送局にはどんな思い出がありますか?

    甲子園(全国高等学校野球選手権大会)でラジオ実況を担当しました。高校球児が甲子園を目指すように、アナウンサーが甲子園で全国放送の実況をすることは大きな目標なんです。放送席に座ったときには、大学生のころ神宮球場のバックネット裏で実況の練習をしていたときの光景が脳裏をよぎり、感慨深かったですね。
    また、甲子園の開会式でリポートしたことも記憶に残っています。前日にリハーサルがあるのですが、そのときの選手たちの笑顔が本当にまぶしくて・・・地方大会の激闘を勝ち抜いて甲子園出場を果たしたという誇りと喜びにあふれた表情は、とても感動的でした。
    そして、放送では、わたしは外野スタンドのバックスクリーンの横の高いところから、選手たちの入場を描写しました。外野の緑の芝生の上を、色とりどりのユニフォームを着た選手たちが2列になって入場してきます。選手たちが整列すると、緑のじゅうたんの上に、きれいな帯がいくつも並んでいるようでとても美しかったことを覚えています。

  • 先輩の言葉で、今も大切にしているものはありますか?

    甲子園で実況を担当したとき、ある先輩に「佐藤くんの実況には愛がない。」と言われました。試合の後半に、打席に立ったバッターに対してわたしは「今日の○○選手は3打数ノーヒットです。」と言いました。それは事実で間違った情報ではありません。でも、その試合の彼の成績をコメントするだけではあまりにも冷たいと先輩に言われました。
    実況アナウンサーは、両校が地方大会をどう勝ち上がってきたのかを記録した資料を持っています。「彼は今日、3打数ノーヒットなのは事実だけど、地方大会ではどうだったのか?きっと彼の何らかの活躍があって甲子園までたどり着いたはずだ。それを紹介するためにその資料を持っているのではないのか?佐藤くんの実況を選手の家族や友だちが聴いているかもしれないじゃないか。」
    頭から冷水をかけられたような気持ちになりました。「自分の言葉や伝え方に愛があるか?」それは、高校野球の実況だけでなく、番組の司会やリポートにおいても同じだと思います。その先輩の言葉を、今も肝に銘じています。

2/18
復興に向かって心をひとつにする。
2/25
自分の好きなこと、興味のあることを大切に。
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