NHKアナウンス室

アナウンサー仕事の流儀

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インタビュー 森田美由紀

05/09
ゲストの出演交渉から編集までをやっています。
  • 『ラジオ深夜便』を担当されて5年目になりますが、
    ずっとこの番組はやってみたいと思っていたそうですね。

    きっかけは、『ニュース7』のキャスターをやっていたころです。当時は1時間番組でかなりの量の原稿を読んでいました。本番だけでなく、その前の下読みではどんどん原稿の内容が変わるので何度も、何度も下読みをしなくてはなりません。今のように局内の禁煙が徹底されていなかったこともあり、あるとき喉を痛めてしまい、3週間番組を休むことになったのです。 そのときは、とてもつらくて、テレビを見る気持ちにはなれず、ずっとラジオをつけっぱなしにしていました。ラジオから流れてくる「音楽」もそうですが、自分に向かって語りかけてくれるような「人の声」にとても癒やされました。ラジオから聴こえてくる声にとても安らぎを感じ、いつか『ラジオ深夜便』をやりたいなと思うようになりました。

  • 実際に『ラジオ深夜便』の担当になって、
    大変なことはどんなところですか?

    深夜の2時台が洋楽、3時台が日本の音楽ですが、流す曲のコメントは全部、私たちアンカーが書いています。もちろん資料をいただいていますが、それに加えてレコード会社のホームページやCDのライナーノーツを探して、コメントを書いています。ですから、本番前の準備にはとても時間がかかります。また、選曲やテーマもできるだけ自分で考えて提案しているので、それに割く時間も結構かかります。
    それから、月に1度の企画なのですが『私のがむしゃら時代』というコーナーがあります。これは私がぜひお会いしたい方をゲストにお呼びして、その方が必死に頑張っていたころのお話をお聞きするというものですが、その企画ではゲストの出演交渉から収録、編集までを全部自分でやっています。
    これは、『ラジオ深夜便』を担当することが決まったときに、何か1つ番組内の企画を出して欲しいと言われて、私が考えた企画です。“がむしゃら”という言葉は必ずしもいい意味だけで使われるわけではありませんが、どんな分野の方にも人生の一時期、何かに向かって必死になっていた時代があるはずだ。そしてそれはきっと今の成功や活躍の原点ではないかと考え、その時代のお話を聞いてみたいと思って企画しました。

  • そのコーナーで特に印象に残っている方はいますか?

    それはもう、みなさんそれぞれが印象的でしたが・・・たとえば、イルカさん。夫で音楽プロデューサーだった神部和夫さんがパーキンソン病になられ、その看病をイルカさんは20年間続けられました。神部さんには「僕はもう1人のイルカなのだから、僕のために仕事を辞めるとか、減らすようなことはしてほしくない」と言われたそうです。神部さんの希望は、看病よりイルカさんがそれまで通り仕事を続け、輝いていることだったんです。
    また、久本雅美さんの場合は、何としても佐藤B作さんと同じ舞台に立ちたい一心で、反対するご両親を必死に説得し、夜の仕事もしながらお金を貯めて上京したというお話。井上陽水さんは、決して“がむしゃら”ではなかったのですが、ご自身の歌詞の作り方などをお話いただきました。まさか、陽水さんに出演していただけるとは思わなかったし、いつものマイペースな話し方や素顔の陽水さんにお話を聞けたのは嬉しかったですね。
    コーナーに登場してくださったみなさん一人ひとりが、忘れがたい貴重なお話をしてくださいました。これからも、いろいろな分野で活躍されている方の“がむしゃら”時代のお話を聞きたいと思っていますで、リスナーのみなさんにはぜひ楽しみにしていただきたいですね。

05/15
「森田くん、普通の声でいいんだよ」
  • 前回はいろいろな方の“がむしゃら”時代の話を伺いましたが、
    森田さんにとっての“がむしゃら”時代とは?

    私は大学卒業後、1年契約のリポーターとして札幌放送局に入局しました。何の予備知識もないまま、いきなりテレビの世界に入って、自分でネタを探して、企画書を書いて、取材に出かけて原稿を書いて、放送に出すということをやっていました。スタジオでニュースを読む週と、自ら外に出てネタを探して、取材してレポートする週が交互にあって、それはもう必死でしたね。
    しかも、私の場合は、研修というものをあまりやらなかったので・・・。

  • 札幌局リポーター時代

  • えっ、研修をやらないなんてこと、あるのですか?

    私の前の先輩までは、約2ヶ月みっちり研修をやってからデビューだったのですが、研修で学んだことを「あれも」「これも」と気にするあまり、萎縮してしまってなかなか本番でいいものが出せなかった。だったらあまり研修をしないで自由にやらせてみようということになったようです。今では考えられませんが、1983年ですから、まだテレビには素朴な感じがあって、またリポーターも隣のお姉さん的な存在でしたから許されたのかもしれませんね。
    唯一の研修は、先輩がどうやってネタを探して、取材交渉をして、実際に取材して原稿を書いているかをそばで見るということぐらいでした。アナウンスの研修はなくて、アクセントなどおかしなところがあれば、その都度教えていこうという方針でした。
    すべてがはじめてのことでことばかりで、それはもう“がむしゃら”にやっていました。特に週に2本か3本のネタを探して取材するのが大変でした。今のようにインターネットがあるわけではないので、街を歩いたり、ミニコミ誌に何かヒントがないかと探してみたり、経験がないぶん本当に苦労しました。

  • ニュースを読むのは、最初からうまくできたのですか?

    いえいえ、とんでもありません(笑)。当時の私は、女性のアナウンサーは高くてよく通る声を出さなくてはならないと勝手に思っていて、少しでも高い声を出そうと一生懸命でした。地声よりも1オクターブ半くらい高い声を出していましたから、おかしいですよね。どこから声を出しているんだって感じで(笑)。
    それでも研修はしないと決めたのだからということで、周りの人たちはグッと我慢してくれていました。でも、母親なら「あの声はおかしい」と指摘するだろうと思ったらしく「森田ちゃん、昨日の放送について、お母さんは何か言っていた?」と聞くのですが、私は「なんか、よかったと言っていました」と(笑)、そんな能天気なことの繰り返しでした。

  • 2001年、ニュース10時代

  • でも、転勤で新しいニュースのトップの人が来たのですが、その人が私の放送を見て「なんだ、こりゃ!」と思ったらしく、すぐに先輩たちに「森田くんをなんとかしなさい」と。それで先輩たちが言ってくれました。「森田くん、普通の声でいいんだよ」って。それまでは、高くてきれいな声を出そうと必死でしたが、はじめて普通の声でいいいのだということを知りました。
    「伝えたいことがあって、それをあなたの自然な声で伝えればいいのだから」。とてもシンプルだけど、私が気づかなかった最も大切なことを教えてもらいました。ひと言、ひと言、普通の声で、自然な声で。そして、声のトーンという型から入るのではなく、伝えたいことという中身から入っていくこと。
    このアナウンサーとしての原点ともいうべきアドバイスがあったからこそ今の自分があると思うので、とても感謝しています。

05/22
ミステリー小説と音楽で別世界を旅する。
  • 音楽には小さいころから親しんでいたのですか?

    そうですね、子どものころから音楽は私の身近にありました。クリスチャンだった両親は私に教会でオルガンを弾いてほしいという希望があったようで、幼稚園のときに習いはじめました。小学校の高学年になるともっぱらビートルズ。1971年、72年は洋楽の嵐で、北海道でも洋楽のリクエスト番組が大人気でした。同時にオルガンも上達して中学の終わりから高校にかけてはパイプオルガンを習いだし、小学校のころはバレエもやっていたので、そのころからクラシックにもなじんでいました。

  • 1~2歳のころ
  • 中学では放課後に音楽鑑賞会というのがあって、先輩たちが音楽教室でビートルズをよくかけていたのを思い出します。カーペンターズもよく聴きました。ハードロックは親がいい顔をしなかったのですが、カーペンターズは「うるさい」とは言われませんでしたから(笑)。
    その後は、ジャズやクロスオーバー、プログレッシブ・ロックを聴くようになりましたね。

  • 札幌時代

  • 自分で買った最初のレコードは何ですか?

    自分のおこづかいではじめて買ったのは、ミシェル・ポルナレフの『シェリーに口づけ』でした。

  • 音楽に助けられていると感じる瞬間はありますか?

    88年に札幌から東京に来て、ずっとニュース番組を担当していました。生放送で瞬間的な集中力が求められるのでアドレナリンが放出されるのでしょうね、番組が終わっても気持ちが高揚しているのでクールダウンする時間が必要でした。
    家に戻ったらまず録画しておいた放送を見直して、自分へのダメ出しをします。今日の原稿を読むペースは速すぎたとか、次の話題にいくまでの間が短過ぎたとか、その日、反省すべきものを1度全部自分の中で消化してから、クールダウンの時間に入っていきます。その時間で、今日の反省や失敗を1度すべて忘れてしまうのです。
    心地いいジャズを流しながら、お気に入りのミステリー小説を読む。ミステリーと音楽で別世界を旅して、翌日からはまた新しい1日をはじめる。その繰り返しでした。音楽には、自分の気持ちをリセットさせてくれたり、心地よく洗い流してくれたりする力があると思います。
    今でも、大好きなミステリー小説を読むときは、ビル・エバンスであったり、トゥーツ・シールマンスであったり、最近ではイケメンのトランペッター、クリス・ボッティなどを聴きながら読んでいます。

  • ミステリー小説で好きな作家は?

    コリン・デクスター、P・D・ジェームス、ディック・フランシスなど、イギリスの雰囲気のあるミステリー小説が好きです。高校の終わりくらいにアガサ・クリスティの本に出会って、それからミステリー小説に引き込まれてしまいました。
    今はイギリスの雰囲気のあるミステリー小説が少なくなっている気がしていて、ここ10年くらいは宮部みゆきさんや原田マハさんなど、日本のミステリーが中心です。

  • 休日などには、どのような音楽を聴いていますか?

    それは気分によっていろいろです。「今日は1日オペラで!」とずっとオペラばかりを流している日もあれば、70年代ロック、ジャズボーカルの日もあるし、あえて無音で過ごすときもあります。放送人であれば、テレビをつけっぱなしにしておかなければいけないのでしょうが・・・まあ、音楽も私の仕事の一部ですから。

05/29
「あなたの美しさは危険なバラ」
  • これまでの仕事で、特に印象的だったものは?

    1990年にデビッド・ボウイにインタビューしたことです。『ニュース21』という番組で、いろいろな方にインタビューをさせていただいたのですが、その最初がなんとデビッド・ボウイでした。
    突然、副編集長から「森田くん、あさってデビッド・ボウイのインタビューね」と言われて、もう舞い上がってしまいました。各局持ち回りのインタビューで与えられた時間は5分から10分しかない。通訳をはさむとその時間の半分になってしまうので、英語がペラペラのキャスターに添削してもらいながら必死に聴きたいことを英作文しました。
    それを頭に入れて、インタビューに挑んだのですが、デビッド・ボウイの顔を見た瞬間に、あまりにもカッコよくて、頭の中が真っ白になりました!もうずっと震えながら話を聞いていました(笑)。「あなたの美しさは、危険なバラのようですね」と言ったら、「その言葉はおもしろいけど、意味は分からないな」と言われたのを今でも覚えています。とんでもないインタビューだったかもしれませんが、デビッド・ボウイと向かい合って座ったあの5分から10分は、私にとっては一生の思い出です。

  • これから担当してみたい番組はありますか?

    ニュースをはじめ、これまでいろいろな番組と巡り合ってきて、それぞれにやりがいも感じてきました。世代世代でやりたい番組をやらせてもらったなと言うのが素直な感想です。『芸術劇場』や『日曜美術館』では、私が大好きな音楽と美術の番組を担当させてもらいました。そして、ある程度の年代になったら『ラジオ深夜便』とNHKアーカイブス『あの日 あのとき あの番組』をやりたいと希望を出していたのですが、今、それらの番組を担当しています。 『あの日 あのとき あの番組』は、それぞれの時代のメッセージであり、時代の貴重な記録です。若いディレクターと膨大な量の番組を見ながら、この番組を取り上げるならゲストは誰がいいだろう?と毎回楽しくやらせてもらっています。 ですから、やりたいことをやらせてもらっているという気持ちがとても大きいのですが、それでもあえて言うなら、もっともっとインタビューをしてみたいですね。年齢を重ねることで、人生の機微も自分なりに分かってきていると思うので、その方のより深い話を引き出せるようなインタビューをしてみたいです。そう言う意味では、満足や終わりはないのかもしれません。

  • 『あの日 あのとき あの番組』の収録現場より
    中/元横綱大乃国・芝田山親方  右/デーモン閣下

  • プライベートで今後やってみたことはありますか?

    イタリアを旅行したいですね。『ニュース21』で、イタリアの文化支援のロケに行ってから、とにかくイタリアが大好きになりました。その当時、イタリア語のプライベートレッスンまで受けていました。月に1度くらいでしたが。友人たちと南イタリアのはしっこのまちに行ったときは、イタリア語しか通じない小さなまちだったのですが、レストランでも、ホテルや乗り物でも私のイタリア語が通じたので、もう1度みっちり勉強して、ゆっくりイタリアを周りたいですね。
    今は高齢の親との時間が最優先ですので、今度イタリアに行くならどこがいいだろう?といろいろ思いを巡らせながら楽しんでいます。イタリアの南の南にある、あまり知られていないまちへローカル電車を乗り継ぎながら行くのも、きっとすてきですよね。小さなまちのオペラフェスティバルを訪ね歩くのも良いですね。ゆっくり時間をかけて、南イタリアの田舎まち巡りができたら最高ですね。

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