NHKアナウンス室

アナウンサー仕事の流儀

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インタビュー 武本大樹

日々、スポーツと共に。
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汗をかき、靴底をすり減らし、現場に通う。
  • 現在、担当している番組について教えてください。

    『おはよう日本』でスポーツコーナーを担当しています。スポーツ中継の現場で経験を積んでいるアナウンサーがキャスターを務めることで、さまざまな競技を結果だけでなく、勝敗を決めたポイントなどもわかりやすくお伝えしています。

  • そのために心がけていることは?

    今はコロナ禍なので取材は制限されていますが、できるだけ現場に足を運ぶことです。たとえば実況を担当する際には、事前に膨大な取材をします。今年のお正月には箱根駅伝のラジオ中継で、中継所でタスキ渡しの実況を担当。リモートでの取材も含め、出場21チーム、メンバー336人全員を取材しました。実際の実況でしゃべるのはそのほんの一部ですが、その取材の蓄積が『おはよう日本』でスポーツを伝えるときに役立つこともあります。そこが、我々のような実況アナウンサーの強みだと思っています。

  • それは、競技だけを見ていてもわからないことですね。

    そうです。選手たちがその競技に挑む前にどういう練習をしているのか、どんな思いで出ているのか、そういうことは競技を見ているだけではわからないことです。
    ですから私たちはとにかく汗をかく。靴底をすり減らして現場に通う。そこで聞いたこと、感じたことを『おはよう日本』のスポーツコーナーでもお伝えしたいと思っています。

  • これまで担当した実況で特に印象的な試合は?

    良い実況ができた試合でなく申し訳ないのですが、・・・入局3年目、初任地の山梨での、夏の高校野球決勝です。このときの自分の失敗は、今も忘れられないし、忘れてはいけないと思っています。

  • どのような失敗だったのですか?

    夏の大会決勝ですから、勝ったチームが甲子園の切符をつかむという大一番です。
    一方のチームが3点をリードして、9回の守備につきました。
    1点を返されたものの、2アウト…。そこで、正面のセカンドゴロ。
    試合終了と思ったその瞬間、セカンドがトンネル、打球は外野に抜けていきました。
    そこから同点、逆転と試合がひっくり返り、負けていた方が起死回生で甲子園出場を決めたのです。
    私はその場面で、あることに全く気が付いていませんでした。
    実は9回の守備からセカンドが代わっていたのです。
    その選手がエラーをしてしまった選手だったと気が付いたのは、放送後のことでした。

  • 失敗は、選手交代に気づかなかったことですね。

    それだけではありません。
    セカンドゴロが飛んだときに、試合終了だと思った私は、一瞬資料に目を落としてしまったのです。 勝った方が何年ぶり何回目の甲子園出場になるかを確認するために。
    「プレーが続いている間は、決してボールから目を離していけない」と言われ続けていたのにそれが守れなかった。
    試合後も、劇的な展開に一緒になって興奮してしまった私は、勝者を称えるコメントばかりを並べ立てていました。目前で甲子園出場を逃したチームのこと、エラーをしてしまった選手が号泣していること、その選手をなだめているチームメイトたちを置き去りにして・・・。
    なぜ選手交代を見落としてしまったのか。
    敗れたものの、準優勝のチームの戦いぶりになぜもっと向き合えなかったのか。
    非常に悔いが残ります。
    このような失敗をもう2度としないように今も胸に刻んでいます。

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使命感のある仕事をしたい。
  • 学生時代について教えてください。

    学生時代は体育会野球部に所属していました。全寮制でしたから、本当に野球漬けという生活です。私は地元のチームで野球を始めたのですが、小学4年生の時に病気にかかり、野球どころか体育の授業もできなくなってしまいました。
    本格的に野球ができるようになったのは高校生になってからです。
    野球への強い思いの原点は、病気の経験もあると思います。

  • 高校では甲子園を目指していたのですか?

    私の高校は甲子園出場経験はありません。部員も1学年10人ほどです。
    それでも高3でキャプテンになった私は、「甲子園を目指そう」とみんなに言い続けていました。
    最後の夏に2勝できたのはみんなで力を出し切れた結果と今では思えますが、高いレベルで野球をしてみたいという思いも強くなっていました。
    そんな時に見たのが東京六大学野球の中継でした。

  • 東京六大学野球を目指したのですね。

    神宮球場で行われる早慶戦は、本当に華やかに映りました。
    ですが、そこに立てるのは部員190人のうち、たったの9人。ベンチに入れるのも25人だけです。
    夢を持って飛び込みましたが、1年生の時は厳しい規則や雑用もたいへんで、何度辞めたいと思ったことか…。それでも故郷から送り出してくれた恩師や、いつも励ましてくれた両親の顔を思い出して自分を奮い立たせていました。
    4年間一度も公式戦のユニフォームを着ることはできませんでしたが、後悔はありません。
    一生の宝ともいえる仲間と出会うこともできました。

  • もともとアナウンサー志望だったのですか?

    大学3年生までは、教師になって母校を甲子園に連れていきたいと思っていました。教員免許を取得したのもそのためです。
    そんな時に、尊敬する恩師(高校の野球部長)にこう言われました。
    「おまえにはほかにも可能性があるんじゃないか?せっかくいい先輩も周りにたくさんおるんじゃけえ、いろんな人の話をよう聞いてみんさい」。

  • そうした中で、アナウンサーを目指すようになったのは?

    大学の研究室の卒業生で、NHKでディレクターをしている先輩がいて、どんな仕事をしているかを私たちに話してくれる機会がありました。
    特に面白そうだなと感じたのは、高校野球やBJリーグ(現在のBリーグ)の中継です。
    話を聞いた後に「僕、興味があるんですけど」と言いに行きました。その時に先輩から「武本君はアナウンサーがいいと思うよ。スポーツに一番ダイレクトに関われるから」と言われたんですよ。
    私は非常に単純なので、そうなのかなと(笑)。その時の言葉がなければ、今の私はいませんね。

  • 当初からスポーツアナウンサーを目指していたのですか?

    もちろんスポーツに関わりたいという思いはありましたが、面接の時はスポーツの話はほとんどしていないと思います。それは、私が就職活動をしていたのが東日本大震災の直後だったからです。
    面接官(今考えると先輩アナウンサーですが…)の中には被災地での仕事から帰ってきたばかりの人もいました。話を聞いているうちに「使命感のある仕事」、「社会に貢献できる仕事」と強く感じるようになりました。「社会に貢献できる」という言葉が一番響いて、面接を受けていく中でアナウンサーにはこんな役割もあるんだ、挑戦してみたいという気持ちが強くなっていったように思います。
    入局してから、熊本地震や西日本豪雨の際に被災地で多くの中継を担当したのですが、その時は原点を思い出しながら仕事をしていました。

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まだ、スポーツ“の”アナウンサーです。
  • 新人のころに苦労したことはどんなことですか?

    学生時代にアナウンススクールなどに通ったことは全くなかったので、完全にゼロからのスタート。新人研修は2か月あるのですが、ニュースリードの研修の時に私だけ圧倒的に時間がかかる…。
    根気強く指導してくれた講師の先輩アナウンサー、それに根気強く待ってくれた同期にも感謝です。

  • そこから成長できたのはどうしてですか?

    初任地の甲府でとにかくたくさんの仕事をさせてもらったからだと思います。
    毎日の3分間の天気中継や自分でネタを探してくる企画、毎月のアウトドアのコーナーなど、とにかく数を経験させてもらいました。まさに千本ノックですね・・・。
    当時の上司も「人を傷つけるような間違いは絶対にしないこと。そうでなければ、トライしての失敗はOK。まずやってみよう」という考えで、それもありがたかったです。
    足腰をしっかり鍛えたことが自分の基礎となり、今につながっています。

  • 社会人野球でプレーしていたそうですね?

    入局3年目になった時に、仕事以外でも地元の人たちと何か一つのことを成し遂げたい、気持ちを共有したいという思いが出てきました。それにはやっぱり野球しか考えられなかった。
    様々な仕事、様々な年齢の選手がいる硬式野球のクラブチームで活動を始めました。
    山梨では西武ドーム(現メットライフドーム)で行われる全国大会に出場できましたし、宮崎では自分のチームを立ち上げるという経験もできました。
    社会人野球の経験は、仕事の上でも大きな糧になっています。

  • 仕事と野球の両立は大変だったのでは?

    宮崎のチームでは部長も務めていて、選手のみんなには「信頼される社会人になろう。職場の人たちがたくさん応援に来てくれるチームにしよう」といつも言っていましたので、私自身がまずは仕事をきっちりとすることを心がけていました。

  • 社会人野球の経験から得たことは?

    スポーツを伝える上で、選手だけではなく、指導者やマネジメントする人にも着眼できるようになったことです。
    宮崎では、県勢初の社会人野球全国大会に出場したチームを取材し、番組を制作しました。自動車学校が運営するチームなのですが、会社の社長と副社長を主人公に描きました。
    「社会人野球の魅力を多くの人に伝えたい」というのは私自身の夢でもあるので、その番組を全国の皆さんにも届けられた時にはとても嬉しかったです。
    そのほかにも、私のチームでは「多くの若者が硬式野球をできる環境を作る」という理念も掲げていたので、知的障害のある若者も受け入れていました。彼と接した時間も今パラスポーツを取材したり、伝えたりする上で大きな土台になっていると感じます。

  • スポーツへの気持ちがどんどん強くなっていったのですね。

    そうですね。宮崎ではスポーツのアナウンサーとして勝負したいという覚悟が決まりました。
    夕方のニュース番組のキャスターを担当しながら、絶対に達成したいと思っていたのは「甲子園のラジオ実況」です。
    宮崎は春には多くのプロ野球チームがキャンプや練習試合を行い、秋には2軍の教育リーグも行われます。そこが私にとっては絶好の実況練習の場でした。
    選手にとってキャンプはシーズンを戦い抜ける心技体を作る大事な期間と言いますが、私にとっても宮崎はスポーツのアナウンサーとしての土壌を作ってくれた“キャンプ地”だと思います。

  • 甲子園で実況するという目標は達成できましたか?

    入局7年目、宮崎に赴任して4年目に、春の選抜大会で初めて甲子園のラジオ実況をしました。
    でもまだ、テレビの実況を担当することはできていません。
    NHKのスポーツアナウンサーは「甲子園でラジオとテレビの実況をして、やっとスタートライン」と言われています。ですので、私はまだスポーツ“の”アナウンサーなんですよ。
    早く“の”を取ってスポーツアナウンサーになりたい。今は、そういう段階です。

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スポーツをどれだけ好きか、それが大切。
  • これからの目標はなんですが?

    これまで野球、競泳、バスケットボール、駅伝などの実況を担当しましたが、それらのレベルをもっと上げたいというのが正直なところで、今の目標です。

  • いろいろな競技を担当する大変さはありますか?

    野球に関しては選手としての経験もありますが、ほかの競技は経験がありません。ルールなどのベースとなる部分はもちろん勉強しますが、フラットな気持ちでその競技に挑めるという利点はあると思っています。解説者に素直な質問ができたり、自分がその競技ができないぶん、取材をしたときに選手たちのすごさをダイレクトに感じることもできます。

  • 実況を担当してみたい大会や競技は?

    東京六大学野球と都市対抗野球の決勝戦の実況を担当したいですね。六大学野球は一度担当しましたが、またチャンスがもらえるならやりたい。都市対抗野球の予選には選手として4回出ていますが、今度は放送者として決勝の実況をしてみたいですね、個人的な夢ですが・・・。

  • スポーツアナウンサーを目指している人にメッセージを。

    大切なのは、スポーツアナウンサーになりたいという気持ちを持ち続けること。それさえ忘れなければ、もちろんそれなりの努力は必要ですが、いつかかなう日が来ると思います。
    入局したらスポーツとは関係ないさまざまな仕事をやらなくてはいけません。でもどんな仕事でも無駄なことはないし、その経験がいつかスポーツアナウンサーとして役立つはずです。

  • スポーツが苦手でもスポーツアナウンサーになれますか?

    大切なのは、競技ができる、できないではなくて、好きかどうかということです。ですから、もっともっとスポーツを好きになってほしい。逆に言えば、好きじゃないと長く続けられないということ。実況の時間は2~3時間かもしれませんが、それまでには膨大な時間を費やして、選手たちのことを下調べしたり、取材したりしなければなりません。これは、好きじゃないとなかなか厳しいと思います。

  • 休日はどのように過ごしていますか?

    スポーツのリズム感の中に自分を置かないと行けないと思っているので、体を動かすようにしています。走ったり、筋力トレーニングをしたり・・・。今は野球選手としては“引退”している状態ですが、もちろんオファーがあれば“現役復帰”を考えます!(笑)

  • スポーツのリズム感の中に自分を置くというのは?

    ある有名アスリートの栄養指導をしている方に取材をしたことがあって、その方は選手に負けないくらい体を鍛えているんです。なぜかと伺うと、「アスリートをサポートする人間がしっかりコンディショニングできていないと説得力がないから」ということでした。
    それを聞いたとき、スポーツについてしゃべる人間もやはりスポーツができそうな体をしていないと説得力がないと思ったんです。だから、常に運動をすることは心がけています。

  • ずっとスポーツのことを考えているのですね。

    だからこの仕事は、本当にスポーツが好きじゃないとできないんですよね(笑)。

  • ありがとうございました。


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