NHKアナウンス室

アナウンサー仕事の流儀

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インタビュー 小西政親

頑張った先に、個性がある。
9/6
みなさんの代わりに、自分はそこにいる。
  • プレゼンターを担当している『ニュース シブ5時』とは?

    その日に起きた出来事やニュースをいち早くお伝えしています。でも、それだけではなく、キャスターや我々プレゼンター、解説委員も交えながら井戸端会議にように、「その言葉の意味って?」、「どうしてそんなことが起きたの?」と、ニュースをかみ砕いでお伝えしています。 テレビの前の方が「ん?」と納得できないでいる事柄について、みなさんと一緒に理解を深めていけたらいいなと考えています。

  • プレゼンターとして心がけていることは?

    『とはいえ』ですね。
    プレゼンターとして世の中の新しい動き、何かを達成した人、おいしい料理など、さまざまなことを取材してお伝えします。それらをより深く探るキーワードが『とはいえ』です。
    確かにその料理は、おいしいに違いない。『とはいえ』、それだけこだわっているとお値段は高いのでは?そういう『とはいえ』感覚を大切にしています。
    中継や取材で、お話を聞いたあとに『とはいえ』と書かれたボードを出して、さらに切り込んでいく。聞かれた本人は一瞬「うっ」と言葉に詰まることもありますが、そのあとに出てくる言葉に本音がポロリと出てくることもあります。視聴者のみなさんに「そう!そこを聞いて欲しかったんだよ!」と共感して頂くのが目標です。

  • コロナ禍になって、取材に出かけることも極端に減ったのでは?

    私はいろいろな人たちに直接出会って、心の通うコミュニケーションをすることに価値を見出してきた人間なので、出向けない、直接会えないというのははがゆいですね。 一方で新たな可能性も感じます。「この話は直接会っていたら聞けなかったかもしれない」と感じる瞬間があるのです。取材先にとって、アナウンサーやカメラマンがたずねて来るというのは非日常的なこと。構えさせてしまう、緊張させてしまうことも。でも、リモートでお話をうかがうときは、ご自宅などリラックスした環境で話せるので、自然体で思わぬひと言を話して下さることがあるのです。

  • アナウンサーとして大事にしていることは?

    自分が現場にいるのは、あくまでも視聴者やリスナーのみなさんの代わりだということです。 ときにノーベル賞の受賞者に会ったり、人気の俳優さんにインタビューしたりすることもあります。また、一般の人たちが立ち入ることができない場所に入れてもらうこともあります。でも、それは自分が特別な存在だからではなく、あくまでもみなさんの代表としてそこにいる。みなさんに代わって聞きたいことを聞き、見たい映像を撮るために最善を尽くす。そのために自分はそこにいる。これは、アナウンサーになったときから思っていることで、この気持ちはこれからもずっと持ち続けたいと思っています。

9/13
営業職からアナウンサーへ。
  • 学生時代は何か夢中になっていたことはありますか?

    高校時代のバンド活動です。60年代、70年代のイギリスのロックバンドに憧れ、友だちとバンドを組んでライブハウスで演奏していました。
    優勝するとレコーディングができるというライブハウス主催のコンテストがあって、私たちは準優勝だったのですが、もし優勝していたら今ごろはロックスターになっていたかもしれません(笑)。

  • 大学時代で特に印象に残っていることは?

    今の仕事につながっていると思うのは、臨床心理学を学んだことです。いわゆるカウンセリングです。悩みや不安を感じている人と、会話をすることで前向きな気持ちになってもらう。大学時代に学んだ人との接し方は、いまアナウンサーとして取材をする時、放送で伝える時に活かせていると思っています。

  • アナウンサーを志望したのは、そのことがきっかけですか?

    それが違うのです。最初は営業職員として入局して、千葉局・船橋営業センターで4年間営業の仕事をしていました。

  • それが、どうしてアナウンサーになりたいと思ったのですか?

    営業職員には、地域で『NHKのど自慢』や『NHK歌謡コンサート』などの公開番組があるとき、本番が始まる前の「前説」という説明パートで、NHKの様々な取り組みや、それを支えている受信料について、説明、ご案内する役割があります。
    ある日、終演後にお客さんをお見送りしていると、1人の男性が私に近づいて来て「君の前説は下手だったけど、熱意が伝わったよ」声をかけてくれたのです。
    普段の営業の仕事ではお客様のもとを訪問し、受信料についてお話をしますが、私が未熟でご納得頂ける説明ができず、長く悩んでいました。
    そうした中かけて頂いた「伝わった」という言葉。聞いた瞬間、うれしくて涙があふれました。
    つたないしゃべりでも、必死に伝えれば届く。ならば、取材したことを自分の言葉で伝える仕事に挑戦してみたい!という思いが芽生えました。
    ちょうどそのころ、他の職種からアナウンサーにチャレンジできる機会があったので、自ら手を挙げることにしました。

  • アナウンサーという仕事のどこに魅力を感じたのですか?

    大学でカウンセリングの勉強をしたことを思い出して、放送を通して自分の言葉で誰かを勇気づける、元気にすることに挑戦できると考えたのです。
    ただ、それまで育ててくれた上司や先輩には申し訳ないという気持ちがありました。一人前の営業職員にしようと4年間も育ててくれたのに、急にいなくなるわけですから。

  • これから営業職員として活躍することを期待しているわけですからね。

    ところが、当時の先輩や同僚は快く私を送り出してくれました。「これまで営業職員として、直接視聴者と向き合いいろいろな意見を聞いてきたのだから、それを活かせるアナウンサーになれよ」と言ってくれました。
    そして、はなむけにアナウンサーの必需品であるストップウオッチをプレゼントしてくれました。アナウンサーになって13年ですが、今もそのストップウオッチは私の宝物です。生放送前に緊張するとき、心が折れそうなとき、悩んだとき、いつも私を勇気づけてくれます。

9/27
滑舌の悪さとの闘い。
  • 晴れてアナウンサーになって、どうでしたか?

    全くの素人がアナウンサーになる以上、平坦な道ではないと覚悟したつもりでしたが、想像以上に何もできない自分にがく然としました。
    最初の大きな壁は、発音・発声です。まず、新卒で入ってきた年下のアナウンサーたちと2ヶ月間研修を受けました。 彼らの中には学生の間にアナウンススクールに通うなど、音声表現への意識が高いメンバーもいて、その同期達と、ニュース原稿を読むトレーニングを重ねました。今思うと恐ろしいのですが、初めのうちは自分も彼らと同じ様に読めていると思っていました。ところが研修が始まって2週間くらい経ったある日、「自分のニュースだけ内容が頭に入ってこない」ということにふと気がついたのです。

  • ふと気づいた?どういうことでしょうか?

    「聞く力」が少し追いついたのだと思います。同期が読むニュースはキーワードが記憶に残る、自分のニュースは残らないと気づいた。でもなぜなのかはわかりません。そこで、同期のニュースを録音させてもらい、自分の録音と毎晩のように聞き比べました。そしてようやく、同期の「努力の跡」に気づきました。発音がクリアだから情報がすっと耳に入る。キーワードは微妙にゆっくり読んで強調する。既知情報はさらっと、新しい情報を丁寧に読むなど・・・。

  • その気づきを転機に、ニュースの読みも上達しましたか?

    いえ、そう上手くはいきませんでした。滑舌が悪くて発音がクリアにならない。キーワードを強調したくても、読むスピードをコントロールできない。頭でわかっていても、体がついてこないのです。
    その悩みを解決できないまま、アナウンサーとしての初任地・神戸局へ赴任しました。テレビの15分ニュースを担当しましたが、なんとか間違えずに読むのが精一杯。視聴者から「ニュースが不明瞭で聞き取りにくい」というご指摘を受けました。営業時代に思い描いた「視聴者の心に届けるアナウンサー」とは程遠いものでした。練習をすればするほど自分のダメな所に気がつく。このまま続けても一人前になれる保証はどこにもない。アナウンサーになって本当によかったのか。悩み続けた時期でした。

  • その状況をどう乗り越えたのですか?

    がむしゃらに続けてもダメだと思い、トレーニングの方法を変えました。ちょっとマニアックな話ですが、発音する時の「舌の位置」を徹底的に見直しました。口腔の専門家に診てもらった結果、「サ」行を発音する時の舌先の位置が他の人と違うため、歯の隙間から息が漏れて不明瞭になっていることがわかりました。ここからが闘いです。毎朝少し早く放送局のスタジオに入り、鏡で舌の位置を確かめながら「サ・シ・ス・・・」と発音するトレーニングを続けました。20年以上の人生で染みついた舌の癖を直すのは、簡単ではありません。気を抜くとすぐ元に戻ります。朝、顔を洗うとき、お風呂に入るとき、鏡があれば「サ・シ・ス」です。それを2年くらい続けて、ようやく舌の位置をキープできるようになりました。

  • 2年・・・長いですね。

    時間はかかりましたが、本当の素人だった自分も音声表現を磨いていけるんだと実感できました。この経験が今も大きな支えになっています。
    ただし、一番大事なのは視聴者のみなさんに届いているか。小手先の技術だけでは届く表現はできません。自分の足で取材をして、心から「伝えたい!」と思う情報をつかみ、今持てる表現力で全力を尽くして伝える。挑戦は続いています。

10/4
必死な姿こそが、個性だ。
  • アナウンサーになってすぐの頃の経験で今につながっていることは?

    命と向き合う取材です。神戸局に赴任して2年目のとき、阪神・淡路大震災から15年の年を迎えました。私は被災地の現状を全国に伝えようと、遺族の方々からお話をうかがいました。「生き残った自分を今でも責め続けている。」「復興住宅の人間関係になじめず年々孤独になっている。」みなさんの15年間のお気持ちを、私はただじっと聞くことしかできませんでした。大きな災害や、家族を失った経験の無い私が伝えたら、全てが軽々しくなってしまいそうで怖くなりました。震災が起きた1月17日に向けて、先輩記者やディレクターが『NHKスペシャル』などを制作する中、私はほとんど何も発信できずにいました。意気込んでアナウンサーになったのに、何も役に立てない。自分の無力さを痛感していました。

  • 大事なテーマであるほど伝えるのは難しいのでしょうね。

    その悩む私を一歩前に進めてくれたのも、遺族の方の言葉でした。神戸局に所属している間、私は毎年1月17日に淡路島からの中継を担当しました。追悼式典の様子や遺族のみなさんの気持ちをお伝えするためです。その事前取材にうかがったとき、遺族のお一人が私にこう話して下さいました。
    「震災から数年は、取材を受けるのがつらいときも多かった。でも今は、毎年小西さんが来てくれてうれしい。14年でも15年でも家族を失った悲しみは変わらない。忘れずに伝え続けてくれることがありがたい。」
    遺族の方々にご負担をかけて話をうかがう以上、私は取材を一過性のものにせず、年月をかけて向き合い、伝え続けなければならない。そしてその取材を、防災・減災につなげていかなければならないと強く思いました。

  • その経験が、今にどうつながっていますか?

    日本ではその後も繰り返し災害が起きています。私は東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨などの被災地で、現状を伝える中継を担当しました。被災地へ行く前には、お世話になった兵庫県のみなさんに電話をします。震災のとき、被災直後に何に困ったか、何が不安だったかなどを教えて頂くのです。そして、新たな災害で被災したみなさんの状況や気持ちを想像し、ご負担をかけないよう短時間で大事な情報を取材して、放送で伝えています。
    アナウンサーには、自分の人生経験とは釣り合わない大きなテーマを伝える仕事もあります。私は、取材でお世話になったみなさんの言葉を自分の中に積み重ねて、いざというときに思い返して新たな取材に臨みます。その繰り返しでなんとか今、全国放送で取材、発信ができているのだと思います。

  • アナウンサー志望の人たちにアドバイスを。

    「アナウンサーになりたい。でも、自分には人に自慢できるような個性はない」と悩んでいる人に「大丈夫、心配しないで!」と言いたいです。
    私は、個性というものはがむしゃらに頑張った先にあとからついてくるものだと思うからです。

  • それは、具体的にどういうことですか?

    私は見た目がカッコいいわけでもなく、話が飛び抜けてうまいわけでもない。何か突出した特技があるわけでもありません。そんな自分がアナウンサーとしてどうすれば活躍できるだろうと悩んでいたとき、松山局時代の上司がこう言ってくれました。
    「今、視聴者へ必死に伝えようとしているお前のその姿こそが、個性だ」と。この言葉は今も自分の支えになっています。

  • そう思えるようになるために大事なことは?

    「この分野のことなら誰よりも自分は頑張れる」と言い切れるものを見つけることが大切だと思います。命を守る報道でも、好きなスポーツの競技でも、文化や芸術でもかまいません。
    大切なのは、「人よりできる!」ではなくて「人より頑張れる!」です。
    その分野を誰よりもねばって必死に取材し、悩みながら伝えることの積み重ねが、やがてあなただけの個性になっていくはずです。

  • ありがとうございました。

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