NHKアナウンス室

アナウンサー仕事の流儀

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インタビュー 谷地健吾

生き方や経験は、声に出る。
10/11
ラジオの可能性は、まだまだ広がる。
  • 現在担当している番組を教えてください。

    木曜日と金曜日のよる11時45分から『BSニュース4K+ふるさと』という番組を担当しています。これは、BS4KだけでなくBS1でもご覧いただけます。
    その日の、国内外のニュースに加え、列島各地の話題をお伝えしています。「きょうのふるさと」というコーナーでは、鮮明な4K映像で全国各地の自然や風物詩など、思わず引き込まれてしまう美しい映像がめじろ押しです。特に、海に沈む夕日や棚田のある風景など日本の原風景を取り上げたものは、ため息が出る美しさです。ぜひ、多くの方に見ていただきたいです。

  • ほかに担当している番組は?

    もう一つの主戦場が、土日のラジオニュースです。正午から午後7時まで、ほぼ毎正時、ラジオセンターからお伝えしています。
    ラジオはテレビと異なり、音声だけで伝えきらなくてはいけないメディアです。そこにやりがいを感じますし、難しいところでもあります。テレビは映し出された映像にたくさんの情報がありますし、字幕も出ます。さらにはアナウンサーの読みもあって、とてもわかりやすい作りになっています。
    一方、ラジオは音声だけで、聴いている人の頭の中にそのニュースの内容が浮かぶようにしなければならない。しかも一度、聴いただけで。ですから毎回、自分にとっては真剣勝負であり試練です。

  • 特に心がけていることは?

    ニュースの内容によって、読む速度、間、読む調子を、聴いている人をイメージしながら変えています。読んでいるニュースがしっかり伝わっているだろうかと自問自答しながら毎回やっています。
    そのニュースの肝はどこかというのを自分なりに判断して、芯を外さないようにすることはもちろん、言葉の正確さ、丁寧さに気を遣いながら、「伝えたい」という気持ちだけじゃなくて、「伝わっているか」というところを意識しながらやっています。

  • 熱心なラジオのファンも多いと思います。

    いつもラジオを聴いてくださっているリスナーは耳が肥えています。ちょっとやそっとの読みでは納得してもらえない。しかも、こちらが焦っているとか、少し喉の調子が悪いとか、そういう状況まで流れてくる声から読み取ってしまうんです。放送後、リスナーからのツイートを読んで「あっ、バレちゃってる」ということがたびたびあります(笑)。

  • ラジオというメディア自体も進化しています。

    今のラジオは、放送したらそれで終わりではなくて、一つのコンテンツとしてあとから何度も聴くことができます。たとえばNHKラジオ『らじるらじる』の聞き逃しサービス。まるで音楽を聴くように、気になるニュースをいつでも、どこでも繰り返し聴くことができます。ラジオは今やマスメディアからパーソナルメディアになったように感じます。生放送終了後も、たくさんのコンテンツの中から繰り返し選んで聴いてもらえるコンテンツになりました。
    オールドメディアと言われたこともありましたが、ラジオには、まだまだ大きな可能性がある。新しいパーソナルメディアとして、よりリスナーのみなさんと深い関係を築くことができるようになるかもしれません。

10/18
その土地の言葉で話す大切さ。
  • アナウンサーになろうと思ったきっかけは?

    私の場合、もともとディレクター希望でしたが、結果的にはアナウンサーで採用されました。
    大学のゼミで地方に残る古い埋葬の風習や葬送の儀礼について調べ、奈良県の村にフィールドワークに入ったことも。面接では、そうした様々な地域文化をもっと掘り下げてみたいという話をしました。
    ですから、「アナウンサーで採用になりました」と言われたときは、驚きましたね(笑)。

  • 谷地さんにとっては、思いもよらないことだったのですね。

    私は東北で生まれ育って、高校生になるタイミングで東京に来たので、言葉には苦労しました。高校時代は、国語の授業で音読すればみんなが笑うし、英語の教科書を読んでも「お前は英語もなまっているんだな」と笑われたり・・・。
    さすがに就職活動をするころには、共通語もある程度話せるようになっていましたが、それでもまだ言葉にはコンプレックスがありました。

  • 言葉の問題はどのように克服しましたか?

    これは、特技と言えるかわかりませんが、子どものころから耳で聞いた言葉の抑揚や間、イントネーションを記憶して、それを忠実に再現するのが得意だったんです。
    たとえば、大学時代はお好み焼きとたこ焼きの実演販売のアルバイトをやっていたのですが、そこでお客さんと会話しながらその人のイントネーションや間の取り方を記憶して、次のお客さんとのやりとりに生かしていました。
    また、クラスメートの会話などを聞いて、今でいう「耳コピ」をしていましたね。
    このやり方は、アナウンサーになってから、とても役立ちました。

  • それはどういうことですか?

    初任地は奈良で、そのあと青森、札幌、仙台、松山と赴任するわけですが、土地ごとに地元の言葉をマスターするのがはやかった。地元の人たちが聞けば違和感があったかもしれませんが、それでもある程度はどの地域に行ってもその土地の言葉を話すことができました。

  • その土地の言葉で話すメリットとは?

    取材などでは、共通語で話しかけるより、地元の言葉で質問を投げかけたほうが、リラックスして答えてもらえるし、その人の心からの声を聞けます。それは本当に、奈良でも、仙台でも、北海道でも実感しました。
    もちろん正確な発音やアクセントでニュース原稿を読むことは大切なことですが、アナウンサーはそれだけじゃないぞと。特に地方局の場合は、その地域の言葉をマスターしたり、地域の文化にふれたりすることはとても大切だと思います。

  • 取材対象者との距離が縮まるということですね。

    そうです。ただ、初任地の奈良ではさらなる難題がありました。関西の言葉はある程度マスターできたのですが、関西ではさらに話にオチを求められます。
    関西の人と話していると「で、その話のオチは?」と必ず聞かれる。これには苦労しましたね(笑)。

10/25
大切なのは、心の復興。
  • 地方局時代に印象深い仕事は?

    北海道に勤務していたときですが、毎日4時間の地域向けの生放送番組があって、そこで私はリポーターとして中継を出していました。旅人役として、北海道の各地を旅しながら、現地局のスタッフと合流して1時間ごとに10分程度の中継を出すんです。

  • 実際に旅をしているのですか?

    1週間分の荷物を入れたリュックを背負って、ビジネスホテルなどを転々としながら旅をします。今では考えられないことですよね。
    真冬の層雲峡の雪まつり会場でアイゼンを付けて氷の斜面を登りながら中継したり、めずらしい野菜で作られたアイスクリームを「全種類食べて、感想を言ってください」というスタジオからの無茶振りに応えたり、体を張るものも多かった。露天風呂などの温泉中継では、熱い風呂の中でリハーサルからスタンバイまでしている間にへとへとになりました。
    でもこの仕事は、今の自分の根底をつくってくれたと思っています。カメラの動線をどう確保するか、短時間で本番に向かう瞬発力、現地の人と距離を詰めるにはどうすればいいか、現場を重ねながら多くを学ぶことができました。

  • 仙台局時代には、東日本大震災が起きました。

    2011年3月11日は、その日の夕方からの番組の準備で局にいました。大きな揺れが来たときに最初に思ったのは「スタジオに行かなきゃ」でした。アナウンサーは緊急時には真っ先にスタジオに入る訓練を受けていましたから。
    スタジオへ向かう廊下の壁が歪んで見えるほどの大きな揺れでした。数日前から地震が頻発していたので「宮城沖地震だ!」と私は思い込んでいました。その30分後に来る大津波をイメージできていなかったのです。今もそのことが悔やまれて、悔やまれてしかたない。

  • 震災報道に携わりながら感じたことは?

    空からの映像を見ると、それまで自分が取材で回った沿岸部が無残に消えている。実際に足を運んで被災者の方々の声を聞くと、自分たちが届けていた情報が現場で求められていた情報とひらきがあったことを突きつけられました。「あなたたちは、広範囲の給水情報を流していたけど、自分たちはこの地域のガスがいつ復旧するのか細かく知りたかった」など・・・。自分なりの最善は尽くしましたが、それでも無力さや未熟さを思い知らされる日々でした。

  • 今年で震災から10年が経ちましたが、何か変化ありましたか?

    10年という歳月は、あくまでも時間の長さであって、私にとっては節目にもなっていません。それは被災された多くの方々も同じではないでしょうか。
    まちが新しくなるという復興もありますが、もっと大切なのは大変な思いをされていまだに時間がそこで止まっている方々の心の復興だと思います。自分もあの日々のことを心の中に抱えたまま、今もここにいます。
    みなさんの心の復興が少しずつでも進んでいけるように、自分もできる限りのことをしていきたいと思っています。

  • ほかの仕事で印象的なことは?

    青森放送局にいたとき、縄文の文化や三内丸山遺跡が全国的なブームになって、私も遺跡の発掘責任者の方に協力していただいて頻繁に中継を出しました。
    じつは私が生まれ育った秋田県鹿角市にも環状列石(ストーンサークル)があって、小さいころから縄文や遺跡が大好きでした。
    今年、三内丸山遺跡やストーンサークルが含まれた「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたときは、自分のことのようにうれしかった。そして何より地元のみなさんに「おめでとうございます!」と声を大にして言いたいです。

11/1
声には「人」が出る。
  • これからチャレンジしてみたいことは?

    今はラジオニュースなどを中心にやっていますが、音声の幅をもっと広げるようなナレーションや朗読も引き続きやっていきたいですね。
    もう一つは、アニメのアテレコにもチャレンジしてみたい。私が松山局にいたとき、ある有名な声優の方にお越しいただいて、防災番組のナレーションをしていただいたことがあります。私たちとはまったく違うアプローチでしたが、すごく伝わってきました。こういうアプローチもあるのかと衝撃を受けたので、できることならそのノウハウをぜひ勉強したいですね。

  • もっともっと声にこだわった仕事がしたいと?

    お知らせや天気予報などはもしかするとAIにとって代わられるかもしれませんが、ナレーションや朗読にはそれを読むアナウンサーの個性や、それまで生きてきた人生がにじみ出ます。
    私も50歳を過ぎて、若いころには出せなかった色合いや濃淡が少しですけれど出せるようになってきたと思っています。

  • その人の生き方や経験が声に出るということですか?

    声には「人」が出る、と思っています。その人がどんな経験をしてきたか、どんなことに興味をもっているか、そういうことも出てしまいます。
    今は、若いアナウンサーに指導することもありますが、その人が興味をもっているジャンルのニュースを読ませるといきいきと読む。ところが、ふだん関わりのない経済統計のニュースになると、ただただ数字の読み上げになってしまう。
    そこで、この数字の一つひとつ私たちが毎日食べたり、飲んだりしているものと、こんなふうに暮らしとつながっているんだよと説明したあとに読んでもらうと、声が変わってくるんです。

  • アナウンサーを目指す人にアドバイスを。

    誤解を恐れずに言うと、アナウンサーだけを目指さないでほしい。
    これまでいろいろな仕事をしてきて、さまざまなアナウンサーを見てきて思うのは、社会人になるまでにその人がどんなことをしてきたか、どんな世界を見てきたか、それがその人の個性だったり、引き出しの多さにつながります。決して無駄な経験はありません。
    あとは、自分の価値観だけに寄りかからず、いろいろな価値観があることを複眼的に見てほしいと思います。

  • 最後に、今プライベートで楽しんでいることは?

    8月から、保護猫を1匹、家でお世話しています。保護猫シェルターに通ううちに、子猫を預かることになったのですが、もうかわいくて、かわいくて。仕事から帰るたびに癒やされているので、もしかすると私がお世話されているのかもしれません(笑)。

  • ありがとうございました。

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