NHKアナウンス室

アナウンサー仕事の流儀

バックナンバー↓

インタビュー 冨坂和男

スポーツには、勝負を決める一瞬がある。
2/7
大切なのは『勝負勘』を養うこと。
  • 現在の仕事について教えてください。

    昨年(2021年)の11月から東京勤務になりましたが、それまでは大阪放送局でスポーツ実況を担当しつつ、スポーツデスクとして春夏の高校野球、プロ野球、サッカー、駅伝など関西のスポーツ中継全般でアナウンスチームの運営と育成指導を担当していました。
    今回の東京勤務では、引き続き自らマイクに向かいつつ、関東甲信越エリアの若手の育成を担当しています。

  • 若手の育成では、どういう点に注目していますか?

    勝負の流れをつかめるかどうか?スポーツアナウンサーにとって『勝負勘』はとても大事だと思っています。
    具体的に『勝負勘』ってなんだ?と聞かれると明確に答えることはできませんが、その勝負やゲームの流れを捉え、どこが勝敗のポイントになるかを感じ取る嗅覚のようなものです。

  • それは教えることが難しいものでは?

    たくさんの試合やゲームを、目的をもってみながら経験を積むことしかないですね。どこが勝敗を決めるポイントになるかを常に考えながら、感じながらみる。ひとつとして同じ試合はないので、説明したり、教えたりすることはできません。
    もちろん試合終了後なら、振り返ってあそこが勝敗を分けるポイントだったと言えますが、私たちはそれを現在進行形であるライブの中で、まさにその瞬間に感じ取らなくてはいけません。

  • とても感覚的なものなのですね。

    でもそこが、ライブであるスポーツ中継の一番のだいご味であり強みだと思います。
    その一球が、そのプレーがゲームを大きく動かすかもしれないと感じたときに、「ここだ!」と気付けるかどうか?「これは勝敗を左右する場面かもしれない」と感じながら実況できるかどうか?その一瞬がスポーツ中継で一番大事だし、スポーツアナウンサーとしての技量が試される瞬間でもあります。

  • それは、あらゆるスポーツに言えることですか?

    個人競技であれ、団体競技であれ、突き詰めれば人と人の勝負です。競技によってルールは違いますが、勝負の根底には共通するものがあるのではないでしょうか。それは一体何だろう?というのは今も思案しています。
    どっちか勝つか、負けるか?その勝敗を決めるであろうポイントはどこだ?というシンプルな観点、『勝負勘』は、あらゆるスポーツに共通するものだと思います。

  • そのほかにも大切にしていることはありますか?

    選手やその競技に対するリスペクトです。
    あらゆる試合やゲームは、私たちが中継するために行われているのではありません。中継させてもらっているのです。そこは勘違いしてもいけないし、決して忘れてはいけないことです。
    また、試合会場やスタジアムの空気を愛すること。勝負の舞台をとことん愛することも大事です。
    あとは、視聴者の皆様に「楽しんで頂く」心がけでしょうか。皆さん楽しむためにスポーツ中継をみて下さるわけです。ひいきの選手やチームが勝てば喜び、負ければ悔しがる。それも含めてスポーツ観戦は楽しいもの。私たちは、その楽しみをより深く味わっていただくお手伝いを心がけたいものです。

2/14
長野五輪が背中を押してくれた。
  • 学生時代は、どのように過ごしましたか?

    小学校から高校まで剣道に没頭していました。特に高校の3年間は、剣道一色と言っていいくらいです。
    高校1年生のときに、当時の3年生がインターハイ(全国高校総体)への出場を決めた試合を観客席で応援していて、自分も絶対にインターハイへ行きたいと思うようになりました。

  • その夢はかなったのですか?

    高校3年生のとき、個人戦で県の代表として全国大会に行きました。
    その県代表を決める試合は、これまでの人生の中でも一番の勝負というか、最も緊張した数分でした。

  • 剣道を通して学んだことで、今に生かされていることは?

    相手選手に対する礼儀やリスペクトする気持ちを知らず知らずのうちに学びました。
    あとは、小学校から高校にかけてずっと重ねてきた試合経験によって、勝敗を分ける『勝負勘』みたいなものに敏感になりました。そしてそれは、今の仕事の礎になっているように思います。

  • 就職活動のときから、スポーツアナウンサー志望だったのですか?

    まったく考えていませんでした。就活でも、色々な業種の企業を受けていたし、内定をいただいていた会社もありました。マスコミ関係はその中のひとつでしたが、最後にNHKから内定をもらって、迷いましたがNHKに決めたという感じです。希望はアナウンサーでしたが、そこに明確な理由や意志があったわけではなくて・・・。

  • それでもスポーツアナウンサーを目指そうと思ったのは?

    入局当時は、活躍されていた先輩のスポーツ実況を聞いて「とてもこんなことは自分にはできるはずがない」と思っていました。でも、スポーツは好きだったので、もしやることができたら楽しいだろうな・・・最初はそんな感じでした。

  • 憧れだけだったのですか?

    自信がなかったし、一歩踏み出す勇気がなかった。
    ただ、初任地として赴任した長野市は1998年の冬季五輪の開催地に立候補していて、赴任した2年目の6月に開催地が長野に決まりました。
    僕は志賀高原にある中学校で町民のみなさんと開催地発表の瞬間を見届けるという中継を任されていました。日本時間の明け方、「98年の開催地、NAGANO」と発表があり、会場のみなさんと一緒に狂喜乱舞したのを覚えています。それは本当に感動的な瞬間でした。
    そのとき、「自分も1998年の長野五輪に関わりたい」と強く思ったんです。不安もあったけど、「スポーツアナウンサーを本気で目指そう!」と。

2/21
常に自分をアップデートする。
  • スポーツ関係の仕事が増えていったのはいつごろですか?

    全国レベルのスポーツの仕事が増えていったのは、2局目の大津放送局(滋賀県)時代からです。関西の拠点である大阪放送局では、春夏の高校野球の全国大会、プロ野球、マラソン、高校駅伝など、大きなスポーツイベントがたくさんあったので、そのお手伝いとして呼ばれるようになりました。あくまでも、勉強を兼ねたお手伝いです(笑)。
    スポーツ以外の仕事もたくさんやっていたし、スポーツアナウンサーになれるかどうかまったくわからない状況でした。

  • スポーツアナウンサーとしてのスタートは?

    スポーツアナウンサーを目指す者の最初の関門は高校野球の全国大会(甲子園)でのラジオ実況です。僕の場合は、大津局の2年目、アナウンサーになって7年目に春の選抜高校野球で実況デビューさせてもらいました。
    それまでいろいろな研修に参加したり、自分が地方大会でしゃべった実況録音を聞いてもらってアドバイスや指導をしてもらったり・・・そうしてやっと「よし、今度、やってみろ」と言われたのが、1996年の春の選抜でした。 それが、実質的なスポーツアナウンサーとしてのスタート地点です。

  • 目標だった長野五輪には呼ばれましたか?

    運よくハイビジョン中継の実況メンバーに加えてもらえました。当時はハイビジョン放送が、今でいう4Kや8Kのように単独のBSチャンネルとしてありました。僕はアルペンの担当として白馬に籠もりました。
    そこで自分の目標は達成されましたが、スポーツアナウンサーとしてはまだまだ未熟だったので、もっと上手くなりたいという欲が出てきました。

  • スポーツ実況もやるけど、他の仕事もやるという感じですか?

    長野五輪があった年の夏に東京勤務になったのですが、そこからは100%スポーツ担当になりました。
    1996年春の甲子園での実況がスポーツアナウンサーとしてのデビューだとすると、そこから25年くらいやっています。今は、後輩の指導にも携わるようになりましたが、まだまだ1プレーヤーとして、新人のころのひたむきな気持ちを忘れずにスポーツ実況をやっていきたいですね。

  • スポーツアナウンサーとして常に心がけていることは?

    若手選手は次々に出てくるし、監督が変わるとチームの戦術も雰囲気も変わります。中継放送の技術的な進化もあるし、何より時代の空気も変化があります。ですから、常にアップデートしていかないと、自分も放送もすぐにさびてしまう。そこは、年齢を重ねても、キャリアをいくら積んでも忘れてはいけないことです。

2/28
最後は、人間力の勝負です。
  • 今の自分に大きな影響を与えた人は?

    大津放送局時代には、とても厳しい大先輩に指導していただきました。僕の甘さもあったのですが、数年間はいつも説教されたし、どなられていました。
    ただ、その先輩はスポーツアナウンサーとしての独自の哲学というか美学をもっていて、苦しかったけど勉強になる部分はたくさんありました。

  • 具体的にはどのようなことを言われましたか?

    たとえば、プロ野球の取材に球場に行くなら、表面的な取材はするな、自分の野球観を磨くことのできる深い取材をしなさいと何度も言われました。「相手投手の攻略法は?」とか「今日は何点勝負になりそうですか」など、今日の放送でしか使えない質問は取材じゃない。「そうか、野球にはそういう見方や考え方があるのか」と自分の野球観を深めることができる取材でないと意味がないと。普遍化できる話をいかに多く聞くか、ということですね。

  • 取材する者の心構えを教わった。

    現場で選手や監督に質問を投げかけるときには、NHKという3文字を使うなとも言われました。「NHKですが」と言えば相手は立ち止まってくれるだろうが、そんなことはするな。自分の質問内容で相手を振り向かせろと。
    その通りだと思うし、それが理想だと思いますが、入局数年目の自分にとってはハードルが高過ぎて、すごく悩みました。
    ただ今思うと、アナウンサーとして、実況者として、取材対象やスポーツにどういうスタンスで向き合えばいいのかをたたき込まれたように思います。

  • その先輩には一度も褒められなかったのですか?

    僕がその先輩とはじめて会ったのは、甲子園デビューの前年、ラジオで軟式高校野球の決勝の実況をしたときで、横でサポートをしてくれていました。
    ところが試合後、激しい口調でダメ出しされまして・・・いきなり打ちのめされました。それからはひたすら、場所を問わず会えば必ず厳しい指導を受ける日々でした。褒められた記憶はありません。
    ただ、そんな日々を5年ほど過ごし、その先輩がもうすぐ定年退職というときにかけられた、忘れられない一言があります。
    一緒にお酒を飲みながら、でした。しみじみと「君の放送をはじめて聞いたあの軟式高校野球の実況はすばらしかった」と言って下さったんです。今思えば、最高の褒めことばだったかもしれませんね。
    でもすぐに「今の君は、あのときの放送を越えられていない。あのときのひたむきな気持ちを忘れないように」と結局は叱られましたが(笑)。
    今、その先輩から学んだことと自分の経験の中で見いだしたことをミックスして後輩に伝えています。当時は本当に怖い人だったけど、今ではあの厳しい指導を頂いたからこそ今がある、と思っています。

  • スポーツアナウンサーを目指す人へアドバイスを。

    さまざまな経験を積んだり、いろいろな世代の人と話をしたりして、自分の幅を広げてください。自分のなかにたくさんの引き出しをもってください。
    人に興味を持てるか?これはとても大切だと思います。スポーツもそのほかの番組も、すべては人を描くものです。
    また、ライブで勝負するスポーツアナウンサーは、その瞬間、その瞬間で一番適した言葉を発しないといけません。その人の見方、考え方、感性、捉え方などで表現はまったく違ってきます。
    自分のことを棚に上げて言うと、最後は人間力の勝負だと思います。その人がどれだけの経験を積んで、どれだけ多くの引き出しをもっているか?最後にものを言うのは、そこだと思います。

  • ありがとうございました。



ページトップへ↑