NHKアナウンス室

アナウンサー仕事の流儀

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特集 自分の経験とアナウンサーの仕事
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言葉の持つ力。 林田理沙
  • 子どものころの夢は何でしたか?

    5歳からピアノを習っていたのですが、中学生の頃から、世界の人々が少しでも安らげるピアニストを目指したいと思うようになりました。
    転機となったのは、高校2年生の時に出場したコンクールです。ピアニストの夢を叶えるため絶対に納得できる結果を出さなければと意気込んで臨みました。でも、演奏の途中で指が止まってしまったんです。もともと、ステージに立つことや人前で演奏することが大好きで、練習よりも本番の方が手ごたえを感じることが多かったのに、なぜかその日は、突然頭が真っ白になって……、曲の続きがわからなくなってしまいました。初めての経験でした。この一番大事な日に限ってなぜこんなことになったのだろうとショックを受けました。同時に、一度限りの演奏で全てが決まってしまう、常に最高のパフォーマンスを求められるプロの世界は厳しい世界なのだと改めて痛感しました。
    ピアニストになりたいという夢はあきらめ、進路を考えなおそうと思いました。

  • その後、目標はどう変わりましたか?

    音楽の世界に身を置きたい、音楽で世の中に貢献できれば、という思いは強かったので、大学は音楽学部に進み、大学院の音楽研究科でも学びました。
    アルバイトでもクラシックコンサートの制作スタッフやNHK交響楽団のコンサートスタッフをしていました。
    そして、卒業後の仕事としては、音楽番組を作るディレクターに憧れるようになりました。

  • どんなきっかけでアナウンサーを志望するようになったんですか?

    就職活動を前に進路について改めて考えていた時、知人からすすめられたことがきっかけでアナウンサーの仕事に興味をもちました。その時に思い浮かんだのは大学3年生のときに起こった東日本大震災でのNHKアナウンサーの姿でした。スタジオから避難を呼びかけたり、避難所から不足しているものを伝えたり、アナウンサーは、言葉の力で人の命を守る仕事なんだと、改めて、興味を持つようになりました。

  • そういえば、大学時代にオーケストラサークルで指揮をしていたとき、言葉で自分の思いを伝えることの難しさを実感したことがありました。指揮者は、大勢いるオーケストラの団員に自分がイメージしている音を伝えなければいけません。しかし、大勢いるオーケストラの団員に自分がイメージしている音を伝えるのはとても難しいことです。たとえば、「芯のある音で」と言ったことがあるのですが、みんながイメージする「芯のある音」は千差万別で、思っていた音は出てきませんでした。いろいろ思い悩んで、「スパゲッティのアルデンテの茹で加減をイメージしてください」と言ったら共通のイメージがパッと伝わって、私が表現したかった音が聴こえてきました。そのとき、正確に伝える言葉の表現の難しさや大切さ、そして、言葉の持つ力を感じたんです。
    今思えば、その体験も、アナウンサーに興味を抱くきっかけだったような気がします。

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ボート部中心の学生時代。 井上裕貴
  • 少年時代はアメリカで過ごしたそうですね。

    2歳から18歳までアメリカで育ちました。家族はいまもロサンゼルスにいるのですが、わたしは、大学進学のタイミングで日本に戻って来たんです。アメリカの大学に行くという選択肢もありましたが、日本の文化に憧れがあったし、自分のルーツである国をもっと知りたいという思いもあり日本の大学を選びました。

  • 日本での大学生活はどうでしたか?

    生活の中心はボートでした。
    ボート部の合宿所で仲間たちと生活しながら、日本ならではの習慣や人との接し方など、社会人になっても役立つスキルをたくさん学ぶことができました。

  • どんなことを学んだのですか?

    大会運営などを担当するマネージャーを2年務めたのですが、そこでの仕事、出会いが、自分の成長につながったと思います。
    部員をサポートするだけでなく、ほかの大学と協力して全国大会の運営に携わったり、事務局員として社会人ボート関係者との窓口になったりしました。
    人々の目に触れる競技に出場するのではなく、外からは見えにくい仕事をしてきたことが、当時の自分にとっては意味のあることだったし、それは今の仕事にもつながっています。

  • 今にどうつながっているのですか?

    資料を読み込んだり、事前に取材したり、アナウンサーはテレビに映っていない時間がとても大事です。外からは見えにくくても、絶対に必要なことをマネージャーの仕事をしながら学ぶことができたんです。
    また、私たちは取材先の方やゲストの言葉を視聴者にわかりやすく伝えるのが仕事です。そのためには、多くの準備が欠かせません。マネージャーも選手たちにいいパファーマンスを発揮してもらうための準備をします。アナウンサーとマネージャーに共通する部分だと思います。

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取材して、自分の声で伝えたい。 合原明子
  • どんな学生時代を過ごしましたか?

    中学と高校では演劇部に入っていました。演じるだけでなく、衣装、照明、音響効果、舞台装置などをみんなで作り上げていくことがおもしろくて、夢中になっていました。 また、演じる上では、台本に書かれているセリフを覚えて話すだけでは、 演じる役の気持ちが見ている人に届かないと思っていました。書かれている文字の意味をどれだけ理解して生きた言葉にするかが大切だと。 それは、今の仕事につながっているかもしれませんね。

  • 大学生のころにはどんな思い出がありますか?

    大学2年のときにスペインに旅行に行って、スペインの人たちの明るさや、人懐っこさに驚いたことを覚えています。 それで、3年生のときに10か月間留学することにしたんです。スペインでは、はじめは言葉の壁もあって、なかなかなじめず、どうしようかと思い悩みました。でも、それは自分が壁を作っているからではないかと考え、せっかくスペインにいるのだから1日1日を楽しもうと気持ちを切り替えたんです。そうしたら、出会いもどんどん広がって友人もたくさんできました。 自分の気持ちや考え方しだいで、状況はガラリと変わるんですよね。そのことを身をもって知ったことは、とても大きかったように思います。

  • アナウンサーを志望したきっかけは何ですか?

    大学で受けたドキュメンタリー映画の授業です。物事を、いろいろな視点、切り口で見ることで、それまで見えなかったもの、わからなかったことが浮き彫りになることに心を動かされました。 その授業がきっかけで、取材ができるマスコミで働いてみたいと思うようになりました。そして、中学、高校と演劇部だったこともあり、自分が取材したことを自分の声で伝えるアナウンサーになりたいと思うようになったんです。

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創作ダンスで知った伝える喜び。 塩田慎二
  • どんな学生時代を過ごしましたか?

    ミュージカルが好きで、ダンスをしたいとずっと思っていたので、大学ではモダンダンス部に入って創作ダンスに熱中していました。

  • どんなダンスに取り組んでいたのですか?

    たとえば『震災』や『虐待』、『コミュニケーション』など、ひとつのテーマを設定して、ダンスで表現していました。ちょっと演劇に似た要素もありますね。
    大学4年生の時には『全日本高校・大学ダンスフェスティバル』で上位入賞することができて、その演技はNHKのEテレでも放送されました。ですから、私のNHKデビューはアナウンサーとしてではなく、ダンサーとしてだったんです。

  • どうしてアナウンサーを志望したのですか?

    創作ダンスを通して、人々に思いを伝え、心を動かすことの難しさと、やりがいを感じていました。だから、表現者として、社会の役に立てる仕事をしたいと考え、アナウンサーに興味を持つようになったんです。
    また、大学では、教育学部で障害のある子どもたちへの教育を学んでいました。教育にも関わっていきたいと考えていたので、EテレがあるNHKを目指すようになりました。

  • 創作ダンスは、今の仕事に役立っていますか?

    ひとつのテーマを伝えるために、深く考え、1を表現するために10を用意するようにしっかりと準備をする。準備を大切にすることを創作ダンスから学びましたが、これはアナウンサーにも共通することだと思います。

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