NHKアナウンス室

アナウンサー仕事の流儀

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インタビュー 近田 雄一

視聴者の一つの通過点として自分が機能するように

いつかは自然系、動物系番組にたずさわりたかった

――アナウンサーを志したきっかけを教えてください。

近田「子どもの頃からテレビが好きだったので、ばく然と「テレビ業界で働ければいいな」とは思っていました。本格的に目指したいとなったのは大学に入ってからですね。 活動そのものが面白かったことに加え、放送業界の情報を共有することができたためアナウンス研究会に所属していましたが、「絶対にアナウンサーになるんだ!」といった感じではなかったです。自分とすれば「テレビ業界で働ければ」という思いが強かったため、NHK・民放問わず、民放はディレクター職も含めて受験しました。業種にはこだわらず、"作る側"に行ってみたいという気持ちですね。」

――どんな番組が好きだったのですか?

近田「現在担当している『ダーウィンが来た! 生きもの新伝説』につながってくるのですが、当時放送されていた『生きもの地球紀行』などは特に好きでした。子どもの頃から動物や昆虫が大好きだったので、自分でもそういった番組に関わりたいなぁと。神奈川にあってとても自然が豊かな場所で育ちました。山や雑木林などで虫取りをするのは日常茶飯事です。そんな子ども時代もあって、自然系の番組が好きだったんですよね。」

――思いが通じて、『ダーウィンが来た!』にたどり着いたのかもしれませんね。

近田「面接時から、いつかは自然番組のナレーションをしてみたいという気持ちは伝えていたと思います。入局後も毎年希望として、そういった意思があることは伝えていたので、その部分に関してははじめからブレずに持っていたと思います。ディレクターとして動物番組を手掛けてみたいという気持ちもあったのですが、やっぱり目立ちたがり屋なんでしょうね(笑)。」

近田「就職活動だったからなのか、テレビ局というあこがれの場所を受けていたからなのか分かりませんが、試験が進むにつれ非常に気持ちが落ち着かないというか、イヤ~な感じになっていったことを思い出します。「NHKに入るんだ!」「絶対にアナウンサーなるんだ!」といった強い気持ちを持つ人たちがいる中で、果たして自分はそこまで確固たる気持ちを持っているのかなって。そう尋ねられると揺らぐような気がしたし、面接で手ごたえをつかむような出来でもなかったですから。」

――初任地・静岡局はいかがでしたか?

近田「自分の力のなさを痛感するのみです。研修のときは横並びというか、実力差もそれほど気にならなかったので楽しかった。座学に関しては、私は新人の中で1.2を争うレベルで寝ていたと自負しています(笑)。もちろん初任地に赴任するとなれば、気持ちも新たに「しっかりやるぞ!」と覚悟を持って臨んだ......はずだった。ところが、やっぱり壁にぶつかる、ぶつかる。とりわけ企画提案のための取材には苦労しました。」

――近田さんはそれをどうやって克服していったんですか?

近田「とにかく地元新聞を見て、気になったものを見つけたら連絡して足を運ぶ。その繰り返しですね。話を聞くと、「以前にも似たような取材を受けたよ」なんてこともあるのですが、探っていくとどこかで新しさや違う切り口があることに気が付きます。まずは足を運んで話を聞くことですよね。そして、聞いたことをいったん持ち帰って、どういう企画としてなら成立するかを考えて提案としてまとめていました。まずは足を運びそこから提案を生み出す。提案を生み出す環境を作るために、いかにして足を運び耳を傾けるか。それを愚直に続けていましたね。」


近田アナウンサー あの日あの時

横須賀線とともに記念撮影。鉄っちゃん(鉄道ファン)だと公言する近田アナ。このときから片鱗を見せ始めていた!?



オニヤンマのヤゴを捕まえてきて、う化させることに成功。子どもの頃から生き物が大好きだった。



大学時代に所属していたテニスサークルの面々と卒業旅行でヨーロッパへ。



アナウンサーを辞めようとも思った青森時代

――初任地時代、印象に残る仕事として思い返されるものは何でしょうか?

近田「新人という中でも手応えを感じつつ、楽しかったと振り返れる仕事は、静岡各地の商店街からの中継でしたね。同じ静岡でも、探してみると各地に様々な取り組みをしている商店街がありました。私は神奈川出身だったため、静岡はそこそこ馴染みのある場所だと思っていたのですが、ふたを開けてみるとそんなことはなかった! 知らないことがたくさんあって、地元や地域を応援するためのものやアイデアがたくさんある。静岡県内各地の商店街にうかがうことで多くの発見がありましたし、中継スキルも鍛えられました。人に話を聞くことの難しさや面白さ、さまざまなことをこの中継から学ぶことができたと思います。また、地域によって規模の異なる各商店街の魅力を、いかにして放送時間に収めることができるか? どうやって導線を確保しケーブルをひくか? といった制作的な面も鍛えられましたね。」

――そして、二局目は青森局です。

近田「4年間の静岡時代を経て、中継の面白さに気が付いたためそういった方向を深掘りしてみたいという気持ちを持って臨んだのですが......非常に厳しい時代でした。今思い返しても、よくアナウンサーを辞めなかったなぁと思うばかり。青森に赴任して1~2年は、恥ずかしい話ですがくすぶっていましたね(苦笑)。」

――今の近田さんからは想像できないです。

近田「どんな提案を出しても手ごたえがなく、モチベーションが上がらなかった。具体的な成長や発展がないため、「このままアナウンサーを続けたところで意味があるのか?」と考えるばかりで、空しくなって辞めようかと思うことも。とは言え、当然自分に非はあったわけです。自分の力でもっと切り開いていくべきだった。悔しさや腹立たしさをエネルギーに変えなかった自分の甘さ、ですよね。ジャーナルな視点をもって地元に向き合い、全国に青森の良いところを伝えていく役目がある。そこに気が付かなかった己の未熟さについては猛省するのみですね。」

――でも、風向きが変わってきた?

近田「新しく担当になったデスクにとことん鍛えられました。自分がくすぶっていても、そんなことは視聴者に関係のないことであって、役割を果たさなければならないことにようやく気が付きました。本当は私が赴任当初から、若手を牽引する立場で頑張らなければいけなかったのに......情けない限りです。新しいデスクは年も近かったため、いろいろと仕事の相談に乗ってくれる存在であったことも大きかった。「頑張らないといけないな」と思えるような人でした。仕事に対して"そもそもの部分"を再考するきっかけになり、「もう少しアナウンサーを続けてみよう」と思い直すようになりましたね。今の自分があるのは、いろいろと思い悩んだとはいえ青森時代があったから。自分を成長させてくれた場所であることは間違いないです。」

――青森から東京へ。現在では多岐に渡るジャンルを担当するにいたっています。

近田「静岡と青森を合わせれば9年間、特定の番組につかずいわゆる遊軍として活動していたため、自分としては「何でも来い」という気持ちで臨みました。東京に赴任して思ったことは、"スピード感"。静岡や青森は、一つの中継やリポートに向き合って、ある程度時間をかけて作ることができた。ところが、東京は違った。次から次に押し寄せる業務のスピードにいかにして食らいついていくか。地域の仕事が助走が十分にできる"走り幅跳び"だとしたら、東京の仕事は"立ち幅跳び"です。助走なしで結果が求められる、文字通り足腰を鍛えていかないと追いつけない。赴任直後は首都圏放送センターのリポーターを担当していたのですが、周囲の仕事の早さに圧倒されたことを覚えています。」

近田「2008年から東京にいるので今年で東京9年目です。同期の高瀬耕造アナ、山田賢治アナも同じ年に東京へ赴任し、3人とも今年で9年目を迎えます。NHKのアナウンサーは転勤族ですから、その覚悟を持って毎年仕事に臨んでいます。どんどん若手が来て新陳代謝が進んでいく中で、彼ら彼女らと戦えるくらい自分を磨き続けて新しくしていかなければという気持ちがあります。若い人たちの勢い、キレ、輝きを見るとすごいんですよ。焦りも当然ありますし、自らを引きしめていかないといけません。そういう危機感は東京4年目くらいからいつも持ち続けていますね。」


近田アナウンサー あの日あの時

静岡局時代は同僚と共に富士山登山にも挑戦。



苦しみもがいた青森時代。慣れない雪かきに一苦労。



"読まない"ナレーションにするために心がけていること

――現在ナレーションを担当している『ダーウィンが来た! 生きもの新伝説』において心がけていることは何でしょうか?

近田「見ている人が楽しんでくれるようなナレーションを心がける。そのためにナレーションなんですが、"読まない"ようにしています。「生き物の世界ではこんな楽しいことがあるんだよ」「生き物ってすごいよね~」ということをいかに自然に伝えるか、ですね。」

――ナレーションの風景を拝見したときに、身振り手振りを交えているのが印象的でした。

近田「プレゼンをするような気持ちがあるので、自然と手が動いてしまうんですね。「これってすごいでしょ!?」と誰かに伝えるときって身を乗り出したり、手振りを交えたりすると思うんですね。その気持ちを正直かつ大切にするようにナレーションをしています。まさしく"読まない"。かつて自分が、『生きもの地球紀行』を見たときの感動やわくわく感を忘れないようにしています。自分が届ける側になったときに、昔の自分のように番組を楽しみにしている人がいると思うんです。現在札幌局にいる後輩の糸井羊司アナの子どもたちが"ダーウィン好き"なんですよ。私以上に放送した回の生きものたちについて詳しくて(笑)。嬉々として話している姿を見て、子どもたちはこういう風に番組を覚えていて真剣に見ているんだなって。一層責任を持って臨まないといけないと痛感しました。」

――『ダーウィンが来た!』 では、さまざまなナレーションがありますよね?

近田「生き物が違えば特徴や生態も異なります。テーマも子育て、戦い、人間との関係、生死などさまざまです。意識して変えるのではなく、どうやって番組の構成や意図を自分の中に落とし込むか......それが自然とした語り口になっていく。プレゼンするパート、ヒゲじいと掛け合うパート、生きものになりきって語るパート。一文ごとに変わることも珍しくないので、メリハリをつけてナレーションをするように心がけていますね。最初は引き出しがなかったので苦労しました(苦笑)。ダーウィン以前にレギュラーでナレーションの仕事を担当したことがなかったので、ひたすら研究の日々。それこそ他のアナウンサーが担当するダーウィンのナレーションを書き起こし、それを声に出して練習するところから始めました。これくらい抑揚をつけていいんだとか、間を空けていいんだとか、聴き比べることで分かってきましたね。」

近田「最初の段階では台本を見ないようにしています。まず、ナレーションの入っていない映像(DVD)のみ見る。映像に力がある番組なので、どういうストーリーなのかを映像から理解するようにしています。そうすることで、解説が必要な場面はどこか、かみ砕いてゆっくり話した方がいい場面はどこか、BGMに乗って語ったほうがいい場面、といったことが整理しやすくなります。この映像を撮るために現地で撮影をしているディレクターやカメラマンの苦労は大変なもの。最後の最後にナレーションを吹き込む自分が台無しにするわけにはいかないので、スタッフの意図や気持ちも汲み取って向き合いたいんですよね。」

――ダーウィンに加え、土日祝日の『おはよう日本』、『先人たちの底力 知恵泉』という異なるジャンルの番組を担当されています。やりづらさを感じたりすることはないのでしょうか?

近田「ダーウィンで得た情報が「おはよう」で活きたり、「おはよう」で伝えたことが知恵泉につながったり、相乗効果があるのでむしろありがたいです。どのジャンルの番組を担当するときもそうですけど、自分自身の楽しみではなく、見た人が「良かったな」とか「元気が出た」とか、そう思ってくれるように努めなければならない、と。一方でともすると"広く浅い"ことが自分の弱点でもあると思っています。たとえば同期の高瀬アナは報道、山田アナは福祉分野のいわばエース。若手を引っ張っている姿を見ると、負けられないと引き締まると同時に、「自分はどうなんだろうかと考えてしまう部分もありますね。」

――その上でご自身が考える将来のアナウンサー像とはどんな姿でしょうか?

近田「専門性を磨いていきたいという気持ちはあるのですが、やはり今はまだ「何でもやります」という気持ちが強い。あまりこだわりがないだけかもしれませんが。それだけに、"来た仕事を全うする"ことを心がけています。自分の可能性を狭めずに、いろいろなことと向き合っていければ。それが見ている人にとってプラスになってくれれば言うことなしです。視聴者の一つの通過点として自分が機能したらいいなって。自分のこだわりではなく、視聴者に向き合い、届ける意識。それを持ち続けていきたいですね。」


近田アナウンサー こだわりの道具

「指サック」

近田「指が乾燥してしまうので、これがないと原稿がめくれません(苦笑)。実は『おはよう日本』の放送中もずっとつけているんですよ。よ~く見ると分かるかもしれませんよ!」



「自分用構成表」

近田「毎回台本とは別に、お手製の自分用構成表を用意します。台本を読んでいると一文一文に集中し過ぎて、シーンが集合しているパートの意図が疎かになってしまうときがあります。例えば26:05~27:03のパートは「若タコの試練、大人になるため、狩りの腕を磨いていく」というようにメモしておくことで、どういう気持ちでナレーションをすればいいかが整理しやすくなる。何に対してフォーカスが当たっているのかが頭に入っていないといけないので、この構成表は欠かせません。」



鉄道関連のニュースを読むときはこみ上げてくるものがある

――近田さんのリフレッシュ方法は何でしょうか?

近田「鉄道ですね。いかんせん"鉄分"が強いものでして......乗車することが好きな"乗り鉄"、写真を撮ることが好きな"撮り鉄"という類いの鉄道好きです。休みがあると"18きっぷ"を利用して旅に出ますし、引退前の北斗星やトワイライトエクスプレスなどにも乗りに行きました。」

――何か原体験のようなものがあったのでしょうか?

近田「物心ついたときには好きになっていました。とは言え、学生時代は一旦、離れていたんですが、青森時代に再燃したんですね。青森には夜行列車や昔ながらの鉄道の魅力がたくさんあったので、ハマってしまった次第です。弘南鉄道やストーブ列車でおなじみの津軽鉄道、廃線になってしまった十和田観光電鉄、そして寝台特急あけぼの、懐かしいです。」

――近田さん一押しの鉄道などあればぜひ。

近田「長年走り続けている車両に思いをはせてしまう傾向がありますね。小田急のロマンスカー7000形LSEという古いタイプは、沿線出身としてとても愛着がある。40年近く走行しているので、姿を見ると「がんばれ~!」という気持ちになってしまう(笑)。小田急はロマンスカーだけで4車種、通勤タイプも5パターンあるため非常にバリエーションが豊かな路線です。「お、この車種がこの運用に入ったぞ!」という具合でわくわくするんです。」

――そのわくわく感がいまいち分からない(笑)。

近田「例えばVSEという白いロマンスカーが検査などのため運行していないときなどは、スーパーはこねの運用に普段は入らない車種のロマンスカーが入ることがある。年に数えるほどしかないシチュエーションですから興奮するんですよ(笑)。自分と同じように歳をとっている車両を見ることも好きですね~。例えば東急の田園都市線を走る8500系は同じ年代を生きてきた車種です。昭和51年生まれ、同い年の編成もあります。両毛線などを走る115系、大阪環状線などを走る103系は、国鉄時代から走っている車両なので、いつお役御免になるかもわからない。昭和のロマンを感じる昔ながらの車両に、普通の運賃で乗れるんだから鉄道は最高ですよ~。」

近田「おはよう日本では、ダイヤ改正が土日に行われることが多いため関連ニュースを読むことが少なくないんです。寝台特急あけぼのが引退するとき、北陸新幹線が開業したときなど、鉄道に関する原稿を読むときは感慨もひとしお(笑)。去年3月の北陸新幹線開業のニュースの中で中継映像があり、普通であれば原稿を元に伝えるところ。ところが! "近田は鉄っちゃん"ということを知っているスタッフによって、コメントの部分に「近田(描写)」と書いてあった。30秒あるから思いのたけをぶつけていいよ、というスタッフからの配慮(?)......感激しましたね~。思う存分、素晴らしさを伝えました。隣で和久田アナはひいていましたけど(笑)。」

――鉄道のニュースを伝えているときの近田さんに要注目ですね(笑)。

近田「こみあげてくるものがありますからね。見ているみなさんが和久田アナのようにひかないギリギリの線までは(笑)。視聴者の視点に立たなければいけませんが、このときばかりは我が出てしまうかも......。そのせめぎあいの中で、鉄道の魅力や活躍をきちんと伝えたいですね。」


近田 雄一(ちかだ ゆういち)
1999年入局。静岡放送局、青森放送局を経て、東京アナウンス室。「おはよう日本」土日祝キャスター、「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」ナレーター、「先人たちの底力 知恵泉」店主を担当。神奈川県出身。






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