NHKアナウンス室

アナウンサー仕事の流儀

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インタビュー 近江 友里恵

他人事に聞こえてしまわないように、信頼あるアナウンサーに

原点はジュニア記者と放送部での経験

――アナウンサーを志したきっかけは何だったのでしょうか?

近江「小学校5年生から高校2年生まで、新聞社でジュニア記者をしていた経験が大きいですね。毎週1回、夕方の紙面の一部分を割いて、自分たちで取材したことをまとめて記事にするということをボランティアでやっていました。母親にすすめられて始めてみたのですが、気が付くと記事作りが楽しくなっていて新聞を読むことが好きになるくらい夢中になってしまったんです。」

――どういった内容の記事を作成していたんですか?

近江「4人くらいの班に分かれて、自分たちがインタビューをしてみたい人や、同じ世代で流行っているものや現象を取材するなど、色々なことをしていました。現在は復帰されていますが、引退直後のテニスプレーヤー・伊達公子さんにインタビューをしたこともありました。また、高校2年生の時には当時ちょうど戦後60年ということもあり、シベリア抑留に関する記事を書きました。『劇団四季』でシベリア抑留を描いたミュージカルが上演されるということで、出演される俳優や実際に抑留を体験した方にインタビューをし、生徒目線ではあるもののシベリア抑留の現実を掲載させていただきました。教科書には載らないような貴重なお話の数々を聞かせていただき、話を上手に受け止めることはできなかったと思いますが衝撃的で......自分の知らないことってたくさんあるんだと気付かされました。」

――ジュニア記者なんて呼べないくらい本格的な仕事内容で驚きました。取材のアポイントなどは新聞社の方が行うんですよね?

近江「それが......アポイントや企画書作成も自分たちで行っていました(笑)。」

――ええぇ!? 小学生や中学生でも、ですか??

近江「はい(笑)。当時はメールがなかったので、企画書などはFAXで先方に送っていました。突然、子どもや学生から取材依頼の電話がかかってくるので、驚かれる方もいました。とは言え、取材のプロセスをたどたどしいながらも自分たちで行うことで、「こうやって記事が出来ていくんだ」という楽しさや難しさを知ることができた。だからこそ、新聞を読むことがますます好きになっていったんだと思います。記事を読んでくれた友達から「面白かったよ」って声をかけられることで、新聞の反響のすごさも身に染みましたね。」

――ジュニア記者を通じてマスメディアに興味を持った近江さんが、なぜ記者ではなくアナウンサーの道に?

近江「もともと人前で話すことが苦手、というか嫌いで(苦笑)。それじゃいけないと思って、克服するために中学校では放送部に入りました。 体育祭や音楽祭で司会を担当するうちに、人前で話すことがそんなに怖くなくなってきた。それどころか、「司会、良かったよ! アナウンサーを目指してみれば?」なんて友人から声をかけられて、うれしくなってしまう始末で(笑)。放送部での経験をきっかけに、アナウンサーという職業を意識するようになりました。」

近江「就職活動ではアナウンサーに絞って、というわけではなかったんです。アナウンサーへの道は倍率がとても高いことを知っていましたし、「なりたい!」という気持ちだけでなれる職業でもないだろうなって。民放のアナウンススクールなどに行くと、キラキラした人たちばっかりで「自分とは違う世界の人だ」って不安になるくらいで(笑)。落ちてしまったときのショックを考えると、立ち直れなさそうな自分が......。そこで、アナウンサーという仕事に限定するのではなく、幅広い業種に視野を広げて就職活動することにしました。でも、NHKだけは違ったんですよね。」

――というと?

近江「NHKのアナウンサーは取材をして制作をして編集をして、そして最後に自分の言葉で伝えることができる。その姿は、これまで私が充実感を覚え、楽しいと思えたジュニア記者時代の体験と放送部時代の体験に通じるものを感じたんですね。NHKのアナウンサーであれば、これまで私が通ってきた道を少しは活かせるかもしれない! そして、きっとやりがいのある仕事ができるに違いないって。NHKがもしダメだったらアナウンサーの道はあきらめて違う道に進もう、という気持ちで受験しました。今こうして、アナウンサーの仕事をさせていただいているので、もっともっと責任感のあるアナウンサーにならなければいけないなって気が引き締まります。」


近江アナウンサー あの日あの時

人気子ども番組『ひとりでできるもん!』(教育テレビ/現・Eテレ)が大好きだったという近江アナ。衣装まで完全コピーでなりきっています!



卒業旅行でハンガリー・ブタペストへ。ニュースになるほどの記録的な寒波が押し寄せ、ドナウ川にはまさかの(!!)流氷が。極寒の中で収めた思い出深い一枚。



今の自分にできることを全力でやりきる

――初任地は熊本局です。ジュニア記者時代の経験は活きましたか?

近江「紙媒体と映像媒体ではまったく違うと思い知らされました。面白いテーマがあっても、話だけでは成立せず、映像が伴わないと企画として成立しない。映像で伝えるニュースや情報と言うのは、視聴者に対してビビッドに届くように映像や音が必要なんだなって。「テーマは面白いんだけど映像はあるの? きちんとそれはロケできるの?」と先輩から言われてハッとすることが何度もありました。文章の世界とは違う難しさを体験しました。私の場合は、ジュニア記者時代の先入観があったので、テレビで求められていることを理解するのに時間がかかりました。」

――掘り下げてみたいという分野などはあったのでしょうか?

近江「新聞を通じて、政治経済に興味を抱いていたため、専門的に学びたいという思いから大学は政治経済学部に入学しました。アナウンサーになってもそういった分野に明るくなりたいという気持ちはありますが、新人時代は目の前のことでいっぱいいっぱいで。そういう中で、自分は何ができるだろうかと考えたときに、熊本はもちろん九州初上陸、さらには一貫して東京育ちだった私にしかできない伝え方があるはずだろうって模索していました。地元の方々は「普通だよ」って言っても、私から見てみたら「そんなことないです」「すごいですよ」というものを伝えたいなって。」

近江「例えば熊本には、温泉の熱を利用して生活をしている地域があるんです。東京では考えもつかないですよね!? ガスを使わずに、先祖代々の方法で温泉の蒸気を活用して料理を作ったり、洗濯物を乾かしたりするんです。その様子を『あさイチ』の「JAPAなび」というコーナーで紹介したところスタジオの方も驚いてくれて。やっぱりすごいことなんだなって分かると、手応えとして自分自身の中に蓄積されていくように感じます。私が感じた発見と驚きを、自信を持って提案していこうと思えるようになりました。先輩アナウンサーから、「毎年行われているお祭りやイベントでもきちんと観察していると、ちょっとした違いや変化がある。くまなく探すことで何か発見につながる」と教わったことがありました。ですから、観光課や商工会がリリースしている資料やホームページをくまなく見ることを心がけていました。何か新しそうなことがあると、とりあえず食いついてみる(笑)。 」

――2局目の福岡局はいかがでしたか?

近江「異動直後に、土曜朝の新番組に携わることになりました。その1年後には、井上二郎アナウンサーとともにこちらも新番組となる『ロクいち福岡』を担当しました。2年続けてゼロから関わることを求められる新番組の立ち上げに参加することができたのは貴重な体験でした。元々、政治経済に興味があり、ニュース・情報番組のスタジオワークを担当してみたいという気持ちがあったので、とてもやりがいを感じました。」

近江「一方で、NHKが東日本大震災を境に改めて災害時の放送の存在意義を見直している状況でもありました。国民の生命と財産を守るためには、どういった放送や呼びかけをするべきか、また緊急報道はどのように伝えていけばいいのか。自分自身がスタジオでニュースを伝える立場になったことで、一層放送と真剣に向き合うことが求められている。その覚悟や心構えを、再度一から見つめ直さないといけない。一年間だけではありましたが、井上アナウンサーと一緒に担当したことは大きな経験になりました。うろたえずにどっしりと伝える。放送に臨む姿勢を教わりました。」

――スタジオワークから学んだことは大きかったわけですね。

近江「私には井上アナウンサーのようなキャリアや経験もないですから、コメント一つとっても重みが違う。だけど、20代の私の視点で飾らずにコメントすることの大切さも知りました。当たり障りのないコメントを言っても、今の視聴者の方はすぐに見抜いてしまう。であれば、言えることは言った方がいいのかなって。 結果的に現在担当している『ブラタモリ』や『おはよう日本』の「まちかど情報室」でも、自分なりのコメントをどう組み込むかが問われています。ジャンルは違っても、私がやらなきゃいけない役割っていうのはその時々にある。今の自分ができることを全力でやることが大切なんだなって思いますね。」


近江アナウンサー あの日あの時

新担当となる『ロクいち福岡』最初の企画で、福岡県内の桜を上空からリポートするためヘリコプター前で記念撮影。1年とは言え、多くのことを学んだ番組だった。



「何度足を運んだか分からないくらい熊本城が大好きです。熊本にお世話になった身として、アナウンサーとしても個人としても、何ができるのかしっかりと考えていきたいです」(近江)



成長できる場所である『ブラタモリ』と『おはよう日本』

――現在は『ブラタモリ』を担当されています。今やNHKを代表する番組だと思うのですが、白羽の矢が立ったときの心境はいかがだったのでしょうか?

近江「ポカーン......って(笑)。伝えられたときはまだ福岡局に籍を置いていて、「2か月後にロケで京都に行ってもらう」と。経験が乏しい私がなぜ選ばれたのか分からない......心の準備が全然できないまま、たまたま熊本ロケに来ていたタモリさんとご挨拶をさせていただいて。そのときに若干肩の荷が軽くなったものの、気持ちとしては清水の舞台から飛び降りるというか、やるしかない! と(笑)。」

近江「驚くことに『ブラタモリ』は、事前に台本もなければ、テーマになる場所のどこを巡るかも知らされないんです。集合時間と場所しか分からない......初めて担当した京都の回も、京都とは聞いていましたが嵐山とは聞かされていなかったので、カメラが周る段階で初めて「嵐山でロケをするんだ」って(笑)。」

――これまで近江さんが担当してきたどの番組にもない、ブラタモリ流演出にビックリされたわけですね(笑)。

近江「ドキュメントのように作っていくため、まったく先が読めないです。今現在も「私の役割は、これで大丈夫なんだろうか?」って不安になります。本放送を見て初めて、「こういう編集になって、ここを使っているのか」と気が付く。放送を見るたびに、おっちょこちょいで情けない自分を見るのが恥ずかしい(苦笑)。「ああ! このタイミングでもっとタモリさんや専門家の方に質問するべきだった」などなど、あっけにとられ過ぎてノーリアクションになってしまう自分がいるんですよね。視聴者の方が分からないであろう地学や地形など、私がフォローしなきゃいけないことがたくさんある。番組スタッフからは「勉強するよりも、ありのままのリアクションを大切にしてほしい」とは言われているものの、最近はちょっと悔しい(笑) 成長して、いつかタモリさんをビックリさせるような場面が作れれば嬉しいですね。

――まだまだ課題は多いですか?

近江「もちろんです! 『ブラタモリ』は事前準備ができない分、その瞬間に明らかになった事実や発見に対して、瞬間的な対応力が問われています。街歩きのゆったりとした雰囲気を壊さないように、あえて"ふわっと"聞いたり、"ぼそっと"聞いたりすることもあります。その上で核心に近づけるような質問をしなければいけないので、きっと自分にとっても成長できる場だと思うんです。」

――そして近江さんは『おはよう日本』のまちかど情報室も担当されています。こちらで心がけていることは何でしょうか?

近江「『おはよう日本』の中でホッとできるコーナーです。出勤前の皆さんをリラックスさせられるような空気感を大切にしています。和久田麻由子アナウンサーを笑顔にすることができれば、きっと視聴者の皆さんもほっこりしてくれるに違いないと思って、掛け合いであるとか間であるとかを意識してお茶の間に溶け込むようにできたらなって。」

近江「放送後は、必ずメンバー全員で朝食兼昼食を取るんですよ。私にとってその時間は本当に楽しくて大切な時間です。「あそこのコメントは良かったね」などなど、何気なくその日の放送を確認する時間でもあるんですね。キャプテンである阿部渉アナウンサーを中心とした『おはよう日本』チームの結束力を肌で感じると、「よし! もっともっと頑張ろう」って思えるんです。一人じゃないと感じられる職場があることは本当に幸せなことだなって思います。」

――最後に近江さんが目指す将来のアナウンサー像を教えてください。

近江「一つ一つ着実に、安心感があって信頼感のあるアナウンサーになっていきたいです。視聴者の方が説得力を感じるということは、伝えているアナウンサーが信頼できる人だからだと思うんです。新人時代にニュース原稿を読んでいた際に、先輩から「近江のニュースは他人事に聞こえる」と助言されたことがありました。当時はきっと、内容を噛み砕いて伝えることよりも、間違えないように原稿の文字を追うことに必死になってしまっていたのだと思います。社会問題や国際情勢など世の中のことをきちんと理解し、自分なりに問題意識を持っていれば、伝える声やトーンも変わってくると思います。これから経験を重ねて、勉強したこと、関心を持ったことを、きちんと責任を持って伝えられるアナウンサーになりたいですね。」


近江アナウンサー こだわりの道具

「スマートフォン」

近江「メモを記録するため、気になったものを写真に収めるため、また辞書やアクセントのアプリもあるためスマートフォンは手放せません。瞬間的に気になったものを記録するとなると、どうしてもスマートフォンが便利なんですよね。気分転換で音楽を聴くこともできますから、公私ともに欠かせない道具です。」



自炊をするきっかけとなった九州時代に出会った〇〇

――近江さんのリフレッシュ方法は何でしょうか?

近江「スーパーで買い物をしてきて、自炊をすることです。買いだめをするのではなく、仕事帰りにほぼ毎日、スーパーに寄って食材を選ぶのが楽しいんです。」

――もともと料理はお好きだったんですか?

近江「恥ずかしながらここ3年くらいで......それまではまったく自炊とは無縁でした(笑)。きっかけは、熊本局、福岡局時代。九州は有田焼、波佐見焼、唐津焼というように陶磁器の産地が豊富なので、陶磁器に関するニュースをお伝えすることが少なくないんです。伝えているうちに興味がわいてきて、陶器市や窯元に足を運ぶようになっていました。眺めているとやっぱり欲しくなってしまって......波佐見焼などはお手頃価格で購入できるため、気が付くと台所に陶磁器が増えていました(笑)。眺めているだけじゃもったいない! ということで、一念発起して料理を作り、お気に入りのお皿に盛りつけるように。以来、料理を作ることにのめり込んでいったんです。」

近江「スーパーに行くと、当時は九州だったので東京では見かけない魚が売っていることに気が付きました。フグやサバの刺身が当り前のように売られているのでびっくりしました!また、今年の秋は顕著でしたが野菜の高騰など食品価格の相場も分かりますよね。毎日スーパーに足を運ぶことで、何気ないことですけど暮らしに関わる小さな変化や、季節の移り変わりが見えてきます。結果として、日常生活の中での何気ない発見や実感が「まちかど情報室」に活かされているところも大きいです。」

――得意料理などはあるんですか?

近江「いたってシンプルな家庭料理ばかりで、手の込んだものはあまり(苦笑)。カレーが好きなので、トマトカレーや野菜を煮込んだカレーなどは良く作りますよ。」

――波佐見焼でカレー......ですか!?

近江「あ! 波佐見焼の中にもカレーを盛ると絵になるものもあるんです! それに一品料理も作るので大丈夫です! 今では料理を作ることがオンとオフの切り替えになっていて、調理している最中は気持ちも満たされます。」

――料理というとどうしてもタモリさんの顔が浮かんでくるのですが、何かアドバイスをされたりしたことは?

近江「プロ並みの腕前をお持ちなので、私レベルでは到底真似できないのですが、先日教えていただいたのは、山芋を細かく千切り状にして、お出汁に付けてそうめんのように食べる「山芋そうめん」です。そんなに難しくなさそうなので、今度試してみようと思います。ただ、「モンブランの栗の部分をさつまいもにしても美味しい」とも教えてもらったんですが、モンブランはちょっと作るのが難しいかなって(笑)。私にはまだシンプルな料理が身の丈にあっていますね。ちなみに、これまで『ブラタモリ』のテーマはエリア別でしたが、1月放送回では「さぬきうどん」という初めて食に特化したテーマで街を巡りました。今後はそういったアプローチも増えるかも知れないので、私も違う形でお役に立てるかも......ですね(笑)。」

――九州をきっかけに料理が好きになる。近江さんから九州愛が伝わってきます。

近江「九州は本当に素晴らしい場所です。料理のきっかけもそうですが、温泉が好きになったのも九州のおかげです。九州の温泉は泉質も豊富で、各温泉それぞれに個性があります。しかも、500円あればかけ流しの温泉に入れる低価格! 首都圏近郊の温泉に行くとどうしても人が多くて、ちょっと物足りない......九州の温泉が懐かしいです。休みを利用して九州に行ける日までは、料理を作ることが大切なリフレッシュになりそうですね。あれだけ作ることが面倒だと思っていたのに、今では食べるよりも作る方が好きなくらいです(笑)。マイペースに自分の好きな料理を作り続けていきたいですね!」


近江 友里恵(おうみ ゆりえ)
2012年入局。熊本、福岡放送局を経て2016年から東京アナウンス室。福岡放送局では朝のニュース番組「おはよう九州沖縄」「おはサタ!」、夕方のニュース番組「ロクいち福岡」のキャスターを務めた。現在は「ブラタモリ」、「おはよう日本」のまちかど情報室を担当。






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