NHKアナウンス室

アナウンサー仕事の流儀

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インタビュー 三宅 民夫

"広場"としてのテレビの魅力

時代の空気や共通項を伝える夢のような装置にあこがれた

――アナウンサーを志したきっかけを教えてください。

三宅「学生時代からアナウンサーという仕事にあこがれを持っていました。我が家に初めてテレビが来たのが、私が小学4年生の頃。祖父の膝に乗って、ラジオで相撲中継などを聴くことが好きだった私にとって、テレビの来訪は衝撃的でした。『てなもんや三度笠』『名犬ラッシー』など子ども向けの番組が数多く登場し、小学6年生のときには東京オリンピックが開催。テレビという装置が本当にキラキラして見えたんですよね。そして! 忘れてはいけないことが、テレビの登場に負けまいとラジオも挑戦的な番組が誕生していったということ! 個性的なディスクジョッキーが登場したり、リスナーにリクエストを求めたりする番組が登場して、双方向性を追求するラジオ新時代の幕開けのタイミングでもありました。放送業界全体に活気と夢があふれていた......そんな世界にあこがれてしまったんですねぇ。

――放送業界の中で、なぜアナウンサーを選んだのでしょうか?

三宅「当時はタレントさんや文化人を除くと、テレビの中で話す人はアナウンサーしかいませんでした。なにより後に『クイズ面白ゼミナール』などの司会も務める、NHKアナウンサーの大先輩・鈴木健二さんに強いあこがれを持っていたんです。教養番組や生活情報番組だけでなく、司会者として番組を仕切る存在感はアポロ11号の月面着陸の生中継を伝える歴史的瞬間などでも変わらなくて、「アナウンサーってすごいんだな!」と感銘を受けました。当時はアナウンサーの伝えていることが、翌日の学校において友達同士のトピックになるような時代です。映像の持つ力、それを伝えるテレビの影響力、そして視聴者に届けるアナウンサーの姿......時代の空気や共通項を世の中に提供する装置の中で働いてみたいという思いはますます募っていきましたね。一方で、テレビって不思議な装置でもあるとつくづく思ったんです。」

――不思議な装置、ですか?

三宅「テレビというのは、多数の人に向けて放送されるものですよね? ところが、ある日突然、身近で他人事でない存在になりうる。実は学生時代、ある事件の渦中に友人がいるという出来事がありました。災害や事件、事故などは大多数の人には日々のニュースに過ぎないかもしれないけど、かかわりのあった人にとっては単なるニュースで終わらない。テレビから流れる映像を見たり、アナウンサーの口から発せられた情報を聞いたりすることで、胸が痛んだり、人生が変わる人もいる。テレビというのは、特定の人に対して特別な発信力を持つ装置でもあるんですよね。その影響力の大きさを身をもって知りました。」

――鈴木健二さんにあこがれていたということは、三宅さんはNHKに入ろうと決めていたのでしょうか?

三宅「実は......大変申し上げにくいことなんですが、他の局も受けました。そして、落っこちました(笑)。なんでも、「ニュースのアナウンサーを採用すると決めていたため、三宅さんのようなどちらかというとワイドショー的な雰囲気のアナウンサーは採用できなかった」と後日教えていただいたので、変に落ち込まなくて済んだのは不幸中の幸いです。たしかにその後NHKでは、ニュースというよりも情報系を担当することが多かったわけですから、当たっています(笑)。 それだけNHKと縁があったわけですから、不採用で良かったんでしょう! はははははっ!」


三宅「初任地は盛岡局。私が入局した1975年当時、地域放送局におけるテレビニュースは長くても5~7分でした。ところが、その直後からワイドニュース的なものが流行り始め、その流れがNHKにも及びます。地域局のローカルニュース枠も拡大され、最終的には30分の放送枠になりました。当然、若いアナウンサーにもチャンスが回って来ますし、局内全体に創意工夫の活気があふれていた時代でしたね。」


――当時のNHKはもっとお堅いのかと思っていました。

三宅「いえいえ! むしろ自由な雰囲気があってビックリしたくらいです(笑)。ラジオもFMがあったため、若手アナウンサーが長時間のディスクジョッキーを担当していたほど! 東京は勝手が違っていたでしょうけど、私が赴任した直後の地域局には、とてもクリエイティビティにあふれた番組が多かったんです。なかなか想像できないかもしれませんが、NHKは当時から先鋭的な番組作りにチャレンジしていたんですよ。」


"余裕を持つ"ことの大切さ

――三宅さんが歩んできた仕事の中で、印象に残っている仕事を挙げるとしたら何でしょうか?

三宅「アナウンサーの仕事って、小さな仕事を含めてすべてが転機だと思うんです。ですから、「これ!」というのを挙げるのは難しいのですが、転機は転機でも「とても悩んだ」という点で大きな転機になった仕事を2つほど挙げさせていただければと思います。まず一つ目が1997年4月から2004年3月まで担当した『おはよう日本』です。私はとにかくあがり症で緊張しやすい人間なんです(苦笑)。そんな私が生放送の報道番組を担当する......思わず「今からでも遅くない。違う人にしてくれないか」とお願いしたほどです(笑)。ところがそうもいかず、「朝を明るくしてほしい」と仰せつかり担当することに......しかし、待っていたのは批判や苦情の声でした。」


――三宅さんほどのベテランが!? 一体、どんな苦情が?

三宅「私は一生懸命やっていたつもりだったのですが、それが良くなかった。「三宅さんがニュースを伝えるとちょっとした事故が、国家を揺るがす大事件のように聞こえる」とか、「肩ひじを張りすぎていて聞き取りづらい」など相当な苦情が届いていたようです。あがり症に加え、一生懸命やろうと力むことで悪循環に拍車がかかる。どうしていいか分からなくなっていたときに、以前インタビューをさせていただいたことがあった、画家の原田泰治さんからアドバイスをいただきました。」


三宅「『私は一般紙の日曜版に毎回画を書き、そこに文章を載せるという企画をしています。画は褒められるのですが、文章は気取っているからか評判が今ひとつ。そこである日から、母親に伝えるような気持ちで書くことにしました。すると非常に評判が良くなった。三宅さんも、多くの人に届けようと話すのではなく、一人の人に届けるような気持ちで伝えてみたらどうでしょう?』と。 始めのうちは上手くいかず苦労しましたが、だんだんと原田さんのおっしゃっていることが理解できてくると、心に余裕ができ始めていきました。ニュースというのは、力みがなくなると気持ちも冷静になり大事なキーワードが見えてきます。落ち着いた心で読んでいると、いま伝えているニュースの伝えるべきポイントが自然と理解できるんですね。"余裕を持つ"ということの大切さを教えてくださった原田さんのアドバイスは、私のアナウンサー人生に欠かせない言葉でした。"余裕"という感覚を持つことは、ニュースを伝えるだけでなくインタビューにおいても重要なんですよ。」


――インタビューでも? 今後のためにも、是非教えていただきたいのですが......(笑)。

三宅「『おはよう日本』では、ゲストの方に来ていただき7~10分ほどの生インタビューコーナーを担当していました。短い時間で一体何を聞き出すのか? 余裕がないと焦ってしまい、聞くべき核が見えないまま時間だけが過ぎていく。私は起承転結ではなくて序破急......とりわけ「破を何にするか?」に心を砕きました。気持ちを落ち着かせ、破として成立する部分を考える。打ち合わせの段階から心を落ち着かせて、ディレクターと協議をする。そして、相手の人となりを見つめて、考えられる解を見つけ出し、本番に臨む。」


――それにしても約10分の生放送のインタビューというのはあっという間だと思います。何を聞けばいいのか分からなくなりそうです(苦笑)。

三宅「例えば、2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さん。インタビューが決まったのは、出演前日の夜です(笑)。膨大な研究を重ねてきた方に約10分のインタビューをして核を聞き出す......気持ちに余裕がないとパニックになります。たった一日で小柴さんの偉業を理解するのは不可能。小柴さんという人がどういう人物か 、夜の間にディレクターが集めてくれた資料から、放送当日の早朝、冷静に「破」として成立する核を見つける。その中で、小柴さんが「昔から実験することが好きだった」というエピソードを見つけたときに、「これだ!」と。そして本番、その話を核の部分でしたところ、「教科書を信用したことがない」というお話を聞き出すことができました。私の中でとても印象に残っているインタビューです。その人の本質をとらえる"聞き出すべきこと"。インタビューでは、その点を突き詰める冷静さと集中力を、事前も最中も備えていなければいけません。」


――そしてもう一つの転機とは何でしょうか?

三宅「『日本の、これから』です。現在、『私たちのこれから』という番組を担当していますが、その前身番組が2005年からスタートした『日本の、これから』です。この番組はNHKの長い歴史の中で思い切って予定調和なし。加えて、ただの視聴者参加ではなく"市民が主役"と看板に掲げた討論番組でした。専門家を含めたゲストスピーカーはいますが、あくまで主役は市民の方々。まったくどうなるか分からなかっただけに、「もう本当に腹をくくらないとやっていけないぞ」と。とは言え、消えてなくなりたいくらいのプレッシャーにさいなまれていました(苦笑)。当時を思い出すだけで......胃が痛くなる。はははっ。」


三宅アナウンサー あの日あの時

『おはよう日本』担当以前は、『ひるどき日本列島』など情報系番組を担当していた三宅アナウンサー。「報道という分野にあこがれはありましたが、それまで経験したことがなかっただけに不安だらけでした。7年間担当しましたが、本当に成長させてくれた番組でした」(三宅)



いろいろな意見があるからこそ豊かになれる

――現在担当する『私たちのこれから』へと続く、市民主役型の討論番組『日本の、これから』で留意していたことは何だったのでしょうか?

三宅「複雑な問題も、つきつめると話し合うべきテーマが、大きく二つ三つの論点から構成されていることが分かります。その二つ三つのテーマが何かを見極め、それを議論が深まり熱を帯びてゆくような"順番に並べる"。順番に対峙させることで、いかに意見を止揚させていけるか、ですね。それができれば問題の本質が見えてきます。ところが最初はそれがうまくいかなくて......専門家から「三宅さんのせいで議論が台無しになった」などと言われて、消えてなくなりたかった!(苦笑)」


――30人近い市民の方々が予測不能な討論を交わす......インタビューとはまったく違う脳みそを使いそうです。

三宅「本質を見つけていくという点では同じですが、足し算が複雑な方程式になるような難解さに、当初は戸惑いましたよね。戸惑うんだけれども、意見と意見がぶつかることが討論番組の醍醐味だと気がついていった。本質を見出だすために、議論するべきテーマを絞ることができれば、問題の事情が立体的に見えてくる。そうなったときは参加してくれた市民の皆さんもゲストの皆さんもみんな満足するんです。そんなに話していない人でも討論そのものが有意義だったって満足してくれる。それがやりがいになっていきましたね。」


三宅「時代の空気はこの10年で相当変わりました。特に、東日本大震災。震災後、『日本の、これから』は『日本新生』とタイトルをリニューアルしました。当時は足元から生き方を問われているような状況。ただ意見を言うだけでは前に進めないような......何か新しいものを見出していく必要があるのではないか? そこで『日本新生』という番組名に変更した背景があります。今の『私たちのこれから』は、『日本新生』を経て、「この後どうしていくべきか?」、その可能性まで考え、処方箋を提示できるような討論番組にしたいという思いがあります。かつては3時間という長丁場の討論をお届けしていましたが、現在は内容を凝縮し、1時間弱の生放送が標準になっています。これも時代の空気が変わったことの一つでしょうね。次のテーマは認知症。どうすれば誰もが安心して暮らせるのか、ツイッターやメールでの意見も交え視聴者の皆さんと一緒に考えてゆきます。」


――長時間の討論番組が少なくなりつつあるというのも、人々の生活におけるテレビのポジションが変わってきているからではないかと思うのですが、三宅さんは「テレビのこれから」についてはどのようにお考えでしょうか?

三宅「テレビの良いところは、さまざまな情報や考え方が飛び交っているところ。ネットやSNSも便利で、有用です。ですが、ややもすると自分にとって都合の良い情報、自分と論調の合う考え方だけを選べる装置となり、結果的に視野を狭めてしまう恐れもあると思うんです。テレビというのはいろいろな話題を扱い、いろいろな意見が飛び交っている。"広場"としてのテレビの魅力って、まだまだ捨てたもんじゃないです! 討論番組はその最たる例で、異なる意見がぶつかり合うからこそ化学変化が起きる。」


――広場としてのテレビ......なんだか腑に落ちました。では、テレビも含め広場というフィールドにおいてコミュニケーション能力というものが非常に問われてくると思います。社会の中ではコミュニケーション能力に乏しい人も少なくない。彼らに何かアドバイスを送るとしたらどんなことでしょうか?

三宅「壁を作っていると通じ合えないですよね。「相手との関係を良くしよう!」と力んでいることも、結果的に壁を作ってしまっているのかもしれません。かつて私が『おはよう日本』で教わったことです。力を抜いて相手の言葉に耳を傾けるところから始めましょう! その人が話している真意はどこにあるのかな? と探すことがコミュニケーションのスタートだと思うんです。話すだけではなく、聞くことも立派なコミュニケーション。我々アナウンサーがしている仕事というのは、ほとんど"聞く"仕事なんですね。「相手は何を話したいのか?」、そこに耳を傾けることで話が深まっていきます。」


三宅「自分が「話の流れを作っていこう」なんて考えると変な力が入ってしまいます。「A さんはどういうことを言おうとしているんだろう?」、「Bさんは何を言いたいんだろうか?」。 聞いていくだけでコミュニケーションというのは立派に成立するんです。"自分がどう思われるか"よりも、"相手は何を話したいんだろうか"ということに心を砕いてほしい。そして、相手が話したことに対して、自分はどう受け止めたのか......と考えれば、自然に自分の思い、自分の心も育っていくのではと思うんです。」


――"言い合い"ではなく"聞き合い"の面も持っている......そう考えると、討論というのはなくてはならないものですね。

三宅「討論というのは、複雑な事象を複雑なまま立体的に分からせてくれます。今のテレビは、短い時間で"分かりやすく"ということを突き詰めている節がある。それも大事ですが、「複雑な事柄は複雑である」ということも分からないといけない。答えはないのかもしれないけど、見え方が分かってくる。きっと考え方が豊かになることにつながるはずです。」


「日本の、これから」

『日本の、これから』から始まった市民主役型の討論番組は、10年以上の歴史を数え現在は『私たちのこれから』に。「忙しい時代ではあるけれど、テレビの前にちょっと座って一緒に考えてほしい。じっくり見るからこそのテレビの良さもありますよ」(三宅)



たった数秒で心を落ち着かせる方法

――三宅さんのリフレッシュ方法を教えてください。

三宅「あがり症の私がカチカチになっている心をリフレッシュする方法として、数秒でできることがあるんです!"笑って""息を吐いて""四股を踏む"、これだけです!(笑)。」


――本当に数秒でできますね(笑)。これをすることでどんな効果があるのでしょうか?

三宅「口を横に開いて笑うようにするのと、口をすぼめるのとでは、前者の方が頭の中の血流が良くなるんですね。これは私がNHKの番組内で身をもって実験しているので間違いありません(笑)。「笑う門には福来る」とはよく言ったもので、本当に笑うことで気持ちが楽になるんです。心配事や悩み事があるときは、皆さん、笑ってみてください。気持ちがスッと落ち着きますから。」


――次に、"息を吐く"わけですか?

三宅「人間には交感神経と副交感神経があります。血圧など意思でコントロールできないものを支配しているのが自律神経です。その中に交感神経と副交感神経があるわけですが、交感神経は闘争本能など戦う気持ちを駆り立てるときに作動する神経。当然、血圧などが高くなります。対して副交感神経は、気持ちを落ち着かせるときに作動します。驚くことに人間は息を吸うときは交感神経、息を吐くときに副交感神経が関わっているというのです。つまり、息を吐くと自ずと気持ちが落ち着き、リラックスできるようになるというわけです。そして最後に"四股を踏む"!」


――これがいまいちピンと来ないのですが、リラックスできるものなのでしょうか!?

三宅「かつて横綱審議委員会の委員でもあった山田洋次監督にインタビューをさせていただいた際に、相撲の面白さを教えていただきました。相撲には昔の武士たちの真剣勝負に通ずるものがあるというのです。勝ち負けだけで人生が決まる相撲は、ものすごい緊張感の中で取り組みを行います。ガチガチに緊張している力士は、土俵がガラスの板でできているように見えるというくらい。そのため「いかにして緊張をほぐすか」ということが問われるわけですが、相撲の所作はその意味でも欠かせないんです!緊張の極限状態を解きほぐす動作として、長い相撲の歴史の中で磨かれてきたので、その動きは実に理にかなっているんですよ。」


――力士の土俵上での所作には、そんな意味合いもあったんですね。ということは、四股にも意味があるわけですね。

三宅「力士は四股を踏むとき、足を上げる際は息を吸い、下ろすときは息を吐きます。先ほどの交感神経と副交感神経を上手に使い分けるわけです。そして、足を下ろした際に、脚とお腹に力が入ることで、へその下にある「丹田」に意識が集まります。ここに意識が集まると、心も体も落ち着きストレスに強くなると言われています。そのため私は四股を踏んで、息を吐きながらおへそから下に意識を集めるようにしています。そんきょのポーズも、体のバランスをとるために自ずと丹田に意識が集まるようになっているんですね。相撲の所作にはきちんと意味があるので、日常に取り入れることをオススメしますよ!」


三宅「私は、仕事においては"緊張"の反対語は弛緩ではなくて、"余裕"だと思うんですね。いかにして余裕をもって仕事に臨めるか。余裕というのは悪い意味の余裕ではなく、きちんと周りを見渡せるような......冷静になれるという意味で余裕を持つということです。弛緩というのは、ただ力を抜いているだけとも言えますからね。仕事をする上では、緊張と余裕、どちらもあることが望ましい。その意味でも、私にとって"笑って""息を吐いて""四股を踏む"ことは大切なことなんです。」


――たしかに余裕がないと、息が詰まってしまって、息を吐くこともままならなくなりそうです。

三宅「何か困難な壁が立ちはだかっているときこそ、リラックスして余裕を作り出してほしいですね。私はスキーが好きで、父が「雪の抵抗をつかむスキーの極意は学問に通じる」なんてことを言っていました。抵抗というのは手応えでもあるんですよ。スキーの場合、抵抗があるからこそ方向転換をする力を得ることができるわけです。キツイことを言う人、心ないことをいう人、世の中には自分に対して否定的な意見を言う人が少なからずいます。抵抗する力を上手くとらえることこそが、自分の成長につながると私は思うんです。そのときに周りが見えていなかったら元も子もありませんから、そういうときは"笑って""息を吐いて""四股を踏む"。ちょっとしたことでも余裕は生まれますから、緊張と余裕のバランスを忘れないでくださいね!」


三宅 民夫(みやけ たみお)
名古屋生まれ。1975年NHK入局、盛岡・京都放送局を経て東京アナウンス室へ。『おはよう日本』『紅白歌合戦』『NHKスペシャル』など様々な番組を担当し、「視聴者参加」討論番組の司会も一貫して務めてきた。現在は、この国の課題を処方箋も含め考える『NHKスペシャル・私たちのこれから』キャスター。






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