NHKアナウンス室

アナウンサー仕事の流儀

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インタビュー 高井正智

『分からない』が、僕の原点です。
05/07
記者志望から、アナウンサー志望に。
  • どんな少年時代を過ごしましたか?

    わたしは周りの人たちを笑わせたり、場を盛り上げたりするような、陽気で活発な子どもだったと思います。

  • 中学で軟式テニスを始めたのですが・・・、そのころは「高井って爽やかなイメージだから、テニスが似合うよね」と言われるのがすごく嫌で、高校では辞めてしまいました。僕としては“爽やか”より“男っぽい”と言われたかった(笑)。今は「爽やかなイメージですね」と言われるとうれしいのですが、学生時代はそれが嫌でした。タフな男に憧れていたんです。その思いはアナウンサーになっても変わらず、“タフに生きたい”というのが、自分の中のテーマです。
    『ニュースウオッチ9』のリポーターを担当していたときも、大好きな冒険小説や冒険家の話に感化されて、ネパールやブラジルのアマゾン川など、自分がタフな旅だと感じる場所に足を運びました。ネパールへは飛行機のチケットだけ取って、あとは現地で何とかしながらエベレストを見に行き、ブラジルのアマゾン川を見に行ったときは、川沿いのコテージに泊まって、ピラニアを釣って食べたりしました。

  • “タフに生きたい”という高井さんが
    アナウンサーを目指すことになったきっかけは?

    最初は、いろいろな現場を取材する記者になりたいと思っていました。
    大学生のころ、東京のJR新大久保駅で、泥酔して線路に転落した男性と、その男性を助けようとした日本人と韓国人留学生が亡くなるという事故がありました。新大久保駅は、大学へ通う途中の駅だったので、事故から間もないある日、途中下車して事故があったホームへ行ってみました。すると茶髪でズボンを腰まで下げた、ちょっと不良っぽい感じの高校生が事故現場に手を合わせていました。声をかけてみると彼は「外国から来た人が、見ず知らずの日本人を助けようとして亡くなった。その行動に心動かされ手を合わせに来ました」と話してくれました。そのとき僕は、彼の声を自分だけではなく多くの人たちに届けたいと思ったんです。外見は不良っぽいけど、彼の気持ちは純粋で美しい。そしてそれは、声をかけなければ聞くことはできなかった言葉です。
    その出来事があって、現場を取材して伝える記者になりたいと思うようになりました。

  • それがどうしてアナウンサーに?

    就職活動の時期に、大学のゼミの友人に「就活のための話し方講座があるから、行ってみないか?」と誘われて参加しました。講師はみなさんアナウンサーでした。そこで僕は「記者になりたいんです」と自分の思いを話したのですが、それを黙って最後まで聞いてくださった講師の方が「君、アナウンサーやってみたら?」と・・・。「NHKではアナウンサーも現場に行って取材をするんだよ」と。そこからアナウンサーという仕事にも興味がわき、自分がアナウンサーに向いているかどうかは分かりませんでしたが、やってみたいと思うようになりました。取材するだけでなく、それを自分の言葉で伝えることができるなら、アナウンサーという職種もいいなと。

  • そして今も、新大久保駅で高校生と話したときに感じた「この声を伝えたい」という思いは変わらず持ち続けています。報道のキャスターとして記者が取材し、書いてくれた原稿をしっかり伝えるということはもちろん大事なことですが、取材しながら出来事のかけらでもいいので何かに触れて、それを自分の中で醸成させて言葉にして伝えたい。それが、アナウンサーとしての僕のベースになっています。

05/14
「分からない」から始まった。
  • アナウンサーになって、
    自分がやりたいと思っていたことはできましたか?

    最初はできなかったですね。自分で取材したいという思いが強かったので提案を書くのですが、なかなか採用してもらえない日々が続きました。街を歩きながら何かニュースや話題はないかとずっと探していましたが、やはり無理やり探したものっておもしろくないんです。

  • そんなとき、ある大学の学園祭で松本哲也さんというシンガーソングライターが歌っているのを聴きました。そしてどうしても彼と話がしたくて、ライブのあと楽屋を訪ねて行きました。それはネタ探しではなく、ライブで彼が亡くなったお母さんの話をしていて、僕もちょうど母親を亡くしたばかりだったので、自分と同じように母親を亡くした人の話を聞いてみたかったんです。
    松本さんはとても気さくな方で初対面の僕にもいろいろ話をしてくれて、そのとき彼が本を出していることを知りました。読んでみると、すごいんです。壮絶な家庭環境で育った人でした。そして、この人の人生や曲に込められた思いはもっと多くの人に伝えなければいけないのではないかと思い、上司に提案したら「じゃあ、やってみなさい」と言ってもらえて番組を作ることになりました。松本哲也さんのインタビュー番組をテレビとラジオで制作しました。そしてこの番組は、僕の原点になっています。

  • では、ようやく向き合いたいテーマの番組を制作することが出来たんですね。

    はい、でもその提案を書くのが大変でした。ずっと僕の面倒をみてくれていた先輩がいたのですが、僕が書いた提案を読んで「うーん、よく分からないな」と言うんです。僕がいくら必死に説明しても「分からない、俺には分からない」と。すると僕はどうすれば分かってもらえるのか考える。より分かりやすく説明するために、取材をどんどん掘り下げていくことになるんです。
    松本さんを取材してまとめたものを見てもらっても、「ここと、ここの話の意味が分からないな」と言うんです。仕方なく僕は「松本さん、すみません。ここのところ、もう一度詳しく話を聞かせてください」とお願いする。それを何度も、何度も繰り返しました。

  • 何をやっても「分からない」と言う先輩に当時は根負けしそうでしたが、今では、その先輩がずっと「分からない」と言い続けてくれたことに感謝しています。知らず知らずのうちに「分かった」つもりになることが一番危ないことなんです。「分からない」というたった5文字の言葉ですが、その意味するところは深い。この言葉のおかげで、僕は番組のテーマをより掘り下げることができたし、より多くの方々に理解してもらえるように、かみ砕いて伝えることができました。

    いい先輩ですね。

    その人がいたから今も現場に行っても「まだ分からない」と踏ん張れる。僕の下手な取材に何度も、何度も付き合ってくださった松本哲也さんと、あえて何度も、何度も「分からない」と言ってくれた先輩に本当に感謝しています。

05/21
覚悟を持って、その言葉を言えるか?
  • 平成21年から担当した「ニュースウオッチ9」のリポーターは、
    自分で取材ができて楽しかったのではないですか?

    はじめは戸惑いました。毎日、毎日、全国を飛び回って限られた時間の中で取材をしなければなりません。精神的にも肉体的にもとてもハードでタフな日々でした。でも、ある日、ふと思ったんです。「もしかすると、ずっとやりたかったことが今できているのかもしれない」、「これが、自分がやりたかったことかもしれない」と。記者になりたいと思った、あのJR新大久保駅での出来事(第1回インタビュー)が一瞬よみがえってきました。それからは、気持ちがとても前向きになったし、ハードなスケジュールも気にならなくなりました。

  • 現場に行ったとき、心がけていることはありますか?

    「聞く」取材だけでなく、「見る」取材を大切にしています。取材は聞くもの、という先入観がありますが、聞きたいと思う気持ちが大きくなりすぎると、大切な動きを見落としてしまうことがあるんです。ついついマイクを取り出したくなるんですが、その前に事故や災害があった場所に立って、静かにその現場を見る。大切なことは、こちらが騒々しくしている間に、ひっそりと姿を消してしまうものなのかもしれません。

  • 現在担当している『ニュース7』では何を大切にしていますか?

    スタジオと現場を別々のものにしたくないと思っています。災害が発生した時などはできる限り現場の空気を感じながら原稿を読みたいので、放送の前に、現場に入っているリポーターや記者に電話して状況を聞くようにしています。少しでも現場の空気を感じると、読むニュース原稿の中でどこが大事なのか、どこに焦点を当てて読めばいいのか、伝え方は自然と変わってくるんです。視聴者のみなさんにも届いているとよいのですが・・・。

  • キャスターの大変さややりがいを教えてください。

    東日本大震災があったとき、僕は、ニュースウオッチ9のリポーターとして、現地から中継リポートをしたのですが、その7年後には、ニュース7のキャスターとして、自分で提案し、再び同じ場所に立ち中継を担当しました。
    7年前、高台から被災した町を見ながら「あそこにはまだ、道の両側にガレキが積み上がっています。私は今、“ガレキ”と言いましたが、それらは子どもたちのオモチャだったり、家具だったり、かつて、人々の生活の一部だったものです」と中継で伝えました。すると翌日、被災した方から「昨日の放送を見たけど、生活の一部なんて言わないで、ガレキだ、ゴミだと言ってよ。だって、あれを1日も早く片付けてもらわないと、俺たちの生活は再建できないから」と言われました。僕はその方の気持ちが分かったので翌日の放送では“ガレキ”という言葉を使ってリポートしました。すると今度は先輩から「あれはガレキじゃないよね、生活の一部だよね」と言われました。するともう、どうしていいか分からなくなって、言葉で伝えることができなくなるんです。

  • そのときは本当に戸惑いましたが、今は、自分が選んだ言葉をどのくらいの覚悟を持って伝えるのかということもキャスターの責任ではないかと思っています。同じ言葉でも、聞く人によって受け取り方はさまざまですが、批判を覚悟で使わなければならない場合もあります。そのとき、どれだけ覚悟を持って伝えるか?一つの言葉に対する、覚悟と責任。それを持つことはアナウンサーやキャスターにとってとても難しいことですが、同時にやりがいを感じることでもあると思います。

05/28
『伝えたい』。ならば、一緒に伝えませんか。
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