これまでの放送

BLACK IN BURAKU ~アフリカンアメリカン、被差別部落をゆく~ 後編

放送日

2月13日(木)夜8:00

再放送2月16日(日)0:00(土曜深夜)

出演者

BLACK IN BURAKU ~アフリカンアメリカン、被差別部落をゆく~ 後編
アフリカ系アメリカ人の視点を交え、部落問題を再考するBLACK IN BURAKUの第二回。よりディープに被差別部落の歴史や文化を掘り下げていく。あまり知らない部落の歴史、若者たちが抱える複雑な心情、ブレイク必至の部落発祥グルメなど、部落がもつ多様な側面に、自分たちの歴史や文化を取り戻そうとしてきたアメリカ黒人たちが鋭くコメント。スタジオには、前編に引き続き、部落ルーツの若者たちが出演。新しい時代をどうつくる?

内容

出演者

  • (スタジオ)
  • バイエ マクニール   (コラムニスト)
  • イマニ スタンフォード (大学院生)
  • 管原 アリース     (ミュージシャン)
  • 角岡伸彦       (ノンフィクションライター)
  • 宮前千雅子      (大学教員)
  • 藤本真帆       (大阪府出身)
  • 中西匠貴       (大阪府出身)
  • るい(仮名)     (関西出身)
  • たま(仮名)     (香川県出身)

  • (VTR出演)
  • 浅居明彦       (浪速部落在住)
  • 上杉聰        (部落史研究者)
  • ほか

憎悪コメントが広がりやすい世界に生きる

BLACK IN BURAKU ~アフリカンアメリカン、被差別部落をゆく~ 後編 写真1

スタジオに出演するたま(仮名)は、「今の部落差別の一番大きな問題はSNSでの差別的投稿ではないか」と指摘する。実際、部落住民や部落ルーツの人たちから、番組宛てにも、このテーマで多くのお便りが寄せられた。
「ネット上では、自分の地域がひどく書かれていて、差別はなくなっていないと体感している。なのに、現在の教育では、ほとんどとりあげられない」(30代女性)
「あそこの街って危ないよねとか、怖いよねといった言葉が聞かれます。そのたびに、みぞおちのあたりがずんと重たくなります。」(30代男性)
 差別する意図がある/ないに関わらず、こうしたネット上でのコメントは、当事者に屈辱感と無力感を植え付けていく。

BLACK IN BURAKU ~アフリカンアメリカン、被差別部落をゆく~ 後編 写真2

こうしたネット上で広がる憎悪は、世界各地で問題となっている。管原アリースは、動画投稿サイト上での黒人ヘイトに胸を痛め、イマニ・スタンフォードは、アメリカのメディアでは、「黒人は暴力的に描かれがち。そんなステレオタイプを広げないように、注意して振る舞って生きないといけない」と語る。
るい(仮名)は「(メールの)声にもあったように、やっぱり教育の中で部落問題がどんどん触れられなくなっているっていう現状がある中で、こうやって番組をとおして“部落問題がどうなっているか”っていうのを少しでも具体的に伝えていければいいなと思っています」と、より確かな情報を伝えていくことの大切さを訴えた。

土地に刻まれた差別の記憶

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大阪市内の部落を、地元の浅居明彦の案内のもと、巡っていくイマニとコラムニストのバイエ・マクニール。この部落にとって大事な意味をもつ場所にやってきた。そこは一見、ただの道路、だが、浅居が小学生の頃までは、十三間川という川が流れていたという。この川が、部落と一般地区とを隔てていた。
浅居少年は、たまに橋を渡って一般地区側の銭湯に行ったという。そんなとき、周りの人たちから、“自分たちがいない存在のような、透明人間のような扱い”を受けたと子どもながらに感じたという。川は、自身が部落民だということを強く思い知らされる、そんなシンボリックな場所だった。

1970年、大阪万博開催に向けて、高速道路を作るため、十三間川は埋め立てられた。「川が無くなったのだから、差別理由もなくなりました?」というイマニに、浅居は「…はずでしょ?」と返した。

古地図に刻まれた忌避意識の痕跡

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この部落に住む、歴史研究者の上杉聰は、江戸末期の古地図に注目する。大坂の中心、大坂城から見ると、西の外れ、はるか遠いところに、浪速部落のルーツである渡辺村の名前が記されている。さらによく見ると、近くの町からは、葦の原っぱで隔てられ、町との行き来は、細長いたった一本の道しかなかったことがわかる。村の住人たちは、日中、仕事があるときは町へ行くが、「夜になったら“お前たちは獣の住む世界”に帰れ」と細い一本道を通って、渡辺村へと帰された。この道が隔てた、人と人の心とは何だったのだろうか。

「穢れ(けがれ)」について―

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近世において賤民とされた人たちが、明治以降も、なぜそんなに一般地域と隔絶され続けたのか。その理由の一つとして、浅居は、地域の人たちが担ってきた仕事との関係を挙げる。浪速部落で、多くの人たちが生業としてきた一つが、食肉の加工や革製品の製造といった動物を扱う職業だったのだ。
賤民(被差別民)のルーツについては諸説あるが、中世日本に根付いた「けがれ」観念と深くつながっているとも言われる。死んだ動物には「けがれ」があり、扱う事ができるのは限られた人たちだけ。その人たちが「穢多(エタ)」などと卑しめられ、冒とくされてきたのだ。

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それなら、なぜ“ケガレている人”の作った製品を、一般地区の人は使用するのか?と疑問を呈するイマニに、「ケガレが多いなどと差別するのなら、君たちが作ったモノは使わない、と言えばいいのにね」と浅居はつぶやいた。
歴史研究者の上杉は、「武具としては革を使う、それが無いと戦争できない。(そこで)血や脂が着いている皮はケガレていて、血や脂を取った“なめした”革はキレイだという理屈にした。実に手前勝手な話です」と語った。

“えぇとこどり”される違和感

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肉は食べるけれど、食肉加工に携わる人に対しては、「ケガレている」などと差別する。この矛盾に、スタジオのたま(香川の部落出身)も、「せっかく、おいしいもん食べてんねんから、(食肉加工を)やった人のことも、ちょっと考えてほしい」と言う。
管原アリースは、肉を食べたり、革製品は使うのに、その加工に携わる人たちにまとわりつく差別には関心が向かないことを、アメリカで黒人が置かれた状況と比較。ヒップホップなどの黒人文化や黒人ラッパー風のファッションは「格好いい」ともてはやされるが、「公民権運動やブラック・ライヴズ・マター(2013年に始まった黒人差別反対運動)の話になると、みんな静かになってしまう」と語った。「えぇとこどり」されている違和感は、アメリカの黒人たちにも通じるものだった。

ブラク・オン・ザ・ビート!

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和食やアニメといった日本文化に惚れ込み、日本にやってきたというイマニが、部落と深い関わりのある音楽と食文化に触れる。
訪ねたのは、浪速で活動する和太鼓集団『怒』。古くから太鼓づくりが盛んだった地域、今でも重要な地場産業。にも関わらず、長くこの地域には“打ち手”がいなかった。1980年代、地域の“打ち手”を育てようと『怒』が誕生。新しい文化として根づいていった。

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この和太鼓チームは、一般地域の人たちにも門戸を開いている。イマニも体験させてもらった。和やかな雰囲気のなか、練習に参加したイマニは、打ち手の一人・松浦延浩に話を聞いてみた。「太鼓演奏をしている」と人に言うとき、「(部落の人間だと)そう思われているのではないか、差別されたらどうしよう」という心配が頭をよぎると松浦は話した。イマニは、ヒップホップダンスや黒人音楽にどっぷり浸って育ってきたが、そこに後ろめたさを感じたことはない。「好きなことに夢中になっているとき、それがどう見られるか心配しなきゃならないなんて理不尽だ」と気持ちを吐露した。

部落発祥!?激レア・グルメ

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「新しい和食、HEY!」と期待に胸躍らすイマニ、次の行き先は、地域の居酒屋。なかなかお目にかかれない部落発祥と言われるメニューが揃っている。一品目、「肉の煮こごり」は、牛のアキレス腱を煮込み、にじみ出たゼラチン質でぷるんぷるんに固めたもの。テリーヌに近く、ビールにも日本酒にも、ワインにも合う。二品目は「油かす」。これをうどんに入れた「かすうどん」が、“大阪名物”として売り出され、知名度うなぎのぼり。浅居は、こうした食べ物が誕生した陰に、部落の置かれた環境が深く関わっていると言う。「ビーフのところは売り物。我々は残されたホルモンを食べる」。これにイマニが反応。不要とされていたものを工夫して生かしてきたのは、米国ルーツのある有名な食べ物にそっくりなんだそう。それが「フライドチキン」!ご存知だろうか?奴隷だった黒人が、白人の捨てた手羽先を揚げて食べたのがフライドチキンのはじまりなのだという(※諸説あり)。
いずれも、貧しいなかで、安く手に入る食材をおいしく食べられるよう先祖たちが創意工夫してきた料理。まさにハングリー精神が産み出したソウルフードだ!

部落の歴史を知らずして、日本の歴史を理解したことにならない

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大阪を中心に有名になりつつある部落グルメには、馬肉を燻製にした「さいぼし」など、ほかにもある。部落ごとに好まれるモノも違うと、スタジオは盛り上がる。部落の外で育った宮前千雅子も、幼い頃から、「油かす」や「さいぼし」が大好きだったという。しかし、その記憶には、いくらかの苦みが混じる。「おいしいけど隠して食べるっていうのが鉄則で、絶対に“こんなん食べてるって、友達に言ったらあかんで”と言われて幼少期を過ごした」と言う。東佳実は、キムチなど朝鮮半島の食文化のように、そのルーツとともに普及したら、部落を理解する入り口になるのでは?と投げかけた。部落出身のノンフィクションライター・角岡伸彦は、日本の伝統芸能も、その多くは被差別民たちのなかから生まれていると指摘した。

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議論を聞いていた英字新聞紙コラムニストのバイエ・マクニールは、「黒人の歴史を知らずしてアメリカの歴史はわからない。同様に部落民の歴史を知らずして日本の歴史を理解したことにならない。多くの文化の源流なのだから」と語る。角岡も「これまで部落問題は、“怒り”や“悲しみ”しか伝えられてこなかった。でも実は、食文化や伝統芸能、技術など、面白い話もたくさんあるし知ってほしい」と語った。
「差別-被差別」だけではない、多様で多面的な側面から部落を知り、理解を深めていくことも大切なのではないか、そんな問いかけが生まれたスタジオだった。

部落史の知られざる側面に触れる

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部落って悲しみと怒りしか伝えられてこなかったけど、文化や芸能、産業など面、白い話、いろんな事をもっと知っていかないとあかん!角岡のフリで、イマニとバイエの部落旅、最終章スタート。

二人がやってきたのは浪速部落の一角にある公園。入り口に鎮座する石碑が、ここが歴史的意味を持つ場所であることを匂わす。実はここ、太鼓屋又兵衛という、太鼓の製造で財をなした人物の豪邸跡だ。史料によれば、又兵衛という人物は、現在の貨幣価値にして350億円の資産を持っていた。又兵衛に次ぐ富豪も地域には数十人いたという。歴史的に“被差別民は貧しい”、というイメージが必ずしも当てはまるわけではなさそうだ。

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こうした部落の先祖は、何を考え、どう財をなしたのだろうか?史料はほとんどないが、手がかりはある。イマニが会いに行ったのは、太鼓づくりの匠、葛城小一郎。葛城が受け継いできた太鼓作りの技術・知恵のなかにヒントを探ると・・・、目をひいたのが、いつでも太鼓に張れる形に積み上げられた、プラスチックのようにカチカチの皮。カチカチの皮は、原料皮をなめして乾かし、長期保存を可能にしたもので「乾皮(かんぴ)」という。これを太鼓に「仮掛け」することで、乾皮を太鼓の胴に合う形に成形しておき、注文があればすぐに張れるようにしているのだ。葛城は、「お客さんが来て頂いたときに、すぐに張れる。一から作っていたら、けっこう日にちかかりますんで」と代々受け継がれた工夫のメリットを語る。客のニーズに応えることで、商売としても成功をおさめるために、こうした技術が生まれたのだろう。

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ここで再び、先ほどの江戸期大坂の市街図。大坂城を頂点とした城下街が中心に描かれ、浪速部落のルーツである渡辺村は隅っこだ。でも、別の視点、海側から描かれた地図ではまったく異なった姿が見えてくる。商都・大坂の沖には、瀬戸内海・大坂湾を行き交う帆船が多数ひしめき合い、大坂市街に続く運河に列をなしている。その船が最初に通るのが、この村だ。地図には「エタ村」と侮蔑的な表現が書かれているが、海上交易の要所であったことは明らか。年間10万枚ほどの皮革が扱われ、武士からこっそり借金を頼まれるほど裕福な者もいたと記録に残る。江戸時代、ここは全国の皮革の流通センター的な役割を果たしていたと考えられている。

アフリカンアメリカンの部落をめぐる旅はここで終わり。バイエとイマニは、最後に3つの言葉で、部落のことを言い表した。
Resilient 困難からの回復力がある
Patient 忍耐強い
Communal 結びつきが強

「差別-被差別」だけでない、多面的に理解してほしい

BLACK IN BURAKU ~アフリカンアメリカン、被差別部落をゆく~ 後編 写真16

最後のスタジオトークでは、大学で教員をしている宮前千雅子が祖父の思い出を語った。「祖父は、自分で牛を飼い、自分で殺してお肉にする仕事をやっていた。亡くなったときに、形見として、ずっと使っていた包丁をもらったんですけど、その刃がすごく、すり減ってすり減ってしていた。長年使っていたその包丁に、祖父が丁寧に自分の名前を彫っているのを見て、職人としての誇りみたいな、そんなんはきっとあっただろうな、と思った」。

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差別-被差別の視点だけでは見落としてしまいかねない「誇り」がある。この話を受けて、バイエは、アメリカの『黒人歴史月間(毎年2月)』のように、部落歴史月間をもうけたら?と提案。るい(仮名)は、米国のウーマンズ・マーチやLGBTQパレードのようなポジティブに意思表示をできる機会をつくりたいと伝えた。

部落ルーツの若者たちの感性や、アフリカ系アメリカ人の経験と感覚が交わることで、「現代の部落問題」を少しでもひも解いていくスタートラインに立てたのではないだろうか? これからも、バリバラでは、部落について考えていきます!

玉木幸則のコレだけ言わせて

玉木幸則のコレだけ言わせて

「背景を知っておく必要もあるよね」

ネガティブ思考ではなく、ポジティブ・シンキングが大事なのではと思った。つまり「差別があるから部落を無くそう」ではなくて「部落には部落の文化がある」ことを大切にすること。ホルモンが流行っているだけでなく、ほかにも社会に影響を与えている部落ルーツのものはたくさんある。そういうことをスピークアウトしていかないといけないと思う。収録では、文化の継承という言葉も出ていた。「差別をなくすこと」は何より大事、でも、部落で受け継がれてきた文化なども同様に大切やと思う。それは、バリアフリー・バラエティーでいえば、“バラエティー”の部分。いろんな角度から取り上げて、「残すべき文化は残していこう」と。ホルモンは美味しい、でも、それだけじゃなくて「背景を知っておく必要もあるよね」っていう話やと思う。