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みんなのメッセージ

「神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」が襲撃され、多数の入所 者が死傷した事件について、みなさんのご意見をお寄せください。」

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投稿メッセージ

私が初めて知的障がいの男の子に出会ったのは、小学生の時でした。その時は特別学級というものがあり、彼はほとんどクラスにはいませんでした。彼が同じ学年の友人たちと過ごす時間は、少なかったように思います。恐らく、先生方は他の生徒たちよりもゆっくり勉強できる環境を作るために特別学級を設けたと思いますが、私は必要ないと思っていました。なぜなら、健常者でも勉強が苦手な子はいますし、同じ学年の友人たちとのコミュニケーションがますます取れなくなるからです。小学生は素直ですから、彼の持つ障がいに対して心無い言葉を浴びせる事もあるかもしれません。しかし、交流がない限り、彼の障がいを理解することができません。勉強ができる、仕事ができる、能力で測ろうとする考えは実は教育の場で刷り込まれてきたのではないか、と感じます。今回の事件の犯人の考えが世の中にあふれている可能性があるなら、それは教育の現場から変えていくべきであると思います。

ちゃんみか20代女性

私は障害を隠して一般企業に勤めていますが、この事件を聞き、放送を見て、今の日本には健常者と障碍者が全く違う社会に住んでおり、二つの世界に全く接点がないために、互いに攻撃的になっているのではないかと感じました。健常者、特に正社員の社会は、十時間以上の労働が普通に行われ、社内の派閥も足の引っ張り合いもあり、無能だと思われればリストラ、減給があるのが通常です。田中さん(仮名)の言うように、能力の劣るものは排除されますし、誰もそれが当然だと思っています。これに対し、障碍者は生き抜いていければいい社会だと思います。障害を抱えて生きるというのは、それだけ大変で、健常者が仕事で契約をとるのと同じくらいの努力をし、さらに他人の手を借りてやっと生き抜いていくことができるのに、お互いの辛さをわからずに、健常者は能力のない障碍者はいらない、といい、障碍者は、健常者は理解してくれない、と言っているのだと思います。問題の根は、単なる善意などで解決できるよりずっと深いのではないかと思っています。

大村50代女性アスペルガー

やまゆり園の近くを通るので、手を合わせに行きました。自分の妻も精神障害を抱えており、人ごとではなかったからだと思います。今回の事件で思ったのは、障害のある人が社会不適合者と決めつけられてしまい、一億総活躍社会の中にすら組み込まれていない様に感じました。そもそも障害って皆他人事なんだろうと。自分も余裕が無い時、自分の妻の体調が悪化すると「普通に生きてくれよ」と思ってしまうし、そういう自分が我にかえると怖くなる。あの容疑者は障害の無い人には全員いますよ。理解なんて出来ないし想像するだけ。想像力で壁を越えられると思って結婚したんですがね。なかなか難しいです。得体が知れないって事が大きな壁を作ってるんだと思います。「向き合う」とかじゃなく「知る」、まずは。その為には障害のある側の翻訳者がもっともっと増えていく事を、障害のない側として期待しています。

和田峠大好き30代男性妻が
神経過敏症

障がい者支援施設介護職員です。今回の事件は、障がいのあるなしに関わらず真摯に受け止めるべき事件ではないかと思います。重い/軽い/ある/ないは関係ないのではないでしょうか。池田小の事件と、やまゆり園の事件何も違いはないはずなのに、なぜこんなに"差"があるのか分かりかねます。障がい者は軽視されてしまっている、と本人たちが思ってしまう社会にしてはなりません。障がいは選ぶことができません。本人たちは何も悪くありません。「障がい児者支援をしています」と伝えた際に「大変な仕事だね」ではなく「いい仕事だね」と言われたいです。お互いに助け合える社会に一刻も早くなれたらと思います。

雨苗雪音20代女性

元自立支援センターの職員です。12月11日の放送を見て考えるところがありました。私も、容疑者や田中さんと同じ意見でした。ただ事件前は、私だけがこの危ない思想で、この意見を口にしてしまえば私は人でなしであると思い、決して言いませんでした。障害者に日常生活で関わったことがない家族や友人たちは、当たり前ですが、障害者に興味どころか、存在に気付いてもいません。私は今、障害者の社会貢献はお金を稼ぐことだけではないと思っています。彼らが健常者に存在をアピールし、彼ら自身が生きやすくなるために行動することが、まわり回って社会が誰ひとり欠けることなく共存していける状態に持っていくことだと思います。でも、それができるできないに関係なく、私は将来産まれた子どもが障害者であっても、生きていて欲しいと思います。容疑者の思想は、障害者支援に関わった者が必ず通るものです。私は、あの事件が起こったことによって、世間がやっと重度障害者の存在に気付いて問題提起される機会になった(最悪の形で)と思いました。

ねのね20代女性

「障害者は価値がない」という考え方に触れるたびに言いようのない憤りを感じています。相模原の事件はとても辛いです。お金を稼ぐ能力によって不必要な人間として線引きするということは、お金がすべてといっているのと同じです。障害者が権利を主張することも大切ですが、それ以上に大切なのは、社会全体がいろいろな人をありのままに受け入れる力を高めることだと思います。例えばアスペルガーの人を支えることで、支える側が得るものは大きく、どちらが優れているという価値観は当てはまらないと思っています。いろいろな人が支えあって働いたり行事をしたりしながら暮らしていける社会になったらいいと思います。

ふわごま40代

12月11日の放送は非常にショッキングでした。まず、事件に対する世間の印象が薄いという事実。それと、加害者に賛同できる意見。これが今の日本なのかと思うと、やはり悲しくなります。玉木さんはいつも私が求めるコメントを述べてくれるのですごくしっくりきて嬉しくなります。「人の生きる価値」という大きなテーマについての森監督の言葉も嬉しかった。「社会貢献なんてしなくていいんだ。」と断言してくれた。私は、人が生きる意味なんて無いと考えています。人は生まれて、生きて、死ぬ。ただそれだけであって、生きる間に何を成すかなんてことを他者に決められることはない。社会がそれを決めたがっているように感じるのは、そういう教育によって都合のいいように決められた価値観です。人は自分の人生を自分で好きに生きれば良い。もっと、自由になるべきだ。

マキプー40代女性

12月11日の放送は、被害者側の意見と加害者側に共感する意見を紹介して問題提起しており、とても興味深かったです。特に「社会貢献しなければ生きる価値はなくなる」という田中さん(仮名)の意見が心に残りました。それを言ってしまうと、生産性が低くなった健常者も同様に生きる価値が無くなってしまうという意見になり、極度な優生思想が支配する怖い社会になる、という思いにも勿論なりました。ただ、社会貢献を成さない人の「生きる」とは何なのかを、森達也さんにはもっと言及してほしかったです。この放送をとおし自分の生きる意味とは何なのかを含め、考えさせられました。

ニック30代男性

少し犯人の考え方もわからなくもないと思っていましたが、放送を見て障害者の命を尊重し続けていく事が必要なんだと思いました。私は、介護歴3年の主婦ですが、この事件に限らず福祉施設の事件を耳にする度に思うことがあります。介護職は、誰でもできると言われていますが、この事件を踏まえるなら『誰でも』はできないと思います。常に人手不足なので色んな人が雇われています。そういう中で介護の仕事をする為には、ちゃんとした『対価』(給料、知識など)がないといけないと思います。障害者、介護に関わる仕事の人たちの環境改善をしてはじめて防止策になるのではないでしょうか。

ざざざん30代女性

被害者の顔が見えてこない、加害者の事ばかりがクローズアップされる報道に違和感を感じる。亡くなられた方々は確かにこの世に存在し、そして尊い命だったというリアリティーがメディアから伝わってこない。その為、加害者側の意見に流される人が出てこないか心配。そもそも、障害は病気ではないのに200人近くの人々が同じ施設で暮らすという現状に疑問を感じる。彼らは望んでそこで暮らしていたのだろうか。住む場所を選ぶという彼ら彼女らの人権は尊重されていたのだろうか。今回の事件の根っこの部分は、そういう所にあるような気がする。

あそどっぐ30代男性脊髄性筋萎縮症

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