乙武洋匡 × 玉木幸則「愛のガチ対談」愛のガチ対談

玉木
あの本、「五体不満足」はすごく大事やし、僕らも同じようなことを伝えてきたことは事実やし。それは「障害があって不便であるけど不幸ではない」、ということで。「幸せかどうか?っていうのは、自分が感じることであって、他人が決めることでないよね」っていうことを多分、乙武くんも言いたかったはずやから。そのきっかけづくりをやってくれたっていう意味ではすごい功績があると思うんやけどな。

乙武
僕、ほんとに通常学級で育ってきちゃったんで車椅子の知り合い、障害者の知り合いってほとんどいなかったんですよね。だから(障害者のことを)知らない自分が語るのはな?っていう思いもあれば、その一方で、なんかそういうのを期待されてるなら、語んなきゃいけないのかな、でも無理だよな?と思ったり。そのジレンマは、結局この20年近く解消しなかったな~っていうのが正直なとこですかね。

玉木
僕、そこらへんがピンと来てなくて。たとえば小学校1年生とか2年生のときに、 恐らく同級生から、なんで(手足が)ないねん?ということとか。たとえばクラスに40人おったら、何人かにからかわれたり。そういう経験ってなかった? ほんまに。

乙武
聞かれたことはいっぱいありましたね。からかわれたことは、そんなにないっていうか、記憶にない。覚えているのは、小学校3年生とか4年生ぐらいだったかな、公園で遊んでたときに、同じ砂場に、おばあちゃんと連れられてきた僕よりもちっちゃいくらいのお孫さんの二人組がいて。まあ、男の子はやんちゃなことしてたんでしょうね。で、そのおばあちゃんが、「ほら何とかちゃん、言うこときかないと、あのおにいちゃんみたいになっちゃうわよ」、って言ったんですよ。そのときに傷ついたとか、悔しかったとかじゃなくて、近くに母がいたんで、なんか母親に申し訳ないなっていうのはすごくありましたね。どういう気持ちで、いまの言葉を聞いたんだろう?とか。

玉木
そうやとしたら、むちゃくちゃ大人な子ども。

乙武
ハハハハ(笑)。ともかく僕自身がそういうことでは傷つかない子だったんですよ。ひとつは、目立つのが好きだったっていうこともあると思うんですよね。やっぱりこんな身体で街に行けば、ジロジロ見られる訳ですよ。でも、お~オレ、今日も目立ってんな?みたいな。ま、そういうのがひとつ大きかったのと、もうひとつは多分、勉強ができたことと、コミュ力が高くて友だちがいっぱいいたんで。そんな身体のことをいじられたところでビクともしない自信がある自分がいて。

玉木
それは本能的にこうやったら自分は生きやすくなるとか。そういうのを感づいていたっていうか、気付いて、それを自然体でやってきたんやろな。

乙武
かもしれない。ひとつ意識してたのは、僕らちっちゃい頃から感動ポルノで見られてる訳じゃないですか。だから何やっても褒められる訳ですよ。字書いただけで、歩いただけで、飯食っただけで、すごいね?!よくそんなことできるね!って褒められて。で、なんか、褒められたらふつう嬉しいはずなのに、やっぱ僕、複雑だったんですよ。なんで、みんなと同じことしてるだけなのに、オレだけが褒められんの?って。やっぱ子どもながらに考えたら、あぁ~そっか、「お前、手足ないから何もできないやろ?」っていう前提があるから、自分だけが褒められるんだろうな、と。だから、障害があるから、じゃなくて、あろうがなかろうがクラスでいちばん勉強できるとか、クラスでいちばんきれいな字を書くとか、クラスでいちばんモテるとか。だからそうなっちゃえば、もういろんなそんな「障害者だから」っていう枕詞を取っ払って評価してもらえんのかな?っていうのは意識はしてましたね。

玉木
それは結果的に実現できたと思う?

乙武
クラスでいちばんモテる、は無理でしたね。

玉木
(笑)あの、一個聞きたかったんやけど、学校の先生やってたやん、一時期。あの、直球で聞くけど、何を教えてたん?

乙武
何を伝えたかったか?っていうことですか?いろんな大人がいるよ、っていうことですね。う?ん、僕は、まずもってできないことが多いので。

玉木
もうちょっと具体的にわかりやすく言って欲しいんやけど。

乙武
今でも僕、たまに夢みるんですけど、避難訓練があるんですよ。月に1回。あれがやっぱりしんどくって・・・。コドモを先導して避難させることができない。で、一応、学校としての取り決めとして、万が一、そういった災害が起こったら、補助教員の方が僕のクラスの子どもたちを避難させる。僕は僕で、クラスから一旦離れて、階段を使って自分の安全を確保する。ま、それが一応ベストだろうと。いう取り決めになってたんですね。でも、やっぱり悔しかったし、エグられましたよね。それって責任放棄してんじゃないの? 担任として、本当に責任もって預かれてるって言えるの?っていう思いを月1回しなきゃいけないんですよ。うん、それはしんどかったし、やっぱり今でも時々、夢に見ますよね。うん。

玉木
そこちゃうかな?やっぱりその経験っていうのは、やっぱ自分のなかで辛かった、キツかった経験。たとえば生徒とか、同僚の先生に、そういうこと伝えられたんやろうか?

乙武
う~ん。補助教員の、いわゆる自分のパートナーには伝えられてましたけど、同僚の先生とかにはやっぱり伝えられてなかったですね。結構その辺を、僕がわりと言えるようになった転機が、実は3.11だったんですよ。震度5とかくると、このまま家具が倒れてきたり、万が一、建物崩れてきたりしたら、オレ、このまま取り残されて、ひとりで死んでいくんだろうなとか。なんか、いろいろ強がって、さも健常者みたいにして生きてきたけど、オレやっぱり弱者なんだな。めっちゃ無力な存在なんだなって、震災のとき、すーごい突きつけられたんですよ。これはもうどんなに抗っても否定しても、弱いもんは弱いし、できないもんはできないし、しんどいもんはしんどいなって、ほんと突きつけられて、そっからわりと言えるようになりましたね。

玉木
うん。結局な。確かに困ったことは少ないかもしれへんけど、でも、困ったこともある。そこは事実やんね。そんなときはいろんな仲間に助けてほしい、困ってんねん、手伝ってほしいっていうことを、やっぱ正々堂々と、負い目を感じずに、やっぱ伝えていく。で、そういうことで命は守られるんやねっていうことを、やっぱ僕らやからこそ、伝えて行けることやと思うし。ぜひ乙武くんにはそういう発信の仕方をね、僕はやってもらいたいな~って思う。

乙武
僕もなんか、いま、玉木さんとお話してて、自分なりに一つ気付いたことがあって。ま、「手足ありません、一種一級、最重度の障害者です。まわりからは大変だね、可哀想だねと思われているなかで、いやいや、オレ、全然大変じゃないし!オレ、別にみなさんと同じように生きていけますし!」って、優等生ぶって、しかもそれを涼しい顔でこなしていくのが、たぶん、僕のアイデンティティにいつのまにかなってたんだろうな~と。

玉木
プライドや。

乙武
そうそうそう。いま、なんか玉木さんにいろいろお話していただいて、あ、たぶん、そうなってたんだな~って気付きました。

玉木
うん。なんか結論でた?

乙武
好きにやろう!と思って。ははは(笑)

玉木
それでええんちゃうの? ほんまに。なんかこれからは、ちょっとバリバラメンバーも含めて、なんか一緒に動きを作っていこうか。そういうのやっていかれへんかな?
乙武
ぜひ、うん。

玉木
ちょっとギャラは下げて。

乙武
あははは(笑)。もちろんです。ははは(笑)

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