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【シケセン⑦】選挙で振り返る戦後日本(後編)

シケセン
シケセン

2017年02月23日

【シケセン⑦】
選挙で振り返る戦後日本(後編)

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シケセン【シケセン】とは・・・

「試験に出る(?)選挙」の略称。このコーナーでは、学校のテストや入試で役に立つような知識を紹介します。

前回は、終戦直後から、1993年の55年体制の終焉までを見てきた。

女子高生

というか、前回は宮沢首相の顔で終わってたよね。なんだかちょっと悲しげで、私、忘れられない…。その後、自民党が政権から離れて、日本の政治はどうなったの?

《1993年〜94年》選挙制度改革へ

1993年の衆院選の直前、自民党から離党した議員を中心に、新しい政党が相次いで結成された。有権者の期待を集めたのは、55年体制を形成してきた自民党でも社会党でもない、これらの「新党」だった。

シケセン⑦

シケセン⑦

選挙後の新しい首相には、日本新党」の細川護熙代表が選ばれた。自民党は、結党以来初めて政権の座から転落、55年体制に終止符が打たれた

女子高生

具体的に、どんな風に変わったの?

細川政権が最優先に取り組んだのが「選挙制度改革」だ。

シケセン⑦

日本新党の細川代表

前回、「中選挙区制」について学んだよね。それに代わる制度として検討されたのが、「小選挙区制」なんだ。

小選挙区制は、1つの選挙区で1人しか当選しないので、基本的には、同じ政党の候補同士が争うことはなくなる。そうなれば、派閥の力は弱まって、「お金のかかりすぎる政治」に歯止めがかかると期待されたんだ。

最終的に、小選挙区制と「比例代表制」を組み合わせた、「小選挙区比例代表並立制」に落ち着くことになる。しかし、スキャンダルもあって細川内閣はわずか8か月で退陣。その後、宿敵だった自民党と社会党が協力して政権を担うことになった。

非自民連立政権の後、首相に就いたのが社会党の村山富市委員長。社会党の首相は、片山哲以来46年ぶりだった。自民党は、野党になってから1年足らずで政権に復帰した。

シケセン⑦

中央が村山委員長。右は、自民党の河野洋平総裁。社会党は、「社会民主党」と名称を改めるが、党勢は低迷した

女子高生

今まで対立してたのに、突然仲よくなっちゃったんだ。

《冷戦の終結》世界への責任

世界全体を見ても、1990年代は、これまでの秩序が大きく変わる転換期だった。社会主義陣営のリーダーだったソ連が崩壊し、「冷戦」が終結したんだ。

女子高生

冷戦が終わって、日本にとってはいい変化だね。

でも、いいことばかりではなかった。日本は、世界で最も豊かな国の1つになっていた。そのため、国際社会でも一定の役割を果たすことが求められるようになった。

防衛費を抑え、経済成長を優先していればよかったのが、冷戦の終結やその直後に起きた「湾岸戦争」などをきっかけに、国の根幹に関わる安全保障や国際貢献への取り組み方について、考え方の転換が求められるようになったんだ。

女子高生

大きな方向転換だね。大変な仕事に挑んだ首相は誰だったの?

実はこの時期、日本では、トップリーダーが短期間で交代していたんだ。「バブル崩壊」による不況からはなかなか立ち直れないし、国民の政治不信は募っていった。

それが如実に表れたのが、選挙の投票率だ。1995年に行われた参院選の投票率は、44.52%まで落ち込んでしまった。補欠選挙などを除いた国政選挙で、投票率が50%を下回ったのは後にも先にもこの時だけだ。

女子高生

政党に嫌気がさしちゃった人が多かったのかな?

無党派」という言葉を知ってるかな? 「支持する政党がない」という意味のこの言葉が、年末の恒例行事になっている流行語大賞をとったのも、95年のことだ。

女子高生

流行語になっちゃったの!?

この年、いわゆる「無党派層」の台頭を象徴する2つの大きな知事選挙が、東京と大阪で行われた。

東京は青島幸男、大阪は横山ノック、ともに、タレント出身で知名度が高い2人が当選した。2人は、政党の支援を受けずに「無党派」を掲げ、政党が支援する候補を破ったんだ。各政党は、この結果に衝撃を受けた。そして、選挙で勝つために無党派層をどう取り込んでいくのかが課題になっていったんだ。

シケセン⑦

シケセン⑦

青島幸男(上)と横山ノック(下)

女子高生

政党の組織だけでは、選挙に勝てなくなってきたんだね。

二大政党を目指す動き

政権を失った格好の非自民勢力も、ただ手をこまねいていたわけではなかった。

政権交代可能な「二大政党制」を目指した小選挙区制の下、勢力を伸ばしたのが「民主党」だ。96年にできた当初は、「すぐになくなってしまうのでは」などという人もいたけど、次第に、二大政党の一翼を担っていくことになるんだ。2000年の衆院選では、自民党233議席、民主党127議席だったのが、2003年の衆院選では自民党237議席、民主党177議席というところまで迫っていった。

シケセン⑦

民主党の躍進に笑みを浮かべる菅直人代表(2003年)

徐々に力を蓄えてきた民主党だが、2005年の衆院選で自民党が一気に押し返す。いわゆる「郵政解散」による総選挙で、自民党は296議席と大勝し、民主党は113議席と惨敗した。

小泉純一郎首相は、「郵政事業の民営化」の1点に争点を絞った。そして、反対する議員は党の公認候補としないで、別の候補を「刺客」としてぶつけたんだ。「刺客戦略」は連日のようにマスコミで取り上げられ、国民は大いに盛り上がった。自民党の大勝は、いったん勢いがつくと極端に差がつく、小選挙区制の特徴を見せつけるものでもあった。

シケセン⑦

《~現在》自民党→民主党→自民党

二大政党の一翼として自民党に対抗してきた民主党は、2009年の衆院選で308議席を得て圧勝。ついに政権交代を実現させる。「郵政解散」で小泉首相に熱狂した国民は4年後、「政権交代」の道を選んだ。

女子高生

目にもとまらぬ早わざだね。

シケセン⑦

2009年の衆院選で勝利し、民主党政権に

ところが、政権の経験が浅かったことも影響したんだろう。民主党は国民の支持を失い、2012年の衆院選では自民党が294議席を獲得して政権に返り咲いた。民主党は、わずか57しか議席を得られなかった。

女子高生

民主党は、その後、民進党と名前を変えたよね。

シケセン⑦

2012年の衆院選の結果、安倍晋三内閣に

女子高生

結局、選挙制度が小選挙区制に変わって、よかったの?

新聞やテレビを見ると、相変わらず「政治とカネ」の問題を見かけるよね。派閥の力は確かに弱まったけれど、肝心のお金の問題はなかなかなくならない。一時期を除いて自民党が政権に座り続けている状況も変わらず、二大政党制については、当初の狙い通りになっているのか分からない部分もある。それに、選挙結果が極端に偏ってしまうのは問題だ、という意見もある。

ただ、ベストな選挙制度など存在しないし、がらっと選挙制度を変えようという具体的な動きはない。

女子高生

なんか、政治なんてどうせ変わらないという気になっちゃうな。

そんなことをいってる余裕はないと思うよ。日本は、世界で例がないようなスピードで高齢化が進み、国力をどう維持していくのかとても重要な課題だし、国際社会も大きく変化している。

こうした状況に、政党や政治家がどのように向き合おうとしているのか。しっかりと見つめる必要があると思うよ。

(一部敬称略。肩書きは当時のもの)

シケセン
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次回、「突入! 選挙の現場(前編)

次回は 、選挙の現場ではどんな運動が行われているのか、皆さんが気をつけるポイントなどを学んでいこう。

戦後の日本の選挙の流れ、理解できた?

  • 前よりは理解できる。

    13

  • やっぱりよくわからない。

    2

  • 前から知ってる。

    0

みんなの声を聞かせて!