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2013年08月31日のテーマ

子どものため? どう考える“過激”な表現

今月、松江市教育委員会が表現が過激だとして図書室の「はだしのゲン」について閉架にするよう小・中学校に求めていたことが明らかになりました。(26日に撤回)また、スタジオジブリの映画「風立ちぬ」の喫煙シーンについて自粛を求める声が上がったことも話題に。マンガやゲーム、テレビや映画など、子どもへの“過激”な表現についてどう考えたらいいのか? 今回のニュースを入り口に、日本の過去の事例をひもときながら、深読みします。

●マンガなどで子どもの目に触れさせたくないと思ったことは?
●子どもたちに対する規制や制限についてどう考える?
●規制するかどうかの線引きは誰がどうやって決める?


テーマに寄せられたご意見

平和な日本の危うさ

この話題に触れて、直感的に感じたのは、この話題を提起した大人たちは子供たちにどんな大人になってもらいたいんだろう・・・。ということでした。
事実に基づいた作品には親でも伝えられない重要な情報がたくさんある。その一部を問題視して子供達の心の成長の糧を与えないことの方が問題である。性犯罪を犯した人間がはだしのゲンを読んで影響を受けた人たちですか?おそらくそんなことはないと思います。子供達がタバコを吸うのは喫煙する身近な大人や友人たちの影響が大きいはずです。
純粋無垢に育った人間が、日々犯罪が起きている現実社会に放り出されてうまくいくはずがない。私たちが暮らしていく上で平和であることは大切であるけれど、現実社会の厳しさを教えていくのも大人たちの責任であり、今回の話題がその責任を果たしているとは思えない。

商業媒体に違和感

コンビニで働いている者です
雑誌コーナーでいつも疑問に思っている事なのですが、性描写がメインの成人向けの雑誌だけが厳重に隔離されているのに、暴力や犯罪行為を全面に推す漫画雑誌が少年誌と同様の場所で販売されています。
中には反社会的行動がかっこいいような文章が表紙になってもいます。

性描写がアウトで集団暴力行為(犯罪行為)がセーフという現実に違和感を感じています。

子供のために…と裏腹に別の意図があるかも?

 世の中の出来事は、見る角度で如何様にでも表現出来る。
数多くの表現と出会って何が真実なのかを掴み取る、
そうやって子供は、最終的には自分自身で考え方を
育て上げるもの。大人の、或いは社会の出来上がっている
考え方で絞り込んでしまうと、後になって、結果的には
歪んでしまったと、後悔する羽目になるかも知れない。
 だから子供に対して、情報は可能な限り広いスタンスで
提供されるのがベストだと思う。
無菌状態で強力な刺激を全て取り去った環境を与えることって、
何が良いのだろうか・・・

本当に「子どものため」なのか

親や大人個人(あるいはグループ)の主観による主張に過ぎず、それを訴える大人である本人の自己満足や自己肯定、価値観の肯定、あるいは己の思想が正しくないと困る(立場がないのは困る)ための「子どものため」という、もっともらしい理由・建前であるような気がしてならないのは、私だけでしょうか?
「はだしのゲン」や「風立ちぬ」に限ったことだけでなく、子どもを盾にするような(大人である本人の理由を隠しての)理由付けが目立つ・多いような気がします。子どもに対して生きる姿勢や態度を示したり、手本となるべき私たち大人は、本当にこれでよいのでしょうか?

大人の責任と無知

私は、10歳の時に「はだしのゲン」を読みました。学校推薦の映画としても見に行きました。
当時は、戦争に関する映像や本がたくさんあり、両親に聞いたり、説明してもらいながら触れてました。
なので、はだしのゲンを読むことに特に抵抗はなく、原爆の恐ろしさ、悲しさ等、子供ながらに色々と考え学び想像し、何度も何度も読み返しました。
今回の件で、よく耳にした「うちの子はまだ小さいので早い」という親御さん達の言葉。戦争に”うちの子には・・・”は通用しない。
作者の故・中沢 啓治さんが原爆を経験したのは6歳の時。
変える事の出来ない、たった68年しか経っていない現実。
昔も今も子供は戦争の犠牲になってます。
この本を読んだ子供達には、トラウマになる子もいるかもしれない。しかし、それはとても正常な反応だと思う。それを、大人である親や教師がフォローし、子供なりに内容を捉え理解しようとするのではないでしょうか。

判断の根底にあるものとは

極論だろうが、対象は違うが2010年ごろの「東京都青少年健全育成条例」と似た話のような気がする。見せられないもの、そうでないものを、行政がふるいにかけるというのが共通項。残虐な場面や性描写、歴史認識など様々思うところはあろうが、人権や公共の福祉に反しなければ、基本的には社会や家庭の判断に任せればよいと思う。『はだしのゲン』の描写が残酷なら、殺人の描写がある少年マンガや小説、ナチスのホロコーストや原爆の被害を伝えるケロイドの教材写真はどうか。マンガなどは先に書いたとおり。また教材写真は、『ゲン』の描写がだめなら、なおさら衝撃が強く無理であろう。年齢、場合により注釈や修整など一定の配慮をすべきだが、あの描写が否で教材写真が可とするなら、理由は何か。ただ、そもそもの申し入れは「歴史認識の相違」というもの。これも複雑な問題だが、教科書でないものを、行政が是非を判断するのは、やはり違和感がある。

純粋培養で次世代の日本を背負う子供たちを育てる危うさ

殺人(処刑)シーンがいけない、性描写がいけない、喫煙シーンがいけない…。いずれも「未成年が関わって欲しくない」という主張は解りますが、国際化した日本社会で一人前の社会人デビューするまでには正しい知識と理解力を持ってこれらの情報を判断できる大人でなければなりません。
戦時中の特殊な精神状況下・あるいは戦後混乱期の生きるためにはきれいごとばかりでは済まない時代、はだしのゲンに描かれた殺人・性描写は、そんな時代背景を重ね合わせてはじめて見えて来ます。戦争の持つ多面的な負の面を理解するには大事な事です。民族・宗教などの対立からそのような身の危険と隣り合わせで暮らす人々は、今この時間も世界のどこかで沢山生活しています。
喫煙もしかり。少し前まで、職場の徹夜明けは山盛りの灰皿、というのはごく普通でした。ささやかな息抜きを煙草に託し、日本の成長に邁進した時代の姿を変に歪曲すべきではありません。

昔はだしのゲンを読んだときに思ったこと

小学生のときにはだしのゲンを読んで一番強く思ったことは、『アメリカ人に復讐してやりたい』だった。

もちろん戦争の悲惨さもわかった。
だから余計にかもしれないが、『日本人はアメリカ人のせいでこんなに苦しんだんだから、同じ悲惨さをアメリカ人に味あわせてやりたい』という気持ちが一番強かった。

はだしのゲンを規制する必要はないと思う。
だけど、当たり前の話なのだが、大人がはだしのゲンから感じとって欲しいと思うことと、子供が感じとることとは、決して一致するものではない。

「公私」と「創作と現実」に区別を

全ての創作物を読むか否かは受け手の専権事項で各個人が責任持って判断する事であり、あらゆる表現行為は公共の福祉に反しない限り自由です。
嫌がられそうな表現が有ると知らせてくれるなら何を描いても売っても構わないし、法律で規制する必要はありません。
いじめられっ子だった身としては、子供の為と称して行政に規制を求める考えは、意味の無い偽善でしかなく、また、自身の嫌いな表現を潰そうとする手段の意味合いも透けて見えて、その思想は身勝手で醜悪極まりないと考えます。
公私混同はいけません。 表現を過剰に危険視する意見を方々で見かけるが、学術的にその影響力は限定的なものと判明しており、祟りを恐れる事と大差なく、犯罪統計を単純に見ても納得出来ます。誘導心理もまた然り。
死生観について危惧を抱く主旨の意見を見かけたが、中世期の仏教等にみられた観念であって、漫画やアニメと関係付けるのは安直です。

毎日の体験が貴重な人生の一齣

終戦直後の小学生の頃、何度も首つりや服毒自殺の現場で遺体を目撃しました。私達子供は怖いもの見たさで大人たちの腰の下をくぐり抜けて最前列に出て四つん這いで消防団員が行う蘇生処理を見ていました。殆どが助からずに遺体は戸板に乗せられて運び去られるのです。その時その場に居た大人達からは「見るな」では無く「お前達もでかくなったらあんなみっともない事するんじゃないぞ」でした。残酷な場面は後日、夢に見る事も有りましたが目が覚めれば(あんな格好にはなりたくない)という想いでした。以後の人生で何度か自殺級のピンチに遭遇したときでもチラリと子供の頃の場面が蘇り自殺は選択肢に上りませんでした。どんな体験でも(トラウマになる事も含めて)【自分】を創る貴重なファクターとなるのではないでしょうか。売らんが為のエロ・グロ・ナンセンスは無意味ですがその選択だけをおとながして上げれば良いのではないでしょうか。

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