自殺について語ろう

大橋 広宣(おおはし ひろのぶ)さん

1964年山口県山口市出身。地元の大学を卒業後、地方新聞社の記者を経て、独立。現在はフリーの記者、イベント・番組ディレクター、司会者として山口県内で活躍している。計算ができないなど、LD(学習障害)を持ち、全国のLDの子をもつ親の会ほかで講演活動も行う。家族は妻と長男、二男、長女、二女の6人。
(2008年度掲載)

大橋 広宣さんからのメッセージ

「お前、バカじゃ」。小学生のころ、いじめっ子は僕に、容赦ない言葉を浴びせていた。

「本当にお前は、いい加減にしろよ!」。そう言って担任の先生は、僕の作文を破り捨てた。

あれだけいじめられて、馬鹿にされて、どうして「死のう」と思わなかったのか?

学校時代を振り返って、時々思う。

それは、両親が「希望」を与えてくれていたから。

「お前は将来、絶対に人生の勝利者になる」
「いじめられる方は悪くない。いじめる方が悪い。こんなことに負けるな」

その両親の気持ちを思うと、僕はいちいち悲観していられなかった。
「俺は人生の勝利者になる。あいつらに構ってられるか」。そう思い続けていた。

それから、好きなマンガやアニメの続きを知らずに、この世からいなくなってしまうのも我慢できなかった。

「自殺は弱い人がするもの。俺は強く生きる。だから自殺なんか考えもしない」ずっとそう思っていた。

でも、いじめもなくなり、大人になって、子どものころとはまた違う辛さも経験した。
体調の不調、経済的なピンチ、自分の力だけではどうしようも出来ないことにも出会った。

自殺を考えたことはなかったが、「自殺を考えてしまうほどの辛いことは、確かにこの世にはある」とは思うようになった。そう思えるようになると、今度は自分の境遇がとてつもなく有り難く思えた。

僕は、子どものころの友人は少なかったが、今はたくさんの仲間に囲まれている。みんなが励まし、心配してくれる。

ある時期、やむを得ない理由で、昼は新聞記者をしながら、深夜はホテルでフロントのアルバイトをしていた。アパートも引き払い、会社の倉庫にゴザを敷いて暮らした。トイレも風呂もなく、近所の洗車場で身体を洗っていた。

ほとんど寝られず、体調も崩して入院もした。睡眠不足で交通事故を起こし、救急車で病院にも運ばれた。ただただ、子どものころからの意地で、「負けたくない」と会社も辞めず、頑張ってはいたが、なかなか出口が見えず、実際はもがき苦しんでいた。

そのとき、パンや飲み物を持って、1人の友人が深夜のホテルに訪ねてきてくれた。

家族に対しても、友人に対しても、言えないことはある。その友人にも、詳しいことは話していない。人づてに僕がホテルにいることを知って、駆け付けてくれたのだ。

彼は「ここにいると聞いて、ちょっと近くに寄ったから」と言うと、あとは何気ない世間話をして、「じゃあ、頑張ってね」と去って行った。

あとで知ったことだが、彼は僕のためだけに、何十キロもかかる道のりを、残業が終わってから来てくれたのだった。

入院したときは、記者クラブの事務をしていたおばちゃんが、何から何まで世話をしてくれた。あるときは、仕事仲間が「励ます会」も開いてくれた。

みんな、詳しい事情を知る訳でもないし、金銭的な支援などはもちろん一切ない。だけど、僕に気を使いながら、自然に励ましてくれる。

本当にうれしかった。「僕は一人じゃない」。この気持ちが、本当に大切だと思う。

少しでも、自分の苦しみや悩みを誰かと共有できたら、どれだけ楽になるだろうか。どれだけ明日への希望を持つきっかけになるだろうか。

例え苦しみや悩みの内容を打ち明けられなくても、お互いが分かりあえる道はあるのだと僕はそのとき思った。

僕は過去も、そして今も、恐らく未来も、そんな人の“優しさ”に支えられて生きるのだと思うし、今度は自分がその“優しさ”を持ちたい、と心から思う。

 
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