「カサブランカ」はなぜ人気の映画になったのか?

カサブランカ【渡辺祥子のシネマ温故知新】

3月5日(月)[BSプレミアム]後1:00

映画は完成してみなければわからない、とはよく言われること。名作になるか、失敗作になってしまうのか。名監督にすばらしい原作、人気の俳優たちが揃って莫大な製作費を投じてもダメなものはダメ。製作費のモトが取れないハズレの映画は数限りなくある。理由はいくつもあるのだろうが、時々不運な映画が生まれる。

マイケル・カーティス監督の『カサブランカ』(1942)はアカデミー賞の作品賞、監督賞、脚色賞のほかに製作者のハル・B・ウォリスがアーヴィング・G・タールバーグ賞を受賞したことで知られるが、実際に完成するまでは、誰も後世まで語り伝えられる名画になるとは思っていなかった。ダメな条件が揃っていたのに人気の映画が生まれた稀有けうな例だ。

人気映画になった裏には、当時の時代背景の影響が

イングリッド・バーグマンは自分の主演作『カサブランカ』がアカデミー作品賞を受賞したと聞いて驚いた、と言っている。「撮影中は混乱続きで不信感を抱いていたから」。混乱の元になったのは監督のマイケル・カーティスで、彼が脚本を読まずにクランクインすることは、流れ作業で映画を製作するワーナー映画では公然の秘密だった。カーティスはクランクイン前にスタッフに会うこともなく、しかも『カサブランカ』の場合は脚本がなかった。あらすじを書いたメモをもとにして撮影は進められた。
バーグマンは回想録の中で言っている「私がポール・ヘンリードとハンフリー・ボガートの2人と恋愛関係にあることが問題だった。私は脚本のエプスタイン兄弟に聞いたの、私はどちらと結ばれるの? って。すると兄弟は言ったわ、まだ決まっていないので2通り撮ることになっている、って」。結局ボガートとクロード・レインズが霧の中を遠ざかるカットが撮影され、このほうが良さそうということで別のシーンは撮影されなかった。
脚本はジュリアスとフィリップのエプスタイン兄弟の原案をハワード・コッチが脚本化するという形式をとってアカデミー賞では3人が揃って脚色賞を受賞した。

『カサブランカ』が生まれた年、1942年11月8日にはアイゼンハワーの指揮する英米連合軍兵士12万人が北アフリカのカサブランカ、アルジェなどに奇襲上陸を敢行。その8日後、カサブランカという地名が新聞・ラジオを賑わしていた時に映画『カサブランカ』がニューヨークで公開された。さらに年が改まり、一般公開が始まっていた1月14日にはルーズベルトとチャーチルのカサブランカ会談が行われ、そのニュースにあおられるように映画は予想を超えて大ヒット。撮影中のトラブルなどはどこかへ消えて映画が独り歩きを始めることになった。

当時のハリウッドは戦争に人手をとられて人材不足。物資も不足して1943年の映画の製作本数は399本、と低下していたものの観客数は増え、人々は唯一の娯楽だった映画に夢中になった。『カサブランカ』が受賞した第16回アカデミー賞授賞式はそれまでの晩餐会形式をやめて2500人収容できるチャイニーズ・シアターで開催され、オスカー像は石こう像に変わっていた。

そのアカデミー賞の授賞式も今年は第90回。総集編が17日に放送されるのでお楽しみに。もちろん、オスカー像はずっしりと重い金属製だ。

【放送日時】
プレミアムシネマ「カサブランカ」
3月5日(月)[BSプレミアム]後1:00~2:44

プレミアムシネマ「第90回アカデミー賞授賞式・総集編」
3月17日(土)[BSプレミアム]前0:10~1:45(金曜深夜)

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渡辺祥子

【コラム執筆者】渡辺祥子(わたなべ・さちこ)さん

共立女子大学文芸学部にて映画を中心とした芸術を専攻。卒業後は「映画ストーリー」編集部を経て、映画ライターに。現在フリーの映画評論家として、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ等で活躍。映画関係者のインタビュー、取材なども多い。また映画にとどまらずブロードウェイの舞台やバレエなどにも造詣が深い。著書に「食欲的映画生活術」、「ハリウッド・スキャンダル」(共著)、「スクリーンの悪女」(監修)、「映画とたべもの」ほか。

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