うちの西郷を、どうかよろしく頼みます。

大河ドラマ「西郷(せご)どん」

西郷に思いを託し、心をのこしたままこの世を去った斉彬。「西郷どん」の中でとても大きな存在だった島津斉彬を振り返る、渡辺 謙さんのインタビューをお届けします。

生きざまを砂時計が象徴する。

『西郷どん』の原作を読んだ時に、斉彬の死がものすごく唐突で驚いたんですよ。斉彬 役としてその人生を知る僕であっても「えっ?」と思うくらいです。

おそらくそれは西郷の感覚でもあるだろうし、ドラマを見ているお客さんにとっても、ナレーションだけで「え?え?えーっ!?」って思うくらいの最期にしたいと思ったんですね。そこは演出の野田さんとも相談して、僕としては極力、さり気なく逝きたいと思いました。

この方の生きざまを追っていると、僕にはどうも生き急いでいる感じがしてならないのです。それは死期を悟っていたということでもなく、時代を見据えた上での焦燥感だったような気がします。

山田なくして、斉彬なし。

最後まで、そばにいたのは山田でしたね。相当な圧をかけ続けて生きてきた斉彬にとって、ちょうどいいところに山田がいてくれて、いつも緩衝材となってくれました。彼のおかげでまろやかになる部分が多かったので、それはもう分身のように思っていましたね。

山田なくして、斉彬なし。徳井 優さん演じるあのキャラクターが、本当にありがたかったです。

今から、お前はわしになれ。

ここまで、西郷とのシーンは「距離感」を大事に作ってきたんですね。それは藩主と家臣の絶対的な差であり、常に気圧を変換して渡していく、という意識でやってきました。だけどこのシーンは、その圧がまったく同じになるといいなと思いました。

そういう意味では、お篤の輿入れが実現して、西郷とふたりで酒盛りしたシーンもそのひとつです。ただ、あの時は人間として本当にフラットで、視線を交わしながら喜びを共有した時間でした。

一方、この西郷との最後のシーンでは、今やるべきことは何なのかを共有したふたりが、最も気圧の高い状態で向かい合う瞬間だったと思います。

斉彬の根源的なエネルギーみたいなものを、西郷に受け渡す儀式だったのかもしれないですね。

斉彬らしく、既成概念をぶち破れ!

既定路線を二歩も三歩も飛び越えるのが斉彬だと思っていたので、僕もそこに近づけることを表現者として目指していました。その点、美術チームには大いに助けてもらいました。そこまでやるか?っていうほど芝居場を飾ってくれるんで、負けないくらい役を生きようと思いましたね。

例えば、篤姫の輿こし入れを見送るシーンで、島津家の守り神であるきつねの前立てを渡すという演出は、美術スタッフの提案から生まれたものです。僕はそれに乗っかりつつ、本来なら羽織はかまの正装で見送るべきかもしれないけれど、衣装さんに相談してあえて着流しでやらせてもらいました。そのあとで西郷とふたり酒を酌み交わす…という流れも想定してのことです。

ほかにも、父・斉興とのロシアンルーレットのシーンではそっと胸元に懐紙をしのばせてもらったり、「ここに紅茶がほしいな」と言えばさっと用意してくれて。それを芝居の中で何かの形にして出す、というリレーを続けてきました。おかげで、けっこうな冒険をさせてもらったように思います。

煙のように、さようなら。うちの西郷をどうぞ頼みます。

時代劇ってね、制約が多くていいんですよ。ケータイもなくてすぐに連絡も取れないし、すれ違うことも多い。だからこそ人間の持っている感情や情熱、もっと言うと情念みたいなものが、いま生きている僕らの3倍くらいあるような気がします。その思いの深さの中で、人が必死で生きている姿を演じられるというのは、俳優としてもだいご味です。

ただ、いつもの作品ならやりきった感があるものですが、今回は不思議とありません。それはたぶん斉彬の人生と同じで、ものすごく急な坂道を上っている途中でプツンと切れるような終わり方だからでしょう。

最後のリハーサルで、僕の出番が終わって帰り支度をしていると、隣では「殿の死を無駄にはできない」なんて芝居をしているわけですよ。それを聞くといたたまれなくなってね。お疲れさまも言えずに、そーっと帰りました(笑)。きっと斉彬の霊がこのあたりをさまよっていたら、そういう思いをするんだろうなぁと。

もう一度などと言わずもう1クールくらい出たいなぁという気持ちはありますが……それこそが彼の人生。煙のように消えたいと思います。だから、さようならです。うちの西郷を、どうかよろしく頼みます。

2018年(平成30年)大河ドラマ「西郷せごどん」

【放送予定】毎週日曜[総合]後8:00 /[BSプレミアム]後6:00

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