“城マスター”千田嘉博先生が、
松本城の魅力を語り尽くします!

絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城「松本城」

2月4日(金)[BSプレミアム]後10:00~10:59
2月4日(金)[BS4K]後6:30~7:29

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黒く輝く天守が実に美しい長野県の松本城。五層六階の天守は、築城当時の姿をほぼそのまま残しており、国宝にも指定されています。“美しい城”の代表格とも言える松本城ですが、ではなぜこのような美しい城が造られたのでしょうか?

全国各地の名城の秘密を解き明かすシリーズ「絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城」の2月4日放送回では、“城マスター”こと千田嘉博教授(城郭考古学)が松本城の美の秘密を解き明かしながら、城の真髄に迫ります!

千田先生に、番組の見どころとともに、冬の城歩きに欠かせないグッズを教えてもらいました!

黒と白のコントラストが美しい

天守は、壁面の上部が白漆喰しっくい、下部が黒漆塗りの下見板で覆われている。

美しいだけじゃない!松本城の真の姿とは

──先生は、松本城をどんなお城だと捉えてらっしゃいますか?

松本城は、深志城と呼ばれた戦国時代の城を改修して造られました。当時、地域の拠点の城は山の上に築かれることが多かったのですが、深志城は平地に造られた珍しい城。そして、有名な武田信玄を筆頭とする武田氏の勢力の中で、非常に重要な役割を果たしてきた城でした。それが松本城となって今に伝わったのです。番組の中で、このような、歴史的に大変特色のある城の謎を読み解いていけることを楽しみにしていました。

高い攻撃力を持つ城門

大きく立派な太鼓門。門を超えるとさらに大きなやぐら門が待ち構えており、敵は城に容易に近づくことができなかった。
本丸へ入る入り口である黒門。この門にも、実はすごい仕掛けが…。

──松本という土地の特徴を教えてください。

松本は古代から地域の中心でしたが、戦国時代には、全国的に見てもたいへん重要な場所になっていました。番組では、城が築かれた時代松本がどのようなところだったのか、そしてなぜ重要な土地だったのか、それを城から読み解いていきます。
戦国の実力者・武田氏は、信玄の後を継いだ勝頼の時代に織田信長に滅ぼされますが、松本城の前身の深志城は織田軍の侵攻を食い止める拠点として大きな役割を果たしました。残念ながら周囲の味方の城が織田方についてしまったため、やむをえず開城しましたが、武田と織田の激戦の舞台となったのも、やはり松本がとても大事な場所だったからだと思います。武田氏が滅んだ後、松本は豊臣政権そして江戸幕府のもとでさらに発展します。そのシンボルが松本城です。つまり松本城は、松本という土地が歴史的に持っていた重要な役割と、深い関係があるのです。

戦う時代と平和な時代、2つの時代にわたって造られた天守群

それぞれ見ると、戦う時代のものか、平和な時代のものかが一目瞭然。戦う時代に造られた建物には、石落としなどの防御設備が備えられている。
みやびな造りの月見やぐらは、三代将軍徳川家光をもてなすために増設されたと伝わる。

──今回は、松本城の美しさの秘密が、水堀、黒漆の壁、天守の3つの切り口で解明されます。中でも「松本城といえば黒漆」という印象が強いのですが、こんなお城は他にもありますか?

黒い壁を持つ城は全国にありますが、そのほとんどは炭や柿渋で壁板を黒く塗ったものです。黒漆を使った城は、実はとても珍しいのです。ではなぜ松本城はわざわざ黒漆にしたのか、番組ではその謎に迫ります。謎を解くヒントは、漆が古くから仏像や仏教建築に用いられた高貴なものだったことです。普通の建築には使われなかった漆が、城の特別な建物に使われたのは、織田信長や豊臣秀吉の時代のことでした。信長の安土城や秀吉の大坂城がそうです。ですから、松本城が黒漆を使っていることには、たいへん大きな意味があるのです。

松本城といえば黒漆の壁

城の黒い壁は、毎年漆が塗り替えられている。
光沢のある黒壁は、時間や季節によって違った輝き方を見せる。

──千田先生オススメの、松本城が美しく見える角度を教えてください。

松本城といえば、天守が水堀に映る姿を思い浮かべる人も多いでしょう。確かにその姿は美しく、角度によってさまざまな表情が見られて魅力的です。しかし今回ぜひご紹介したいのは、少し城から離れた、遠いところから見た松本城の姿です。そこから見ると、なぜ松本城があれほど壮麗な城でなくてはならなかったのかということが、実によくわかります。城を訪れる人は普通、なかなかそこからは見ないだろうという場所なのですが、そこがどこなのか、そしてどのような松本城が見えるのか、番組でぜひご覧ください。

松本のシンボルでもある松本城。千田先生イチオシの角度は、ぜひ放送で!

──今回のロケで、最も印象に残っていることは?

松本城は平らな場所に造られた珍しい城で、戦国時代の城としても江戸時代の城としても、これほど平らなところに造られた城はあまりありません。そのような城は、山の上に造った山城や小高い丘に造った平山城に比べて、築城が容易だったのではないかと思いがちです。しかし、今回、松本城の周囲を丁寧に歩いてみると、平らに見える地形が実はさまざまな変化に富んでいることに気づかされました。そのような場所に、三重の水堀に囲まれた松本城を築くことが、いかに大変なことだったのかがよくわかりました。さまざまな知恵や技術、科学、考える力、あらゆる努力を積み重ねて松本城は生まれてきたのです。そして、そのことが実は松本城がこれほどまでに美しいことの、大きな理由なのです。お城ファンの間ではよく知られている松本城ですが、あらためてしっかり見ていくことで、新しい姿を見ることができたと思います。

松本城を囲むように造られた水堀。この美しい光景が見られるのも、水堀があればこそ。

──視聴者へのメッセージをお願いします。

松本城は国宝の現存天守を持つ、日本を代表する名城です。すばらしい天守にはいまだ解明されていない謎がいっぱいあります。建物が昔のまま残っているからこそ、多くの謎が秘められているのです。そんな魅力的な天守をぜひ訪れて、実際に目の当たりにしていただきたいと思います。そして、天守を見るだけでなく、堀や土手といったさまざまな城の遺構にも触れていただきたいと思います。
発掘調査によってそれらの遺構からは、今までわかっていなかったことが次々にわかってきています。町の中に残る土塁の跡、堀の跡などを見学して、かつての松本城がどんな姿をしていたのか、どんな目的で造られたのか、そのようなことに思いを馳せて、松本城を体感していただきたいですね。そうすることで、城とともに独自の文化と歴史を築いてきた、松本という町が持つ大きな魅力に触れていただくことができます。城巡りがもっと楽しくなるでしょう。

連載コラム「教えて!千田先生」
“城歩きのコツ” その12

方位磁針で、タイムスリップ体験を

城を訪ねるときには、方位磁針を持っていくことをおすすめします。 昔の人は城を築くときに、方角を大変気にしていました。例えば、魔が侵入するとされる「鬼門」は、北東の方角を指します。そのため、城の北東に、魔除けのための神社などを置いた城が多く見られます。 また、櫓の名前にもよく方角が使われました。例えば、乾櫓(いぬいやぐら)だと乾(いぬい)つまり北西の櫓という意味になります。このような櫓の名前を手がかりに、現地で方位磁針を使って実際に測ってみると、城を築いた人々が城のどこを中心だと考えていたのかがわかります。
松本城にも大天守に連なる「乾小天守」と「辰巳付櫓」が現存しています。乾(北西)、辰己(南東)という名前から、大天守を中心に城が設計されていたことがわかります。

方位磁石を見ながら、城巡り中の千田先生。

絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城「松本城」

【放送予定】
2月4日(金)[BSプレミアム]後10:00~10:59
2月4日(金)[BS4K]後6:30~7:29

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