「病院ラジオ」が生まれるまで

「病院ラジオ」とは…
サンドウィッチマンが、病院に出張ラジオ局を開設!
患者や家族の日ごろ言えない気持ちをリクエスト曲とともに聞いていく。
ラジオを通じてさまざまな思いが交錯する、笑いと涙のドキュメンタリー。

2018年から不定期に放送を続け、このたび第11弾を放送することになりました。

ありがたいことにSNSなどで多くの反響をいただくこの番組、実はベルギーで生まれたドキュメンタリー番組“RADIO GAGA”(ラジオ・ガガ)の日本版なのをご存じでしたでしょうか?

きょうは、「病院ラジオ」がどのようにして生まれたのか、そこに込めた思いをお伝えしたいと思います。

はじまりは、INPUT(世界公共放送番組会議)

こんにちは。「病院ラジオ」の立ち上げにディレクターとして参加した、サトウと申します。

“RADIO GAGA”との運命の出会いは、2016年5月、カナダ・カルガリーでのことでした。

カナダには、INPUT(International Public Television Conference;世界公共放送番組会議)に参加するために行きました。

INPUTは、1977年から開かれている国際会議。
世界の公共メディアの制作者が「公共メディアの役割・意義」という根源的な問いを掲げて集い、「チャレンジング」な番組をもちよって、課題意識や最新の取り組みを共有する場です。

2016年5月11日INPUTでNHKが行ったプレゼンテーションの様子

私は、世界各国の公共メディアが制作した最新番組、新たな制作手法への挑戦、制作者が日々どんな思いで番組に向き合っているのかを知りたいと思い、参加しました。

さまざまな番組が上映される中、私はあるひとつのドキュメンタリー作品に心を奪われました。

この出会いから、すべてがはじまったのです。

運命の作品に出会ってしまった。あふれる思いが止まらない…

運命の作品、それが“RADIO GAGA”

ベルギーの公共放送VRTで放送されていた番組でした。
ラジオパーソナリティの二人が、移動式ラジオブース付きのキャンピングカーでいろいろな場所に旅をして、48時間限定のラジオ局を開設し話を聞くというドキュメンタリーシリーズ。舞台は、医療施設、学校、老人ホーム、刑務所など、さまざまです。

私が見たのは、リハビリ病院を舞台にした回でした。

キャンピングカーで行き着いた先が病院だったことに驚き、
ラジオパーソナリティの二人が真摯しんしに誠実にユーモアを交えながら話を聴く姿勢に共感し、患者さんやご家族がふだんなかなか言えない思いを自然と語りだす様子に胸を打たれました。

印象に残っているのは、
ラジオブースにやってきた男性が語った入院する妻への思い。
病院に入院する経緯とともに語ったのは、何十年も連れ添った妻への愛のメッセージ、懐かしいファーストキスの思い出。
妻の大好きな歌をリクエストして、「早く家に帰れるよう幸運を祈ってもらえたら」と、涙ながらに話し、ブースを去っていく。

流れ始めるリクエスト曲。
病室でラジオを聴いていた妻の目に涙が浮かぶ。
ブースから病室に戻った夫は、涙する妻にキスをして、笑顔で語りかける。

ラジオを通じて、患者さんや家族の思いやリクエスト曲が、同じ病院で過ごす誰かの心に届いていく。
病院での暮らし、日々の営みが、そっと映し出されていく。

命の輝き、尊さ、人間の力強さ、優しさ、温かさ。

その映像と音の世界にいつしか引き込まれ、涙が止まらなくなりました。
生きていてよかった。
命があることは当たり前じゃない。
たくさんの人に支えられて生かされている。
どんなときもひとりじゃない。

番組を通じて出会った人たちに自分自身を重ね合わせ、私は大切な人に思いをせていました。

そして、その日の夜のこと。
衝動的に、日本にいる夫にカナダから電話をかけました。

電話越しの夫は「どうしたの?何かあった?」と心配している様子。

なんの前触れもなく、私は号泣しながら「結婚してくれてありがとう」と伝えました。

人生でつらいとき、苦しいとき、どんなときもずっと一緒にいてくれる夫に「ありがとう」と伝えたくなったのです。

大切な人に思いをせ、日ごろ言えない気持ちを伝えるきっかけをくれた、“RADIO GAGA”。

「私もいつかこんなドキュメンタリーを作ってみたい」

熱い感情が、胸から沸き起こっていました。

ひとりぼっちじゃないと感じられる番組を届けたい

「病院」は私にとって身近な存在で、そこで過ごした時間は、どちらかというと悲しみや苦しみ、つらさ、ひとりぼっちの孤独に満ちていたように思います。

10代のときある日突然母が倒れて、2か月半の入院の末、亡くなりました。
学校に通いながら病院に面会に行き、寝泊まりした日々。
会いにいくと、いつも苦しそうな母の姿。

ほかの家族とあまりうまくいっていなかった私は、心を許せる唯一の存在である母を失うことが怖くてしかたありませんでした。

最後の1か月、母の体調が悪化して話すこともできなくなりました。
私はつらくなりすぎて病院に行けなくなってしまい、母への罪悪感にさいなまれました。

小さいころから、病気になったとき、つらいとき、いつもそばにいて守ってくれた母がもうすぐ亡くなる。
大好きな母にもう会えなくなる。
ほんの少し前まであった日常が急速に失われ、もう二度とかえってこない。母のいない日常を、これからどうやって生きていけばいいんだろう。

そして母が亡くなってからまもなくして、私も病気にかかり、入院生活を送りました。
痛くてたまらない手術や治療を受けながら、今までできたことができなくなる恐怖、これまであった日常が奪われていく悲しみ、誰にも言えないつらさを抱えていました。

生と死が交錯する病院。
さまざまな人たちが、思い思いに過ごしている病院。
いろんな世代のたくさんの人が過ごしているけれど、それぞれがどんな思いで過ごしているのかは知らない。
誰かに打ち明けたいけれど、誰にも言えない思い。
ひとりぼっちの孤独。

もしあのとき、「病院」に出張ラジオ局がきて、思いを話せる機会があったら。好きな曲をかけてもらえたら。ラジオで話す勇気がなくても、誰かの思いや日々の営み、音楽に触れて、笑ったり泣いたりしながら、時間を過ごせたら。

ひとりぼっちに感じる孤独な気持ちも、少し和らぐかもしれない。

もしかすると、この世界には私と同じように孤独を感じている誰かがいるかもしれない。

その誰かに「病院ラジオ」を届けたい。

そこで、「病院ラジオ」という番組タイトルで“RADIO GAGA”日本版を作りたいという企画書を書くことにしました。

熱い思いを企画にこめ、新番組の提案募集に応募。
そして、採択されたのです。
「病院ラジオ」が作れる! とても興奮しました。

たくさんの人を巻き込んで、「病院ラジオ」制作へ

ところが、”RADIO GAGA”日本版を作るといっても、どうやったらできるのか、まったくわかりませんでした。

そこで、熱い思いだけを胸に、とにかく、海外番組の購入を行う担当の部署に走りました。

担当部署のみなさんに思いを伝えると、海外番組のコンセプトや制作手法のフォーマットを購入する仕組みがあることを教えてくれたのです。

たとえば「ドキュメント72時間」は日本でNHKが制作した番組ですが、番組フォーマットを販売し、中国版が制作されています。

海外番組の購入担当者から、ベルギーの“RADIO GAGA”のフォーマットを販売している会社に連絡をとってもらい、日本で番組を作りたいことを相談したところ、無事購入できることになったのです。

ベルギーの制作者と打ち合わせを行い、番組に込められた思い、ノウハウを引き継いでいきました。憧れの“RADIO GAGA”の制作者とつながりあい、魂をひとつにして番組に向き合えたことは、かけがえのない経験になりました。

そしていよいよ2018年、「病院ラジオ」の制作がスタートしました!

心揺さぶられた初収録

多くのみなさんの協力を得て、実現した収録の日。

晴れ渡る夏空の下、サンドウィッチマンさんが乗った車が病院へ向かいました。

はじまる、今はじまるんだ、ドキドキドキドキ、心臓の鼓動が忘れられません。

青空が広がる病院の中庭で、テントを広げ、いざ完成したラジオブース。

サンドウィッチマンさんが病院内をまわり、ラジオの聞こえるスマホを渡したときの患者さんのワクワクした表情。 病室から見えた青空と緑の山々。

ON AIRランプが点灯し、始まりを知らせるジングル音が鳴り響きました。

2年前の胸の高鳴りから始まった「病院ラジオ」が、ついに実現したのです。

ラジオブースの前にぽつりぽつりと集まったお客さんたちに見守られ、患者さんやご家族とサンドウィッチマンさんとのトークが始まりました。

すぐに、ラジオブースは笑いと涙と音楽に包まれました。

ある日突然倒れた女性が気づいた夫婦愛。
入院中の娘に母が贈った愛のリクエスト曲。
生まれつき病気のある息子がラジオブースで語った親への思い。

ブースで語ってくださった思いや音楽が、ラジオを通じて、院内の患者さんやご家族、病院スタッフのもとに届いていく。思いがつながっていく。

知らなかった妻の思いを聴いた夫の表情。
母の気持ちを知った娘の涙。
知らない誰かの思いに触れた、誰かの真剣な表情、優しいまなざし。

そして、病院での日常風景。
治療や検査に日々向き合う姿。リハビリに取り組む姿。
真剣なまなざしで患者さんやご家族に向き合う医療者のみなさん、病院での暮らしを支えるスタッフのみなさん。

朝ご飯のにおい。
夕日に照らされた病院。バイバイ、おやすみの声。
消灯の時間。明かりが消える音。

ともに過ごした撮影クルーも涙したり、笑ったり、しんみりしたり、温かい気持ちになったり、心揺さぶられる瞬間がたくさんありました。

収録が終わり、ON AIRランプが消えて、サンドウィッチマンさんがラジオの終わりを告げたころ。

暮れゆく空を見上げながら、それまで私が抱いていた「病院はつらいところ、悲しくて冷たいところ」という思いはいつしか変わっていました。

帰りの車の中で伊達さんと富澤さんが、心の変化を語ってくださいました。

伊達さん)すごく不安だったけどね、始めるときは。

富澤さん)病院というとどうしても、なんか痛いとか、辛いとか、悲しいとか、そういう冷たい感情のある場所だと思ってたけど、なんだろうね、いろんな人と話すと、なんか、感謝だったり、優しさだったり。

伊達さん)いやあ、あったかいなあ。あったかい話が多かったな。

富澤さん)もしかしたら、そういう一番あったかい感情がある場所なのかなあっていうふうにイメージ変わりましたけどね。

伊達さん)そうだな。

私も同じ気持ちになっていました。
こんなにたくさんの人たちの支えがあって、今自分は生きている、生かされている、そう強く思ったのです。

命ははかなくて、不確かで、生と死は、紙一重なのかもしれません。
深い悲しみ、希望、さまざまな思いが交錯している病院で出会った、
命の輝き、尊さ、人間の力強さ、優しさ、温かさ。

世界には知らなかった思いがたくさんあって、知らない世界が広がっている。
私が見ている世界なんて、もしかしたらとってもちっぽけなのかもしれない。
大切なものを失ったり、世間の風の冷たさに悲しくなったり、生きづらさを感じて苦しんだり、どんなにつらいときも、苦しいときも、生きてみたその先に、小さな希望があるかもしれない。

今を精一杯いっぱい生きよう。

病院のみなさんと過ごした時間、交わした思いを、「病院ラジオ」というドキュメンタリーで届けられるように、仲間たちと熱い思いで一生懸命作り上げました。

番組が完成し視聴者のみなさんに届けることができたときは、とてもうれしかったです。

2018年8月9日初回放送

想像以上だった反響

驚いたのは、放送後の反響の大きさでした。

番組には「生きる力をもらった」「大切な人を思い出した」「ひとりじゃないと思えた」「温かい気持ちになった」といった声が寄せられました。

印象的だったのは、ご自身のことや大切な人とのエピソードを感想として寄せてくださった方が多かったことです。

「病院ラジオ」で描いた世界を、遠くの誰かのこととしてではなく、自分の人生と重ね合わせて見てくださったのだと感じました。

ドキュメンタリーとして表現できたのは、たった一部の瞬間かもしれません。映像に映っていない思い、言葉にならない思いもたくさんあります。

それでも番組を通じて、同じ世界に暮らす知らない誰かの思いが誰かの生きる力になったり、思いがつながっていったりすることが、とてもうれしかったです。

病院で出会ったみなさん、ご覧になったみなさんに、人生にあってよかったと思ってもらえるような時間を過ごしていただくことができていたとしたら、ありがたいなと思います。

誰よりも救われているのは私かもしれない

全国各地のさまざまな病院のご協力を得て、「病院ラジオ」は今もみなさんに出会い続けています。

1本目は、 大阪・国立循環器病研究センターのみなさん
2本目は、東京・国立成育医療研究センターのみなさん
3本目は、東京・国立がん研究センターのみなさん
4本目は、神奈川・国立病院機構 久里浜医療センターのみなさん
5本目は、あの子どうしてる?スペシャル(東京・国立成育医療研究センターのみなさんとリモート収録)
6本目は、神奈川・神奈川リハビリテーション病院のみなさん
7本目は、熊本・福田病院のみなさん
8本目は、東京・東京都立神経病院のみなさん
9本目は、愛知・国立長寿医療研究センターのみなさん
10本目は、長野・長野県立こども病院のみなさん

そしてこのたび、11本目は宮城の東北大学病院のみなさんにご協力いただいて制作することができました。 放送は3月29日(水)総合で夜10時~です。

こうしてみなさんに支えられて続いてきた「病院ラジオ」。
もしかして誰よりもこの作品に救われているのは私かもしれません。

私は今も病気とともにある暮らしを送っています。
痛い治療のとき、不安な検査のとき、くじけそうなとき、希望を失いそうなとき…
いつも思い出すのは「病院ラジオ」で出会ったみなさん、交わした思い、思いのこもったリクエスト曲のことです。

どんなに孤独を感じるときも、きっと誰かが自分のことを思っていてくれる。
ただそこにいて自分らしく生きていること、そのものが誰かの力になっている。
私もいつだって大切な人のことをずっと思っているし、力をもらっているのだから。

そう信じられるようになりました。

いつかもっとみなさんに恩返しできるように、日々の仕事を頑張ります!

ディレクター サトウ

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