栄光の背番号「18」を背負い続けた桑田真澄の実像とは?

レジェンドの目撃者 ~不屈の“18番” 桑田真澄~

2月12日(月・休)[BS]午後9:50~10:39

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プロ野球の歴史を彩る名選手はどのようにして伝説的な存在になったのか、同時代の目撃者の証言から迫るトーク番組「レジェンドの目撃者」。今回は、巨人で活躍した伝説の投手・桑田真澄さんの野球人生に光を当てます。

巨人の“エースナンバー”である背番号「18」を背負い、数々の名勝負を繰り広げた桑田さんですが、栄光の陰には数々の挫折とたゆまぬ努力の日々がありました。選手生命が危ぶまれるほどのけがを負いながらも、再びマウンドに復帰し、エースナンバーを21年間守り続けた桑田さん。その不屈の精神、そして意外な素顔とは?

取材を担当した内藤瞬ディレクター(以下、内藤D)と秋山務ディレクター(以下、秋山D)に、取材を通して見えてきた桑田さんの魅力と番組の見どころを聞きました。

桑田真澄

高校野球の名門・PL学園出身の投手。甲子園歴代最多の20勝を挙げ、1986年にドラフト1位で巨人に入団。小柄な体格ながら、巧みな投球術と多彩な変化球で打者を翻ろうし、7度のリーグ優勝に貢献して通算173勝を挙げた。2006年に巨人を退団し、翌年MLBのピッツバーグ・パイレーツでプレーして引退。現在は、巨人の二軍監督を務めている。

Part1
若くして背負った背番号「18」の重みと立ちはだかるプロの壁

これまで、自身について多くを語らなかった桑田さんの意外な素顔に、MCの土屋礼央さんと副島萌生アナウンサーも興味津々。

高校野球のスターとして注目を集め巨人に入団した桑田さんですが、体が小さく、使える球種が2種しかなかったこともあり、1年目の成績は2勝。強打者ぞろいのプロ野球の世界で高い壁に跳ね返されます。そこで生き残りをかけて、当時日本では浸透していなかった革新的なトレーニングを実践。さらに、地道な研究と練習を重ねて変化球を増やしたことで、翌年からは目覚ましい活躍を見せますが、入団7年目の1992年に突如スランプに陥ります。

若くして背番号「18」を背負い、大きな期待とプレッシャーの中で戦ってきた桑田さんは、どんな思いを抱え、いかにして逆境を乗り越えたのでしょうか? 背番号「18」の先輩である堀内恒夫さん、ルーキー時代から桑田さんを間近で見てきた斎藤雅樹さん、村田真一さんらの証言を交え、当時の様子を紹介します。

内藤D取材メモ

前半は、入団1年目から1994年にリーグ優勝を決めた「10.8決戦」のマウンドに上がるところまでを紹介します。野球の技術的な話題ももちろんおもしろいのですが、取材していて特に印象的だったのが、桑田さんのプライベートを知る方の証言です。桑田さんが現役時代から通っている名古屋の理容師の方を取材したのですが、ふだんは2週間に1回散髪に来るところ、試合で不調が続くとげん担ぎで週に1回来ていたそうなんです。そこまで勝利への執念を燃やし、球場の外でもこだわりを持って過ごされていたというのが興味深いですよね。

また、不調の時期に、ライバルチームの選手にアドバイスを求めに行っていたというエピソードも印象的です。当時は他チームの選手に投球術について聞きに行くなどタブーだった時代。今回取材させていただいた東尾 修さん(西武の元投手)も、桑田さんの底知れぬ探究心に驚いていらっしゃいました。そのほか、打者として対戦した広澤克実さんにも取材しました。ライバルの視点からどのような証言が飛び出すのかにもご注目ください。

Part2
選手生命の危機から奇跡の復活へ

長期におよんだリハビリ期間中に桑田さんが取り組んでいたこととは?

チームが5年ぶりに日本一に輝き、MVPを獲得した翌年の1995年。またもや桑田さんに試練が訪れます。試合中のアクシデントで、右ひじの靱帯を損傷。当時は再起不能とも言われましたが、桑田さんは手術を決断します。約1年半におよんだリハビリ期間中の様子を、自主トレを共にしていた後輩投手・岡島秀樹さんが明かします。

そして、661日ぶりの復帰登板にまつわる知られざるエピソードが桑田さん自身の言葉で明らかに。奇跡の復活を成し遂げたマインドと、苦難の道のりについても語られます。

秋山D取材メモ

桑田さんといえば、1997年4月に661日ぶりにケガから復帰した際、右ひじをプレートに付けた場面が有名ですが、桑田さんは試合中にパフォーマンスをするタイプではないので、岡島さんや村田さんは「みんなが驚いていた」と証言されていました。でも、桑田さんは手術の日からずっとそうしようと心に決めていたと言うのです。そこには桑田さんのある強い思いが込められていました。その思いについては、ぜひ、放送をご覧いただいて桑田さんご自身の言葉を聞いていただきたいのですが、僕はそれを聞いて思わずグッときましたね。

その年と翌年は二桁勝利を挙げ完全復活を遂げたかに思われましたが、そこからまた低迷期に入るんですよね。若手の台頭やFA移籍などにより、桑田さんの立ち位置も厳しくなっていく中、村田さんや斎藤さんと同じタイミングで引退することも考えますが、2002年に再び輝きを取り戻して最優秀防御率のタイトルを獲得しました。当時野球少年だった僕としては、この復活劇にもまた胸が熱くなりましたね。なぜ引退せずに再起を目指そうと思えたのか? 今回、その経緯や理由が桑田さんご本人の言葉で語られますのでぜひご期待ください。

内藤D秋山Dまとめメモ

内藤D:桑田さんというとストイックで何事も卒なく完璧にこなすエリートという印象を抱いていました。取材をしていても「桑田はあまり落ち込んだりしなかったんじゃないか」「桑田は完璧主義だから、きっと先々のことまで密に計画していたと思う」というような声が多かったんです。でも、スタジオで桑田さんご自身から語られたのは意外な一面でした。入団1年目から挫折を味わい、弱音を吐いたり「もうダメだ」とあきらめかけたりしていた当時の心境を伺い、すごく親近感を覚えました。あまり自分の内面を表に出す方ではないですし、これまでご自身についてここまで多くを語る機会はなかなか無かったと思います。この機会に、これまでのイメージとは違った桑田真澄像を多くの方に知っていただけたらいいなと思います。

秋山D:スタジオで桑田さんのお話を聞いて「こんなにも頑固で熱いところがある方なんだ」と改めて驚かされました。エピソードの一つひとつが興味深いのですが、全体を通して、関西出身の桑田さんならではのユーモアあふれるトークがすごくおもしろいんです。あと、2002年の復活について、村田さんが「肘を手術していなかったら復活していなかったかもしれない」という趣旨のことをおっしゃっていて、そういう考え方があるのかと鳥肌が立ちました。挫折と復活を繰り返しながら苦しかった経験もプラスの力に変えてきた桑田さんの野球人生は、ふだん野球を見ない方にもきっと響くものがあると思います。さまざまな世代の方にご覧いただきたいです。

今後の放送予定

2月19日(月)「石毛宏典」

西武でキャプテンを務め、“ミスターレオ”と呼ばれた石毛宏典さん。秋山・清原・工藤ら個性豊かな選手たちをまとめ、西武の黄金時代を支えました。走・攻・守の三拍子そろい「史上最高のオールラウンダー」と呼ばれた石毛さんをかつてのライバルたちが徹底分析。“ミスターレオ”の真実に迫ります。

「レジェンドの目撃者 ~不屈の“18番” 桑田真澄~」

【放送予定】
2月12日(月・休)[BS]午後9:50~10:39

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