これまでの街歩き

アデレード/ オーストラリア

2010年4月11日(日) 初回放送

語り:寺脇康文

撮影時期:2010年3月

世界地図

地図

場所

アデレードは、人口およそ100万のサウスオーストラリア州の州都です。文化・芸術の街といわれ、一年を通じてさまざまなフェスティバルが開催され、「フェスティバルシティ」とも呼ばれています。また、開拓が始まった1836年ころから自由移民の街として知られ、移民たちに寛大で、これまでに多くの外国人を受け入れてきました。街を歩くと、さまざまな言語が飛び交い、いろんな顔立ちの人々が生活していることがわかります。
アデレードは、そんなボーダーレスな社会をオーストラリアでも一早く取り入れた先進的な街なのです。おおらかで素朴、そして、来る者は拒まずの姿勢。どんな人たちにもフレンドリーなアデレードの人たちです。

Information

移民の街

アデレードの街を歩いていると、さまざまな国の人たちとすれ違います。アジア系、アフリカ系、アラブ系、そして最も多いのがヨーロッパ諸国の人々です。彼らは、祖国からこのアデレードに移民してきた人たちなんです。アデレードはもともとイギリスからやってきた移民たちによってつくられました。
1836年、イギリスから来た最初の開拓団がグレネルグに到着し、最初の街が造られました。当時、オーストラリア開拓には、シドニーやホバートのようにイギリスから連れてこられた囚人たちが当たるのが常でした。刑務所と囚人たちによって街が設計、建設されていったのです。しかし、アデレードはこの地に夢と希望を持って自ら志願した自由移民によって造られました。このアデレードの自由移民の精神は、アデレード市民にとって誇りであり、その後もヨーロッパ諸国から広く移民を受け入れ、第二次世界大戦以降は、アジアからの移民も多く受け入れるに至ります。
そして近年、オーストラリア自体がイギリスやヨーロッパとの関係よりもアジア諸国との関係に力を入れ出したのと同時に、またさらに移民の街としての特色が際立ってきているのです。

アデレード フリンジ フェスティバル

アデレードは、フェスティバルシティといわれるほど、年間を通じてさまざまなフェスティバルが開催されるお祭り好きな街です。特に2月から3月にかけて3週間も行われる「アデレード フリンジ フェスティバル」は、世界的に有名なアートショーで、夏の終わりのビッグイベントとして大盛り上がりをみせます。
市内300か所にもおよぶ劇場やライブハウス、クラブ、レコードショップなどで、およそ700ものショーが開催され、連日深夜まで多くのファンでにぎわいます。なんでこんなにアデレードの人たちは、お祭り好きなのか?フリンジフェスティバルの出演者によると、「アデレードは一年中天気が良くて、いつも晴れているから」だとか…。また、いろんな国からの移民がいるため、さまざまな文化が混在していて、新たな芸術や文化が生まれやすいからだという説もあります。アデレードが文化と芸術の街といわれるゆえんがここにあるのです。

ザ・ガ―ン

ザ・ガ―ン号は、オーストラリア大陸の北の端、ダーウィンからアデレードまで、2976kmを結んでいる、まさに文字通り大陸を縦断する豪華寝台特急列車です。誕生は1929年。もう80年も内陸の赤い砂漠の大地を走っています。このザ・ガ―ンという名前は、19世紀、イギリスの探検隊がアフガニスタンからラクダを連れてきて、内陸部の砂漠地帯で隊列を組んだことに由来します。そのラクダのキャラバンは「アフガン」と呼ばれ、それがザ・ガ―ンの前身である「アフガンエクスプレス」の名前になったのです。ザ・ガ―ンは、そのアフガンが短くなってついた名前なんです。
ザ・ガ―ンの旅は、2泊3日。途中の砂漠の街・アリススプリングス停車時に行われるキャメルライドツアーや、キャサリン駅停車時のキャサリン渓谷のボートツアーも魅力。
豪華なダイニングカーでのおいしい食事とオーストラリアワインを楽しみながら、54時間の列車の旅を楽しむ。オーストラリア開拓期の探検隊の気分で車窓の風景を眺めれば、気分は19世紀にタイムスリップすることでしょう。

※NHKサイトを離れます
ページトップ