これまでの街歩き

パリ モンマルトル地区/ フランス

2016年3月1日(火) 初回放送

語り:工藤夕貴

撮影時期:2015年10月

世界地図

地図

場所

 フランスの首都パリの北部18区に位置するモンマルトル。パリ中心部からは地下鉄12番線か2番線に乗って10分ほどの場所にあります。頂上のサクレ・クール寺院は海抜130mに達し、街全体が丘の斜面に広がっています。
 丘の麓にあるクリシー大通りを境に、19世紀後半までこの街はパリの外にありました。パリ郊外にあった事で酒税がかからず安い酒が飲めた事から、キャバレー「ムーラン・ルージュ」をはじめとするダンスホールや酒場が多くでき、歓楽街として発展したのです。
 高低差が激しい街には至る所に階段が伸びています。丘の頂上付近には、かつてここが農村だった事を伝える大きな風車が2台、そしてモンマルトル最後のブドウ畑も残っており、今もわずかながらワインが作られています。頂上にそびえる白亜の寺院サクレ・クールは、パリを一望できる観光スポットとして世界中の人々が訪れます。

Information

夜の歓楽街・モンマルトル

 真っ赤な風車で知られる老舗キャバレー「ムーラン・ルージュ」は、モンマルトルの言わずと知れたランドマーク。ここの舞台に毎晩立っているダンサーのオルガさんがこの街が歓楽街としてたどった華やかな歴史を紹介します。
 モンマルトルの丘に今も残る2つの風車は、ここが小麦畑とブドウ畑が広がる農村だった事を思い出させます。19世紀半ばまでこの丘には30基もの風車が回っていたのです。パリの郊外にあった事で酒税が免除されていた事から、やがてこの街は歓楽街として発展してゆきます。
 19世紀終わりに「ムーラン・ルージュ」が産声を上げると女性たちがスカートをめくり上げて踊る「フレンチ・カンカン」を目当てにパリジャンたちが毎夜押しかけます。歓楽街文化は、当時この街に暮らした芸術家たちをも多いに刺激しました。「ムーラン・ルージュ」のポスターを多く手掛けたトゥールーズ・ロートレックもその1人です。幼少期にけがで障害を負っていたロートレックは、夜の盛り場に自らの居場所を見つけ、そこでたくましく生きる女性たちを愛情のこもった視線で多く描きました。

食べ歩きグルメ

街歩きしながら手軽に楽しめるご当地の味を、厳選してご紹介!

 今回紹介してくれるのは、モンマルトルの陶芸家アニータと、食べ盛りの息子ディエゴくん、そしてちょっとシャイなお父さんジャン・ピーエルさん。
 食いしん坊一家が一挙紹介するのは、地元の人ならではの素朴な味や、アートさながらのスイーツを発信する新進気鋭のパティシエの作品。

モンマルトルのシャルロット

パリで今最も注目されているパティシエが贈るのは、マロン・グラッセやマロン・クリーム、ヘーゼルナッツのビスケットを重ねた「モンマルトルのシャルロット」。スイーツをモンマルトルの丘に見立てて、頂上には生クリームで白亜のサクレ・クール寺院をあしらうこだわりぶり。ケーキを大きなカップに入れたのは、数人がスプーンでつつき合って食べられるように。まだ暖かい人付き合いが残るモンマルトルならではのスイーツに、食いしん坊一家も感激。

フルーツ・タルト

生まれも育ちもモンマルトルというアニータさんが子どもの頃から食べて来たのが、商店街の老舗タルト店。アンズやイチジク、ルバーブなど季節の新鮮なフルーツをふんだんに使ったタルトは、地元の人々に愛されて30年。今このタルトを何よりも心待ちにしているのは、アニータさんの陶芸教室に通ってくる子どもたち。

モンマルトル・カップ

創業130年の老舗レストランにはモンマルトルの歴史にちなんだ逸品があります。赤ワインで煮たプルーンの上にバニラ・アイスを乗せたデザート「モンマルトル・カップ」。かつてワインを作るためのブドウ畑が広がっていたモンマルトルには、今も一つだけブドウ畑が残っています。芸術家たちが、この丘がのどかな農村だった時代を忘れないようにと守ってくれた畑です。この畑で採れるブドウから今も毎年ワインが作られているんです。

ちょっとより道

街からちょっと足をのばして、イチ押しの観光スポットを訪ねます!

ルノワールの名画の舞台「シャトゥー・印象派の島」
語り:パパイヤ鈴木

 パリ中心部から郊外線に乗って15分。パリ近郊の街シャトゥーには、セーヌ川に浮かぶ中州「印象派の島」で知られています。19世紀中ごろに、フランスで最初の鉄道用鉄橋が作られると、緑あふれる中州は、パリジャンたちが週末を過ごすレジャースポットとして人気を集めました。
 パリジャンと共にこの街を訪れたのは、当時パリで始まったばかりの芸術運動「印象派」の画家たちでした。印象派をけん引したルノワールもここで多くの作品を残します。そして名画「ボート遊びをする人々の昼食」が生まれるのです。
 作品が描かれたレストラン「フルネーズ」は今もそのままの姿で残っており、絵の舞台となったバルコニーを訪ねる事ができます。レストランの人によれば、「ボート遊びをする人々の昼食」に描かれているのはフルネーズの主人や印象派の仲間たち、そして後に妻となるアリーンです。ルノワールが最愛の妻アリーンに出会ったのもここ印象派の島だったのです。
 レストランを出て川沿いを散策していると、昔の舟を修復している人たちに出会いました。印象派の時代の舟を修復しているのだそうです。木製の小さな舟でセーヌ川を遊覧する「舟遊び」は当時パリジャンたちに大人気のレジャーだったのです。舟を修復していた男性に誘われ、昔の舟に乗る事に。まぶしい緑や川面に反射する太陽の光。光の変化を絶妙に捉えた印象派たちが求めた景色がそこには広がっていました。

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