これまでの街歩き

極東のサンフランシスコ
ウラジオストク/ ロシア

2018年11月20日(火) 初回放送

語り:イッセー尾形

撮影時期:2018年9月

世界地図

地図

場所

 ロシア沿海地方のウラジオストクの歴史は150年余り。それ以前は、中国の清朝の領土でしたが、清朝の弱体化に乗じて手に入れたロシア帝国が、ウラジオストクの街の建設を始めました。
 20世紀初めにロシア革命が起きたとき、日本はラジオストクに出兵するなど、街とは深い因縁がありました。しかし、第2次世界大戦後は、ウラジオストクは、ロシア海軍太平洋艦隊の拠点だったため、30年以上もの間、外国人立入禁止の「閉鎖都市」となり、日本にとっては文字どおり、「近くて遠い国」になりました。
 1991年12月のソビエト崩壊以降、日本の中古車が数多く輸入され、いまも市内を走る車のほとんどが右ハンドル。日本に行ったことのある住民も珍しくなく、過去の苦難の歴史を乗り越えて、親日的な雰囲気が漂う街です。現在の人口は60万。

Information

ウラジオストクの歴史 〜日本との深い関係〜

 19世紀後半、ウラジオストクは日本からの移民・出稼ぎ先でした。「浦潮(うらじお)」と呼ばれ、長崎や神戸・敦賀との定期航路も開かれました。しかし、20世紀に入り、日露戦争が勃発。ロシア革命では、日本軍はアメリカ軍などと一緒にウラジオストクに進駐。4年間もシベリア各地で戦闘を続け、深刻な戦禍をもたらしました。
 一方、輝かしい一幕も。第2次世界大戦の最中、多くのユダヤ人がナチスから逃れるため、リトアニア領事代理の杉原千畝から「命のビザ」を受け取ってウラジオストクに到着。日本を経由して第3国に渡ることを希望します。日本の外務省は難民審査を厳しくするようにウラジオ総領事館に指示しますが、総領事代理の根井三郎はこれに抵抗。多くのユダヤ人を救ったのです。

食べ歩きグルメ

街歩きしながら手軽に楽しめるご当地の味を、厳選してご紹介!

港町ならではの新鮮なシーフードを生かした料理と、大人気のスイーツをご紹介します。案内するのは、グルメな女子学生のバレーリャ・ピャティナさん。

クロスグリのエクレア

いま、ウラジオストクのスイーツで話題になっているのは、エクレア!地元のベリーや新鮮な牛乳で作ったクリームや、トッピングに工夫が凝らされています。シェフは、デザイナー修業をしたというだけあって、どのエクレアも、とってもオシャレ。スイーツ女子や観光客に大人気です。

カムチャツカ蟹(かに)のオリビエ・サラダ

カムチャツカ蟹(かに)はタラバガニのこと。ジャガイモ、ニンジン、ゆで卵などを さいの目切りにして、マヨネーズであえた定番のロシア風サラダに、蟹(かに)の身を豪華にトッピング!絶妙な風味のハーモニーです。

ナマコのスコブリャンカ

ウラジオストクの人はナマコが大好き。というのも、街にウラジオストクの名前が付く以前は、「ナマコのいる沼」と呼ばれるほど、この一帯はナマコの産地。野菜や肉を細切りにして炒めたロシア料理「スコブリャンカ」に、下ゆでして柔らかくしたナマコを加えた一品。ナマコはコラーゲンたっぷりなので、美容にもいいんですよ。

ちょっとより道

街からちょっと足をのばして、イチ押しの観光スポットを訪ねます!

ロシア式“別荘”ダーチャを訪ねて
語り:濱田マリ

 「ダーチャ」は、ロシアの都市に暮らす人々の多くが郊外に所有する別荘。ウラジオストクから電車で1時間ほど北に行ったキパリソヴォというダーチャが集まる村へ!
 村に着くと、「別荘」というより「小屋」のようなたたずまいの家が並んでいます。ウラジオストクから一家総出で野菜の収穫に来ていた家族のダーチャを見せてもらいました。ダーチャの中は、台所や寝室があって、外観から想像するよりも広い造り。ただ、水道も電気もガスもなく、調理はカセットコンロ、飲み水はわき水を汲んできているそう。ダーチャに週末通いながら野菜を育てるのは手間がかかるそうで、「野菜はスーパーで買う方が、はるかにラクで安い」とのこと。
 それでも一家は、「新鮮な空気を吸うために」「仕事を引退しても働くことが大切だから」とダーチャに通い続けているのだとか。より健康的に、より充実した都市の生活を送るために、ダーチャは欠かせないエネルギー源になっているようです。

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