これまでの街歩き

琥珀(こはく)と自由の街
グダニスク/ ポーランド

2018年2月13日(火) 初回放送

語り:田畑智子

撮影時期:2017年11月

街の「郵便局のモニュメント」

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 第2次世界大戦の最初の戦いとなった、ドイツ軍によるポーランド侵攻。その標的となった街こそグダニスクでした。穏やかな港町がドイツ軍の攻撃を受けたのは1939年9月1日。その早朝グダニスクの郵便局が狙われ、立てこもって抗戦した局員全員の命が奪われました。
 街には、その悲しい記憶を刻んだ壁や慰霊碑が残されています。慰霊のモニュメントの前で出会ったのは、孫と一緒にランタンを供える女性。彼女も大切な家族を失った一人でした。「“悪”は人の中にあるのではなく、戦争の中にある。ドイツとポーランドの人々はみんな理解しているはずよ」と、語ってくれた女性。孫たちの生きる世界に、ずっと平和であってほしいと願う姿が心に残る出会いでした。

街の「琥珀(こはく)職人」

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 グダニスクのシンボルといえば、バルト海で採れる琥珀。琥珀は木の樹液が長い年月をかけて固まってできた化石。グダニスク周辺はかつて世界の琥珀の8割を産出していた一大産地で、海上交易と琥珀の輸出によって、街は繁栄を極めました。
 今も琥珀はグダニスクの特産品。琥珀の露店が軒を連ねるマリアツカ通り付近を散策していて出会ったのは、琥珀をアクセサリーや工芸品に加工する職人さんでした。元々は造船所で働いていましたが、転職して職人になったそう。「琥珀が人生を変えてくれた。この仕事を命ある限り続けていきたいんだ」と幸せそうに語ってくれたおじさん。
 4500万年という途方もない時間をかけて生み出される琥珀が、おじさんの手によって美しく透き通り、輝き出します。神秘的な琥珀の世界と、おじさんの優しい笑顔が印象的な出会いでした。

街の「ヒゲ族たち」

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 第2次世界大戦後から1989年まで続いた社会主義時代に、造船業が盛んだったグダニスク。民主化後は外国の影響が及ぶようになったせいで衰退してしまいましたが、その代わりに盛り上がっているのがIT産業。ベンチャー企業を立ち上げた青年実業家や、若いエンジニアやプログラマーたちが活躍しており、シリコンバレーをもじって「琥珀(こはく)バレー」と呼ばれるほどなんだとか。
 街なかには現代的なビルも少しずつ目立つようになってきています。街角で出会ったのは、流行のIT企業に勤める青年たち。よく見ると、全員立派なアゴヒゲをたくわえています。「僕たちのチャームポイントなんだ。このヒゲは俺らのイケてるスタイルなのさ」と、とても誇らしげ。グダニスクの未来を担う若者たちの明るい笑顔が印象的でした。

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