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Nスペeyes

今年、24年目を迎えるNHKスペシャル。平成とともにスタートしたNスペはどのように誕生したのか。
スペシャル番組部長として番組の立ち上げに携わった北山章之助さんに当時のお話をうかがいました。

第3回 2012年3月13日更新

NHKスペシャルはこうして生まれた

インタビュー 北山章之助さん

昭和35年入局。山口局を経て、教養番組部で
「日本史探訪」の制作を担当。
その後、「歴史への招待」のチーフ・プロデューサー
(CP)を務める。平成元年、スペシャル番組部長とし
てNHKスペシャルを立ち上げる。
以降、衛星放送局長などを歴任。
北山章之助さん

NHK特集からNHKスペシャルへ

NHKスペシャル(Nスペ)が始まったのは、1989(昭和64、平成元)年。僕が部長をしていたときでした。期せずして昭和から平成へと年号が改まり、天安門事件やベルリンの壁崩壊といった歴史的ニュースが次々と飛び込んでくるなど激動の幕開けとなったことを覚えています。
前身番組のNHK特集(N特)は、1976(昭和51)年から13年に渡って続いた本格ドキュメンタリーでした。同番組では、開局以来、各セクションが縦穴を掘るように蓄積してきた歴史とノウハウを、部局の壁を越えて横にも広げることに挑戦。さまざまなセクションから企画を持ち寄って番組を制作し、数々の話題作も生み出しました。予算もたくさんついて、ディレクターにとってはまさに晴れ舞台!組織に風穴を開けるような試みでしたね。
名実共にNHKの看板番組となったN特。しかし、どんな番組にも寿命というものがあるものです。その尺度は人によって違いますが、約1400本もの番組を送り出したことがひとつ。そして、全国にある放送局が地方の特性を生かして制作してきた「地方発のN特」が一巡したこと。大まかにはこの2点において、「組織に風穴を開ける」という当初の目的を達したのではないかと思いました。そうして、N特はNHKスペシャルへと進化することになったのです。

北山章之助さんの画像

制作エピソード <ポケットマネー>

NHKスペシャルというタイトルは、番組が始まる少し前にNHK局内で公募をしました。僕がポケットマネー5万円を出して、タイトルを採用された職員は賞金を獲得できるという訳です。たくさんの応募があり、結局、10人から提案のあった「NHKスペシャル」に決定。応募者は10人で賞金を分けることになったので、少し気の毒でしたね(苦笑)。

アンタッチャブルをなくすNスペの挑戦

リニューアルのもうひとつの動機となったのは、ある新聞の記事でした。そこには「いま、日本で見られるテレビジャーナリズムの最も良心的で硬派と言われるのはN特である。しかし、いかにテレビというのはジャーナリズムとして無力であるかを、それは実証している。なぜならば、我々日本人が将来に向けて問われている重要な選択については、NHKの性格上、深入りすることができないからだ」とあったのです。このときに併載されていたのは、いま問題になっている原子力発電についてでした。
確かに「我々のエネルギーを原子力に頼ることが、民族国家として本当に正しい選択なのか」という問いかけを、N特はやっていませんでした。その記事を目にしたころ、僕はNHKの関連団体にいたのですが、その後、部長としてN特の制作に戻ることとなり、そのとき、「これまでN特の歴史のなかで、アンタッチャブルだったものをやる!」と宣言したことを覚えています。そして手始めに原発問題を取り上げたのです。

新しい扉を開く!

原子力発電の問題を番組で取り上げるにあたっては、約1年をかけて取材を進めました。途中、さまざまな問題に直面しましたし、正直、大変でした。本来ならば部長である僕が決定すれば、番組を制作することができたのですが、このテーマに関しては総局長、局長にまで影響が及ぶ問題でしたから…。もちろん私自身も進退をかけて臨んでいました。
そのようななかで制作を進め、各方面に波紋を投じながらも「いま原子力を問う」を放送。3回シリーズの後に放送した徹底検証では、推進派、反対派から論客を招き、それぞれの意見を戦わせていただくと同時に、初めての試みとして電話による世論調査を行い、国民が原発をどのように捉えているのかを提示しました。
番組の放送終了後には、それまで議論していた各氏が立ち上がって握手を交わし、「これほど腹を割って話したことはなかったですね」と声を掛け合う一幕も。そうした様子をモニターで見ていて、「こういう瞬間まで、放送できればよかったな」と思いましたね。また、視聴者の方々からも多くの反響が寄せられました。近隣に原発がある、なしによって感じ方が違うようでしたし、多種多様なご意見がありましたが、日本人に身近な問題として原発の実態を問うた初めての番組になったと思っています。やはり、NHK特集がNHKスペシャルに変わった一番大きな象徴は、真っ先に原発問題を取り上げたことにあったでしょうね。

北山章之助さんの画像

エポックメイキングとなった番組「いま原子力を問う」

Nスペの放送がスタートして間もなく放送された「シリーズ21世紀 いま原子力を問う」。スリーマイル島から10年、チェルノブイリから3年後の1989年当時、21世紀に向けて、人類最大の課題となった原子力発電を問い直し、エポックメイキングとなった。

シリーズ21世紀 いま原子力を問う(1989年4月5日~7日放送 全3回)
  • 第1回 危険は克服できるか~巨大技術のゆくえ~

    1954年にソ連で実用化された原発は、1989年時点で420基が運転されていた。英国や青森県六ヶ所村などの核燃料サイクルの現状を報告。問題を探るとともに、使用済み核燃料の処理などの未解決の課題にスポットを当てた。
  • 第2回 原子力は安いエネルギーなのか

    スリーマイル事故によって、原発は経済的であると信じて建設を推進してきたアメリカが変わった。システムの破綻が大事故につながるため、安全基準が高くなり、コストが増大していったのだ。「安いエネルギー」といわれた原発の経済性について検証した。
  • 第3回 推進か撤退か~ヨーロッパの模索~

    チェルノブイリ事故による汚染は欧州にも及んだ。スウェーデンでは国民投票で原発撤退を決定。フランスと日本はエネルギー自給という安全保障のための推進をはかり、西ドイツは調査研究を行って模索を続けていた。安全性の見直しを迫られた各国の1989年当時の状況を報告した。

シリーズ21世紀 徹底検証いま原子力を問う(1989年4月15日放送)

  • 第1部 安全は確保できるか

  • 第2部 エネルギーをどうするか

    推進、反対の両側面から原子力発電について徹底的に討論した。論客は、推進派が板倉哲郎(日本原電)、住谷寛(日本原燃)、生田豊朗(日本エネルギー経済研究所)。反対派が久米三四郎(核化学者)、高木仁三郎(原子力資料情報室)、藤田祐幸(慶応大)。視聴者に近い立場からの質問者として中村桂子(三菱化成生命科学研究所)、犬飼智子(評論家)、司会を橋本大二郎が務めた。
北山章之助さん

NHKスペシャルのやるべきこと

アンタッチャブルに挑戦することと、もう一つ、僕が目指したのはNスペをNHKの良心と能力の全てをかけて制作する旗艦番組とすることでした。決まった放送枠を設けず、必要な時に必要な時間をかけて番組を放送するというスタイルを提案したんです。しかし、この提案を実現することは非常に困難でした。放送開始早々、歴史的ニュースが相次いだことで予算や放送枠の問題などから全てのテーマを網羅することが不可能だったのです。なかなか理想的にはいかないものですね(苦笑)。
当時、部長をしていた私も定年を迎え、今では視聴者としてNスペを見守る側にいます。さまざまな挑戦をしながら、時代を捉え続けているNスペの在り方はいまも健在ですね。
特に感心したのは「立花隆 思索ドキュメント がん 生と死の謎に挑む」(2009年11月23日放送)。私の周囲でも、多くの仲間が「がん」になり、これまでの人生を見つめ直したり、人が生きるとはどういうことなのかと改めて考えさせられる場面が増えました。人は弱く、愚かな生きものですから、がんという死と隣り合わせの病を宣告されたとき、さまざまな思いにとらわれるものです。しかし、この番組はご自身も闘病された立花さんが、ジャーナリストらしい視点からがんを取り上げています。僕自身、がんに悩む多くの仲間にこの番組を紹介し「ふっきれた」と言ってもらえた。そんな声を聞くと「後輩たちはいい仕事をしているな」とNスペを立ち上げたものとして誇らしく思います。 こんな風に番組をご覧になった方に何かを残せる番組を制作していくことが、Nスペにとって最も大切なこと。周囲がどんな風に変わってもNスペがやるべきことだけは見失わないでいてほしいものです。誰もやらないようなことを堂々とやる。そういうことがますます必要な社会状況に今後なっていくのでしょうから。

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