2008年3月3日(月)
事の発端は、クレムリンの改修工事に伴う大掛かりな収賄事件だった。エリツィン大統領と娘たちが、スイスの建築会社から自由に使えるクレジットカードを渡されたという疑惑をはじめ、ロシア高官たちのマネーロンダリングが取り沙汰された。検事総長のスクラートフが事件を厳しく追求していたが、当時FSB(連邦保安局・KGBの後継機関)長官だったプーチンは、スクラートフが売春婦と興じる盗撮ビデオを公にして、彼を失脚させることに成功した。
プリマコフ首相によるエリツィン追い落とし工作も未然に防いだプーチンは、1999年8月、エリツインから首相に任命される。就任直後、ロシア各地で起きたアパート爆破事件への報復措置として、素早くチェチェンへの軍事攻撃を開始したことが、ロシア人の愛国心を揺さぶった。エリツィンと近しい新興財閥のベレゾフスキーが、自らの所有するロシア公共テレビの人気コメンテーターであるドレンコを動員し、キャンペーンを行ったことなども効を奏し、国民の間でのプーチンの支持率が高まっていった。
クレムリンでの権力闘争の申し子とも言えるプーチン大統領の実像に迫る。
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