NHKアナウンス室

アナウンサー仕事の流儀

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特集 わたしがアナウンサーになった理由
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『言葉のチカラ』を実感した日々。 保里小百合
  • 生まれたのは、アメリカのニューヨークだそうですね。

    父の仕事の関係で、5歳までと、10歳から12歳までの8年間アメリカで暮らしていました。ただ、5歳までの記憶はあまりなくて、アメリカでの記憶は10歳からの3年間がほとんどです。

  • 10歳からは、ほとんど英語がわからなかったにも関わらず、日本人学校ではなく現地の学校に通いました。そのとき、言葉の面でとても苦労しました。それまでは当然のようにできていた先生やクラスメイトとの会話が、英語では全くできず、途方にくれました。自分が生まれた国とはいえ、そのときの私にとってはやはり異国で、周りとうまく意思疎通ができないことで、10歳にして人生初の挫折を味わうような感覚でした。でも次第に英語ができるようになっていくと友だちと遊ぶことも増えて、幸せな思い出もできていきました。

  • アメリカで過ごした時間は、
    今の自分にどんな影響を与えていますか?

    振り返ってみても、『言葉のチカラ』を痛感した3年間でした。「言葉が通じないってこんなにもつらいことなんだ」と落ち込んだし、逆に「言葉が通じるってこんなにも嬉しいことなんだ」と、何ものにも代えがたい喜びを感じたのもこのころです。
    アメリカに再び行く経験がなかったら、言葉が通じるのは当たり前なので、『言葉のチカラ』をこれほど実感することはなかったかと思います。自分の気持ちが伝わらなくて途方にくれたことも、誰かの言葉に救われたことも、子どもながらに『言葉のチカラ』を実感することにつながり、今の私に大きな影響を与えていると思います。

  • どうしてアナウンサーを目指そうと思ったんですか?

    10歳でアメリカに行ったときも、その後、日本に帰って来たときも、何だか自分がよそ者のような感覚があって、小さなことでも傷ついたり、疎外感を抱いたりすることがありました。新しい環境にすぐに馴染めないというか・・・新しい環境に入る度、不器用な自分に落ち込んでいました。そうした経験から、自分のように何かしらの「生きづらさ」を感じる人たちのことを考えるようになりました。自分よりもっとつらい思いをしている人は、たくさんいるはずだと。私自身は言葉に励まされることが多かったので、『言葉のもつチカラ』で、少しでも人の役に立てるような仕事に就きたいと思うようになりました。
    メディア関係に就職したいというのは大学に入ったころにはもうあって、アナウンサーや記者に憧れていました。ただ、周りには私よりはるかにすぐれた文章を書く人がたくさんいたので、私は声やさまざまな表現力を駆使して伝えるアナウンサーになりたいと考えるようになり、狭き門だとは分かっていましたが目指すようになりました。

  • 最後に、アナウンサーを目指している人たちにどんなことを伝えたいですか。

    NHKのアナウンサーには、様々な才能や技術を持った人もいます。でも、最も大切なのは仕事に対する熱意や、何かを伝えたいという気持ちだと思います。私はダメダメからのスタートでしたが、気づくと新人のころにはできなかったことが、一つずつ、少しずつできるようになっていました。
    もし、アナウンサーという職業に興味をもっているのなら「自分なんて絶対ムリ」なんて決めつけないで、「アナウンサーになりたい!」という気持ちを大切にしてほしいなと思います。

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もっと自分の声を大切にしてください。 新井秀和
  • どんな少年時代を過ごしましたか?

    よく親に言われていたのは「大人の話に口を出すな」ですね。大人の話に混ざりたかったのか、大人ぶりたかったのか、おそらく大人に自分のことを認めてほしかったのだと思います。同級生のお母さんにとてもカラオケの上手な方がいらして、その人に認めてほしくて歌を一生懸命に練習した記憶があります。幼稚園児か小学校の1年生くらいだったと思いますが、そのとき私がチョイスした曲がなぜかテレサ・テンさんの『愛人』でした。歌の意味が理解できないので、歌詞を覚えるのが大変でした。

  • クラブ活動はしていましたか?

    中学校から高校2年までは吹奏楽部でトランペットを吹いていました。

    トランペットが好きだったんですか?

    いや、本当はサックスを演奏したかった。でも、もう1人サックスを希望する女の子がいて、先輩が「じゃあ、サックスは君で」と女の子を指名したので・・・。先輩に「トランペットは目立つよ」とか言われてその気になってしまいました。
    高校3年になってからは放送部に入りました。音楽は好きでしたが、放送部にはずっと興味があったんです。NHKの『高校放送コンテスト』にも出場しました。その県大会でNHK前橋放送局のアナウンサーに言われた言葉は今も胸に残っています。「コンテストだと、みんな同じような声を出して読もうとするけど、実際のアナウンサーはみんな声が違うでしょう。もっと自分の声を大切にしてください」と。 「そうか、自分の声でいいんだ」というのは、私にとって大きな自信となりました。

  • NHKに入ってから、そのアナウンサーと会うことはありましたか?

    再会しました!
    当時のことを話すと、私のことを覚えていてくれて、とてもうれしかったです。

  • では、放送部での経験がアナウンサーを志望する
    きっかけだったのですか?

    そうですね。そのころから少しずつ人前でしゃべることのおもしろさを感じるようになりました。
    あとは、大学生のころ地元のコミュニティFM局でアルバイトをしていました。主に2時間の生放送を担当していて、パーソナリティとして番組の構成から選曲、放送、時には機材の修理まですべて1人で担当していました。今、考えると勇気があったなと思いますが、それだけやりがいもありました。その経験も、アナウンサーになりたいと考えるきっかけになったと思います。

6/15
子どものころからアナウンサーに憧れていた。 守本奈実
  • 子どものころの話を聞かせてください。

    末っ子だったので基本的には甘えん坊だったと思うんですが、生意気にも早く独り立ちしたいという気持ちが強かったような気がします。覚えているのは、3歳、4歳のころ、1人で買い物に行くのが好きで、近くの商店街に牛乳を買いに行っていました。
    小学生のころは本と紙芝居が好きで、仲の良い友だちと図書館に行って紙芝居を借りて、お互いに読み聞かせをしていました。そして、そうするうちに、誰かが作った紙芝居では満足できなくなって、自分たちでオリジナルの紙芝居を作って遊ぶようになりました。

  • スポーツはしていましたか?

    中学校の3年間はバレーボールをみっちりやりました。でも、アルバイトができる高校生になると部活よりもアルバイトに精を出すようになりました。何か買いたいものがあったわけではなく、働いてお金を稼ぐということに憧れがあったんです。一番長くやっていのが友人のお父さんが経営していたコンビニで、そのほかにもお寿司屋さん、ファストフード店などいろいろなアルバイトを経験しました。

  • では、大学生のころはどのように過ごしていましたか?

    英語の教師になるために英文科で勉強をしていました。ただ、アルバイトも続けていて、特撮ヒーローショーのMCをはじめました。子どもたちを前に私がしゃべっているところに怪獣が出てきて、私が「きゃー、助けて!」と叫ぶとヒーローが登場するというショーです。どのシーンでどんなコメントをするのかは、自分で考えることになっていたので、とても難しかったです。週に1回、アクションをするチームと練習していたのですが、それだけでは足りなくて、先輩がやっているショーを自腹で見に行って勉強していました。

  • アナウンサーになりたいと思ったきっかけは、何ですか?

    実は、アナウンサーには小学生のころから憧れていました。私は『米米クラブ』が大好きで、彼らが出演するTV番組を見ながら、「そうか、アナウンサーになれば、大好きなミュージシャンにも会えるんだ!」と思ったんです。さらに、中学・高校のころは、毎日、深夜ラジオを聴いていたので、ラジオでしゃべるアナウンサーになりたいと、次第に、私にとって大きな夢を抱くようになりました。そして、就職活動で、夢を夢だけで終わらせないために、思いきってアナウンサー試験にチャレンジしたんです。

    大きな夢が、見事かなったわけですね。

    私には優秀な同期がたくさんいるので、「守本にはちょっと抜けたところがあるけど、おもしろそうだから採用してみるか」と思ってもらえたのではないでしょうか。きっと、採用する側も冒険だった思いますよ。

6/22
さまざまな考えや価値観の橋渡しを。 三條雅幸
  • 小学校のころはオランダで暮らしていたそうですね?

    父親の仕事の関係で、幼稚園から小学校を卒業するまでアムステルダムの隣のアムステルフェーンという町に住んでいました。幼稚園では、クラスに日本人が私だけだったので最初はなかなか馴染めなかったけど、そのうちに楽しくなりました。小学校は日本人学校だったので、まったく問題なかったです。

    オランダでの一番の思い出は何ですか?

    現地のサッカーチームに入っていたことです。オランダ人と一緒にプレーしていたのですが、私が住んでいた地域は日本人が多かったので、小学6年生の時にはクラブ内に日本人だけのチームが作られました。

  • 三條さんたちの日本人チームは強かったのですか?

    それが、とても強かった。クラブの練習は週に1日か2日で、毎週土曜日には試合がありました。その他にも、チームメイトとは学校の休み時間にも集まってサッカーをしていました。チームワークも連携プレーも良かったため強かったですね。

    オランダで暮らしていたことが、
    今の自分に影響していると思うことはありますか?

    オランダには、いろいろなルーツを持つ人たちが集まっているので、さまざまな考え方や価値観を持った人がいました。幼少期に、そういう環境の中で育ったので、自分とは異なる考え方や価値観の人がいても「うん、そういう考え方もあるよね」とすんなり受け入れられる柔軟性が養われたのではないかと思います。
    また、周りは外国人ばかりだった、というより自分が外国人という環境で生活したので、街角インタビューなどで海外の人に突然出会っても、焦ったり臆することはあまりないですね。

  • アナウンサーになりたいと思ったきっかけを教えてください。

    大学の3年生になって、そろそろ就職活動をはじめようというころに友だちから「お前は話しかけやすいから、インタビューとかするアナウンサーに向いているんじゃないか」と言われたのがきっかけでした。そしてそのとき、子どものころテレビの仕事に憧れていたのを思い出しました。オランダにいたとき、衛星放送で流れてくる日本のテレビ番組をよく見ていて、テレビに関する仕事ができればいいなと漠然と思っていたのです。
    先ほど、オランダでいろいろな考え方や価値観を持っている人たちの中で育ったという話をしましたが、もしかするとそういう異なる考え方や価値観を結びつけたり、橋渡しをすることが自分にはできるのではないかと考えました。

    アナウンサーを目指している人たちにどんなことを伝えたいですか。

    今、自分が好きなことを極めてください、ということです。きっとそれが、アナウンサーになったときに、ほかの人にはない武器になると思うので。アナウンスの技術的なことは研修で教えてもらえるし、配属先の先輩も教えてくれるので、何か自分にしかない、特技や興味を持っていることが大事だと思います。

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