ノアのちょっとずつ猛進日記

多発性硬化症という難病で、視覚障害もある「バリバラ」レギュラー出演者ノア
(グレースより改名・現在アメリカに留学中)が、日々の生活の中で感じたことを綴っていきます。

死が近いようで遠い

  • 2019年9月27日
私が最初に病院で診断を受けた時、医師から言われたこと…
「余命、5年」

それが、2008年の出来事
気が付けば、その日から11年もの年月が経った

実は先日、アメリカの医療機関でさらなる遺伝子検査などを行なった結果、
まさかの「稀なタイプの筋ジストロフィー」ということが判明!!

なぜ診断が今の今まで違ったのかというと…
高校時代にやっていた柔道からの脳震盪や脊髄炎があったことが一つの要因

さらに2000種類もの遺伝子を調べるためにドイツまで私の遺伝子を送らなければならないという程、超絶稀なタイプの筋ジストロフィーだったから

  • 医療施設にて、筋ジストロフィーと診断された時の私

それはさておき…
そんな診断結果を受けた際、また病院でさらなる余命宣告ー

「生きてあと5年」

えええ~!

ということは、私、さらに5年も生きられるってこと?

ある意味悲しいはずの診断だけれど、私にとっては、あと5年はあまり心配せずに生きられるという宣言のような…複雑な宣告

人生で何度も宣告を受けては、ものの見事に記録を更新している私にとって、もはや余命は未定のようなもの…

私がこの余命宣告をどう受け止めるのかーーー医師達、医療チームの心配そうな雰囲気に反して、私の中では何かがふっきれた

病名、医療、余命…そんなものに縛られずに、自由に生きたい!!
いや、生きるんだ…


実は、そう思ったのには訳がある

今まで「死」というと、「自分が死ぬ」という意味で存在が近かった

けれど、去年の1年間でアメリカの障害者の仲間たちが計12名
そして今年に入って、7名の大切な障害者運動の先輩たちが先に逝ってしまった

たくさんの大事な仲間の死を経験し、今までの自分の中での「死」のイメージが一気に「大切な誰かが突然いなくなる」ことに変わった


特に、一番私の心がダメージを受けたのは、マーカさんの死

  • 車椅子に乗ったマーカさんと私のツーショット。

マーカさんは、私がアメリカに行くと決める決め手となった人物で、インターンシップ先のアクセスリビングの創設者

つい先日の6月中旬にアクセスリビングで対談し、アクセスリビングを創設した時の話、そこから今に至る道のりで大変だったこと、どう大変なことを乗り越えたのかなどの秘話で盛り上がったし、ワシントンD.Cでもスピーチを聞いたばかり…

  • アクセスリビングでマーカさんと対談した時の様子。8名ほどでマーカさんを中心に、これまでのアクセスリリビングの活動ついて語り合った。

    <アクセスリビングで対談した時の様子。これまでのアクセスリリビングの活動ついて語り合った>


  • ワシントンD.Cでマーカさんとスピーチ後、みんなで記念写真を

    <ワシントンD.Cでマーカさんとスピーチ後、みんなで記念写真を>


いろんな方の人生のターニングポイントを変えた人でもあると思うけれど、私も日本でモヤモヤといろんなことに悩んでいた時に

「もっと自由に生きなさい」と…

「世界は広い。沢山の新しいことを経験してどんな道に進みたいのか自分で決めなさい」
と背中を押してくれた大切な人

今までは正直、人の「死」に関してどこか無頓着というか、”私が一番最初に死ぬんだから”という意識から、「他の人の死」ということに関してあまり考えてこなかったのかもしれない

でも今回のマーカの死や、たくさんの仲間の死を通して
「余命は単なる数字。それよりも今、生きているうちにどれだけお互いを思いやれるか…。どれだけたくさんの感情を共有できるか…」

そんな風に思うようになった


マーカさんの死後、友達と一緒にグリーフィングを行った
グリーフィングとは、大切な誰かの死を悼んで自分の中で消化するプロセスのこと

私達はマーカさんが立ち上げたアクセスリビングで、マーカさんの留守電の声を聞いたり、想い出話をしたりして、彼女が大切にしていたコミュニティ、そして仲間達と共に時を過ごした

  • 2人の友達とマーカさんの死をグリーフィング後に、屋外で撮った一枚

    <友達とマーカさんの死をグリーフィング後の一枚>


今まで、自分自身と近いと思っていた「死」

でも今は、周りの大切な人たちの死から、
また違った意味でその存在を近く感じるようになった

同時に「だからこそ、誰もが生きているだけで意味がある」ことを実感

いろんな意味で「生と死」を考えながら
ひとつ歳を重ね、31歳を迎えた9月でした