これまでの放送

障害者殺傷事件3年 まちで暮らす

放送日

7月25日(木)夜8:00

再放送7月28日(日)0:00(土曜深夜)

出演者

障害者殺傷事件3年 まちで暮らす
障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市)で多数の入所者が殺傷された事件から3年。今回は“暮らしの場”を検証する!言葉による意思の疎通が難しく自傷などの行動障害がある重度知的障害者は、これまで親元か施設で暮らすしかないと考えられてきた。しかし今、ヘルパー制度を利用し地域での暮らしを目指す人たちが出始めている。施設を出てまち中で暮らす準備を始めた事件の被害者を取材。“当たり前の暮らし”って、何だ?

内容

出演者

  • 奥原さえ子さん(知的障害・自閉症)
  • 藤原刀季子さん(奥原さえ子さんの介助者)
  • 水上有加さん (奥原さえ子さんの介助者)
  • 太田吾郎さん (社会福祉法人ぽぽんがぽん 理事)
  • 櫻原雅人さん (NPO法人はちくりうす 管理者)

施設を出て まちで暮らすことを選んだ事件の被害者

障害者殺傷事件3年 まちで暮らす 写真1

2016年7月26日、相模原市の障害者入所施設で19人が殺害される事件が起きた。バリバラでは、事件直後から被害者のひとり 尾野一矢さんを取材してきた。事件から3年がたち、どうしているのか取材をしてみると、新しく建て替えられる予定の施設に戻るかどうか、決断を迫られているという。一矢さんには重い知的障害と自閉症、てんかんがあり、2年前の取材時に両親は「施設で暮らすのが一番」と話していた。ところが今、20年以上預けてきた施設から出てアパートで暮らす準備を始めているという!未だ入所施設で集団生活を送る人が多い中で始まった尾野さんの動きから、今回は重度の知的障害者の暮らしの場について考えた。

“まちで暮らす” 当たり前の選択肢が重度知的障害者には提供されてこなかった!

障害者殺傷事件3年 まちで暮らす 写真2

(映画「道草」上映委員会)

一矢さんの両親の考えを変えたのは、今年公開のドキュメンタリー映画「道草」(宍戸大裕監督)との出会いだった。一矢さんと同じ重い知的障害のある人たちが、まちなかで一人暮らしをしている様子を描いた作品で、監督からのオファーで一矢さんも登場している。その取材の中で両親は「重度訪問介護」という国の制度(重度の知的・身体障害者らが自宅などで生活できるよう長時間ヘルパーを派遣し、費用を給付する制度)があることを初めて知った。常にヘルパーが付き添うことで、“大声を出す”“ものを壊す”などの行動障害がある人も、施設や病院で管理されることなく自由な暮らしを送ることができるというのだ。今まで「行動障害もある一矢は施設で暮らすしかない」と思っていた両親だったが「一矢さんなら一人暮らしも絶対大丈夫。挑戦してみたら?」という監督からの言葉に、頭を打たれるような衝撃を受けたのだそう。

障害者殺傷事件3年 まちで暮らす 写真3

両親は、映画に登場するヘルパー派遣の事業所に相談。去年夏から、一矢さんは定期的にヘルパーと過ごし、一人暮らしに向けた準備を進めている。たとえば、ヘルパーと一緒に施設の外で昼食をとるという体験。メニューを説明してもらいながら、自分の食べたいものを制限されることなく選び、食べることができる…この日はデザートのパフェまで注文!「自分の思ったことを安心して表し実現できる」体験を重ねる中で、意思表示もハッキリしてきたという。一矢さんの生活を見た玉木さんは「今までは自分で選択する体験を奪われてきた。

これからは社会のルールも覚えながら経験を重ねることが大切」と。また、知的障害のある人の自立支援に20年以上取り組んでいる櫻原雅人さんは「障害者の暮らしの場として施設やグループホームなどはあるが、“健常者と同じようなまちでの暮らし”は当たり前の選択肢として提示されてこなかった」と問題を指摘した。

自分で意思を伝えることが難しい人が “当たり前の暮らし”をするには?

障害者殺傷事件3年 まちで暮らす 写真4

入所施設に暮らす知的障害者の数は全国で約12万人。ある調査では、施設に入ることを自分で決めたという人は5.1%しかいないというデータも。「“知的障害者は意思がない”という偏見があるのでは?」と東さんは指摘。一方、意思を尊重したいと思っていても、本人の障害が重く自分で意思を伝えることが難しい場合は、周囲から「何が本人の意思なのか受け取るのが難しい」ととらえられてしまうことも多い。どうすれば自分で意思を伝えることが難しい人でも、自分で暮らし方を選べるのか、そのヒントを探した!

障害者殺傷事件3年 まちで暮らす 写真5

(映画「道草」上映委員会)

映画「道草」に登場する岡部亮佑さんの父・耕典さんは、重い知的障害のある息子が「自立したい」と言い出すのは難しいと考え、高校卒業後にまず一人暮らしをさせてみたのだそう。逃げ帰ってくるかもと心配していたが、本人はやってみて悪くないと思ったのか、意外にすんなり自立生活に移行できたという。実は岡部さん、亮佑さんが小学生のころから、ヘルパーをつけて自由に過ごす時間を作り、親元にいながら“自立”する体験をさせてきた。「親と過ごす以外の生活をし、その楽しさを知っていたから、亮佑は一人暮らしを選べたのかも」と、周囲が選択肢を提供し本人が体験する機会を作る大切さを話してくれた。

障害者殺傷事件3年 まちで暮らす 写真6

一人暮らしという選択肢を提供した後、どうやって生活を作っていくのか…大阪で支援に取り組む社会福祉法人を取材した。サポートするのは、奥原さえ子さん。重い知的障害と自閉症があり、言葉で自分の意思を伝えることは難しい。12人程のヘルパーを交代で派遣し、生活を支えている。さえ子さんの両親が体調を崩すなどして実家で暮らすのが難しくなった19年前、スタッフがアパート暮らしを提案して一人暮らしが始まった。当初、ヘルパーや見ず知らずの人にしょっちゅうかみつくなど、行動障害が絶えなかった。

障害者殺傷事件3年 まちで暮らす 写真7

「問題の裏には、何か訴えたいことがあるはず!」ヘルパーたちはさえ子さんの気持ちを考え続け、試行錯誤を繰り返してきた。たとえば、ものの扱いが荒く、しょっちゅう皿を割っていたさえ子さん。「自分たちが注意することで、ストレスをためているのかもしれない」とヘルパーたちは考え、皿をプラスチックにかえるなど工夫を重ねた。家の外でも、さえ子さんのしたいことや“らしさ”を抑制することは極力せず、地域の人とトラブルにならないよう声をかけて見守る。安心して暮らせるように周囲がサポートしていく中で、次第にさえ子さんの行動障害は減り、住み慣れたまちで当たり前の暮らしを続けることができている。

“一緒に生きる”って どういうこと?

障害者殺傷事件3年 まちで暮らす 写真6

さえ子さんと20年以上の付き合いになるというヘルパーの藤原さんは、「毎日噛まれた時期もあったけど、今はほとんどない。甘えてくれる時もあって、一緒にいてすごく楽しい」と、スタジオでさえ子さんの魅力を語った。また、若手ヘルパーの水上さんは「表情や仕草で困っている理由が分かった瞬間は、通じ合えた気がして嬉しい」と話した。さえ子さんはスタジオ収録中、その障害から話の流れに関係ない“おしゃべり”を止めることができなかった。しかし、出演者からの問いかけに会話がかみ合う場面も何度か…シュウさんも「一緒におったら楽しい!」と、終始笑いがたえずなごやかな雰囲気に!

障害者殺傷事件3年 まちで暮らす 写真9

さえ子さんを支援する事業所の太田さんからはこんなエピソードが。「自立生活をしている方の家のドアに、ご近所さんから『専門的な施設に行かれた方がいいのでは』と書かれた手紙が挟まっていたことがあった。悪気はないかもしれないけど、まだまだ障害のある人が地域に当たり前に存在することが認められていない。」と。これに対し、ゲストの櫻原さんは「人間の心理として、わからないものに対する不安・恐怖心があるので、挨拶をするなど日常的なコミュニケーションを頻繁にやることが大事」と。玉木さんも「“一緒に生きる”っていうのはどういうことなのか、事件から4年たっても5年たっても、ずっと考えていかなきゃいけない」と、一人一人が意識する大切さを共有した。

玉木幸則のコレだけ言わせて

玉木幸則のコレだけ言わせて

「どんな人でも地域で暮らすことが可能になるべき」

さえ子さんにはヘルパーが12人くらいついていたけど決して多いわけじゃない。当事者とヘルパーの関係がこじれたとき、または緊急のときに誰でも対応ができるようにしておかないと継続性がない。だからたくさんのヘルパーが関わらないとあかんし、まだまだ人手が足らない。それと、この障害者は入所施設の人とか、グループホームの人とか、ひとり暮らしの人とか、そう分けてることは危険。どんな人でも地域でアパートを借りて暮らすことが可能な社会になるべきで。これは国際社会では当たり前だけど日本では広がっていない。逆に、施設でしか暮らせない人ってどんな人か? 聞きたいわ。ぼくはそんな人を知らない。