新プロジェクトX 5月の注目ラインナップを深掘り!

新プロジェクトX〜挑戦者たち〜

毎週(土)[総合]午後7:30~8:15
<再放送>翌週土曜[総合]午前8:15~9:00
MC・有馬嘉男、森花子 語り・田口トモロヲ 主題歌・中島みゆき「新・地上の星」

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放送から1週間は見逃し配信をします(NHKプラス)

さまざまな分野でひたむきに挑戦し続ける人々の、情熱と勇気を届ける群像ドキュメンタリー「新プロジェクトX〜挑戦者たち」。好評だった4月の放送に続き、5月も注目のラインナップでお届けします。

5月11日(土)は、兵庫県神戸市と淡路島を結ぶ世界最長級のつり橋・明石海峡大橋の建設にかけた人々の夢と奮闘の物語を紹介。5月25日(土)は、島根県の隠岐諸島・海士(あま)町で、財政破綻の危機を乗り越え、ふるさとを再生した島民たちの逆転の物語を見つめます。

制作を担当した大里和也ディレクター(以下、大里D)と田代雪菜ディレクター(以下、田代D)に、取材を通して感じたことや各回の見どころを聞きました。

  

5月11日(土)放送予定
「世界最長 悲願のつり橋に挑む ~明石海峡大橋 40年の闘い~」

潮流激しい明石海峡に、世界一の長さとなる吊り橋を架けたい。今から70年前、白昼夢と笑われながら、橋の必要性を訴えた人物がいた。その思いを受け継ぎ、完成させた技術者たちの物語。重さ9万トンの橋げたを吊るす巨大ケーブル建設、ヘリコプターによる空中架設。不可能と言われた橋の建設に尽力したのは、その日のために技術を磨き続けた製鉄会社の師弟や、家族の悲願を背負った現場監督。全ては一人の夢から始まった。

大里Dの取材メモ

大里D:淡路島や四国で暮らす人々にとって、本州との連絡橋の建設は戦前からの悲願でした。しかし、橋梁建設の分野における日本の技術は、欧米に比べて大幅に遅れていたことから、4キロメートルも離れている本州と淡路島を橋で結ぶことなど、およそ実現不可能な“夢”と言われてきたんです。

そんな中、神戸市長だった原口忠次郎さんが明石の架橋を計画。当初はおよそ実現不可能な夢幻のつり橋、「夢の架け橋」と笑われましたが、原口さんや地元の人々の思いと、日本の技術で世界一のつり橋を作りたいという技術者たちの情熱が結晶となり、明石海峡大橋が完成しました。今回は、日本が世界に誇る画期的な技術をご紹介しつつ、1本の橋に、どんな人のどんな夢が込められていたのか、巨大工事の裏にある人間ドラマの部分をより深く掘り下げます。

ここに注目!

大里D:建設工事で現場監督を務められた方、世界で初めてヘリコプターでロープを渡す工事を担当したパイロットの方など、さまざまな関係者を取材しました。皆さん、それぞれの夢とドラマがあっていずれも魅力的な方たちなのですが、その中でも特に印象深かったのが、伝説のケーブル技術者とも呼ばれる方のエピソードです。

この方は、くしくもアメリカのゴールデン・ゲート・ブリッジが完成した1937年生まれ。のちにこの橋を見に行ったとき、その大きさに衝撃を受けて、いつか日本の技術でこの橋を超えようと決意したそうです。最初は160メートルの橋の建設から始まり、やがて関門橋や瀬戸大橋などさまざまな橋を手がける中で日本独自の技術を磨き、集大成として挑んだのが明石海峡大橋の工事でした。12歳離れた愛弟子がいるのですが、50年に及ぶお二人の師弟関係にもまた熱いドラマがあるので、ぜひご注目ください。そして、このプロジェクトに携わった人々の姿を通して、どんなに不可能に思えることでも夢を持ち続けることが大事だということが、皆さんに少しでも伝わればと思います。

5月25日(土)放送予定
「隠岐 島に希望を取り戻せ ~破綻寸前からの総力戦~」

本州からフェリーで4時間ほどの離島、隠岐諸島の海士(あま)町。20年前、人口の流出と総額102億円に及ぶ借金によって、町は財政破綻の危機に直面しました。町役場の職員は、自分たちの給与をカットしたり、新たな産業を生み出そうと試行錯誤したりしながら再生の道を模索。その情熱は、やがて町民の心を動かし、島一丸となって難題に立ち向かいました。果たして、人々はどのようにして、ふるさとをよみがえらせたのか。

田代Dの取材メモ

田代D:多くの地域で人口の減少が課題となる中、島根県の海士町では、今、Iターンの方が増えているんです。全国の市町村が理想とする形が、立地的に不利な離島でかなっているというのがとても興味深いと感じました。私自身が地方出身ということもあり、海士町の取り組みが地方再生のヒントになればと考えながら取材しました。

海士町は、古くから漁業が盛んな町でしたが、1970年代から80年代にかけて公共工事が増えたことで、漁業より建設業のほうが盛んになり、島の中心産業となっていきました。しかし、バブル崩壊後、景気は冷え込み人口も減少。町は借金を重ねて公共工事を押し進め、1999年には財政破綻寸前まで追い込まれたのです。これ以上公共事業には頼れない。新たな産業をつくろうと、町主導で魚介類を冷凍保存して鮮度を保ったまま出荷できる設備に投資。水産加工業に力を入れ、財政の立て直しを図ろうとしたのですが、このプロジェクトには町民の理解と協力が不可欠でした。島一丸となって町の再生に協力してもらうにはどうしたらいいのかーー。そのプロセスに注目してご覧いただければと思います。

ここに注目!

田代D:取材していて印象的だったのは、町の方が「がんばる誰かを応援する、その姿勢を忘れてはいけない」とおっしゃっていたことです。今の時代は、他者との関わり方が難しくなりつつありますが、やっぱり人は1人ではがんばれないし、他者と協力し合うことが大事だということを改めて考えさせられました。

この回のキーパーソンを1人挙げるとしたら、ひとりの町役場の職員の方ですね。その方は、大阪の大学に進学したものの、「長男は家に帰らなければならない」という島の伝統に従い、卒業後は不本意ながら島に戻ってきました。

帰郷した当初は、まったくやる気が出なかったそうですが、さまざまな改革を経て、「自分にこんな郷土愛が生まれるとは思わなかった」とおっしゃっていました。彼の心境がどのように変化していったのか、その過程を通して、皆さんにもご自身のふるさとをどう愛していくのか、一緒に追体験しながら考えていただけたらうれしいです。


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