“城マスター”千田嘉博先生オススメの「城歩きグッズ」情報も!

絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城「戦国のヒーロー 真田の城」

2月5日(金)[BSプレミアム]後10:00

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最新の研究に基づいて、日本の城の魅力と秘密を解き明かす「絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城」。2月5日放送回では、戦国のヒーローとして大人気の真田氏の城を大特集します!

信州の小さな豪族だった真田氏が、やがて「大坂の陣」で徳川家康と戦って歴史に大きな名を刻むこととなったのは、なぜ? 上田城、松代城といった代々の居城だけでなく、長野県、群馬県の深い山中に造られた真田氏の城から浮かび上がった意外な姿とは? さらには、城の構造に隠されていた真田氏存続の秘密とは…?

“真田の城”にまつわる謎を、戦国史が専門の小和田哲男静岡大学名誉教授、そして城郭考古学者の千田嘉博奈良大学教授という2人の「城マスター」が徹底解明します。

千田先生に番組の見どころを聞くとともに、城歩きがさらに楽しくなるグッズを教えてもらいました!

長野県上田市に位置する真田氏の本拠地・上田城(東虎口櫓門)。現在残っている城は、江戸時代に再建築されたもの。
大河ドラマ「麒麟がくる」の歴史考証も務める「城マスター」小和田哲男先生(左)は、真田氏の山城の謎に迫ります。

上田城と真田丸を始めとした“真田の城”を徹底解剖!

──“真田の城”の魅力は、どんなところでしょうか?

真田氏といえば、戦国のヒーローとして大河ドラマなどでも取り上げられ、今も幅広い年齢層に人気です。真田氏の城としてよく知られているのは、信州の上田城と、大坂城の真田丸でしょう。この2つの城には共通点があります。それは、どちらも大軍に攻められながら、ついに落城しなったことです。

戦国時代から江戸時代にかけて、全国各地にたくさんの城が築かれました。そして、実に多くの城が、戦いの中で落城していきました。しかし、その中で真田氏の上田城は、圧倒的な徳川軍に攻められながら、これを撃退した特筆すべき城でした。そして、豊臣氏の大坂城を守るために造られた真田丸もまた、江戸幕府に従った全国の大名に攻め寄せられても落ちることはなかったのです。

上田城も真田丸も、それほど大きな城ではありません。しかし真田氏は、少数の兵で圧倒的な大軍と戦う絶体絶命の状況の中で、これらの城を見事に活用し、大軍を打ち負かしたのです。ではなぜ真田氏は、少数で大軍を退けることができたのでしょうか? 実はそこに、真田氏だけが持っていた、ある大きな秘密があったのです。今回の「不滅の名城」では、その秘密を真田氏の城から読み解いていきながら、なぜ真田氏が戦国のヒーローになっていったのか、それを明らかにしたいと思います。

三光神社の真田幸村の銅像。幸村の名で知られる真田信繁は、大坂の陣で真田丸を築き、豊臣方として大健闘しました。

──真田氏が徳川勢を2度も撃退した上田合戦とは、どういう戦いだったのですか?

真田氏が上田城に攻め寄せる徳川の大軍を撃退した「上田合戦」の鍵を握るのが、もうひとつの真田氏の城・砥石といし城です。これまであまり注目されてこなかった城ですが、近年の調査で真田氏のたいへん重要な拠点だったことがわかりました。砥石城は上田城を見下ろす高い山の頂にあります。真田氏の当主・真田昌幸は、上田城を築く前にここを居城にしていました。街道を城下にひきこんで城下町の原型を形成するなど、後の真田氏の発展に欠かせない城でした。そして、実は上田合戦のときはこの城が、特別な役割を果たしたのです。1つ目の謎「なぜ、真田氏は上田城で、徳川の大軍を撃退することができたのか?」では、上田城と砥石城の関係を探る中から、小さな者がいかにして大きな者を倒したのか、そしてそれを可能にした真田氏の秘密をひもときます。

北・南・西の三方を川で囲まれた上田城。徳川軍は、東から攻めるしか手がありませんでした。
徳川軍撃退のキーとなった巨大山城・砥石城跡。ここに隠された秘密とは?

──“真田の城”といえば上田城や真田丸が有名とのことですが、それ以外にも真田氏の領地には山城が多かったそうですね。

真田氏といえば「真田十勇士」という物語を思い浮かべる人も多いでしょう。猿飛佐助や霧隠才蔵をはじめとする10人の忍者や豪傑が、真田氏の家臣となって大活躍します。物語自体は後の時代に創作されたものですが、不思議なことに「豊臣十勇士」や「信長十勇士」などというものはありません。なぜ真田氏だけにこのような物語が生まれたのでしょうか。実は「真田十勇士」は、まったく架空の物語ではなく、その伝説の元になったものがあったのです。そして、この十勇士の伝説と、真田氏の領地に山城が多いことには、密接な関係がありました。そこに、少数でも大軍に負けなかった真田氏の強さの秘密のひとつがあったのです。2つ目の謎「なぜ、たくさんの山城があるのか?」では、その謎を解き明かしていきます。

真田氏発祥の城といわれている「真田氏本城」は、真田の里が一望できる山の上に位置します。
真田氏は、険しい山岳に築かれた山城・岩櫃いわびつ城をも手に入れます。ここにも、真田氏の強さの秘密が…。

──「大坂の陣」で敵味方に分かれて戦った真田氏は、その後どんな道を歩むのでしょうか?

真田氏は、上田城や真田丸で徳川と戦ったにもかかわらず、江戸時代を通じて大名として繁栄します。江戸幕府は真田氏をとりつぶしたり、領地を削ったりしませんでした。そればかりか、「真田十勇士」の物語の原型が作られるなど、江戸時代になって真田氏の名はますます高まり、戦国のヒーローの座を確固たるものにしていきます。なぜ真田氏は、江戸時代を生き残り繁栄し続けることができたのでしょうか?

それを読み解くことができるのが、3つ目の謎「なぜ徳川時代にも生き残れたのか?」を解明するにあたってご紹介する真田氏の城・松代城です。江戸時代になって真田氏の居城となった松代城は、石垣をあまり使わずに、わざわざ多くの部分を土で造った特徴のある城。以前は松代城が、真田氏以前からあった古い城だからだと考えられていました。

しかし今回、ロケで訪れてみると、松代城は真田氏があえて土造りの城として発展させてきたことが見えてきました。真田氏には、ほかの大名たちとは違う、個性的な土造りの城にこだわりがあったのです。実はそこに、真田氏が戦国のヒーローになれた、もうひとつの大きな秘密がありました。少数で大軍を撃退するだけではなく、平和が訪れた江戸時代でもほかの大名にはない独特のやり方を貫いたことで、真田氏は戦国のヒーローとして人々の記憶に刻まれたのです。

幕末まで続いた真田氏の居城・松代城を訪れた千田先生。

──城から見ることでわかる真田氏の魅力はどんなものだと思われましたか?

真田氏が戦国のヒーローとして、今も高い人気を誇っているのは、現代にも通じる強烈なメッセージを発信し続けているからだと思います。真田氏は決して大きな力を持っていたわけではありません。しかし、天下を左右するような権力を持つ強大な相手にも勇敢に立ち向かい、生き残っていったのです。真田氏は常に自分の持っている力をどうすれば一番発揮できるかを考えていました。例え弱者でも自分の強みを生かしていけば、どんな時代だって生き残っていける、そんな力強いメッセージを発信しつづける真田氏から、私たちは時代を超えて元気をもらうことができます。弱者が強者に勝つことはできます。しかし、それには秘密があります。真田氏の城から浮き上がってくる真田氏の強さの秘密を、ぜひ番組でご覧ください。

上田城の東やぐら門には、「真田石」と呼ばれる巨大な鏡石が。真田氏がいかに人々に敬愛されていたのかが伝わってきます。

連載コラム「教えて!千田先生」
“城歩きのコツ” その7

絵図で、江戸時代にタイムスリップ!

正保城絵図しょうほうしろえず上田城(国立公文書館)。江戸時代に作られた絵図で、国立公文書館で入手可能。軍事目的で作られたので、自然地形や櫓の数、大きさなどが詳しく書かれています。

お城を歩くときには、昔の絵図を持っていって見比べると、より楽しめます。多くのお城は、長い年月の間にその姿を変え、かつてあった堀や石垣、建物などが失われていることがほとんどです。そういった失われたお城の姿が、古い絵図には残っています。絵図を見て今は残っていないものの姿を想像するのも、お城を見るだいご味のひとつです。また、どこが昔のまま残っているのかを確認することもできます。

上田城の内堀で「正保城絵図」に描かれた上田城の内堀と見比べる千田先生。内堀の東北の角が削られたように凹んでいるのが確認できました。城を造ったときに意図的に角を削って凹ませたことがわかります。

絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城「戦国のヒーロー 真田の城」

【放送予定】2月5日(金)[BSプレミアム]後10:00

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