たどたどしく語られた声のリアル

『10年話せなかったこと』――10代で被災した若者と尾崎世界観が紡ぐ“言葉”

石戸 諭(ノンフィクション・ライター)

「きのう何みてた?」は、さまざまな書き手が多様な視点から番組をレビューするコーナーです。数ある震災特番のなかからノンフィクション・ライターの石戸 諭さんが2つ目に選んだのは、この番組でした。

毎年、3月11日前後は少し気分が落ち込む。東日本大震災や福島第一原発事故について、立て続けに記事が出て、特集も組まれ、時期を見越して震災を扱った新刊が書店に並ぶからだ。例年のことだが、なんとなくこの時期は仕事として必要なもの以外は、テレビも消しがちだし、まったく関係ない小説や漫画を読んでいることが多い。

そんな中で、この番組は見たいと思った。

本論に入る前に、少しだけ補足をしておきたい。私はいわゆる「震災報道」に意味がないから避けているわけではない。時期を外して震災をテーマにした本を読んだり、番組を見返したりすることはある。だが、大抵の記事は見出しとリードを読めば内容は大体わかるし(そして、予想が外れることは滅多にない)、結論は誰もが否定できない「あの日を忘れない」「伝えていこう」となっていく。

そこでは、インタビューの相手から何らか教訓めいたことを語らせることもセットになる。私自身もマスメディアに属していた時期は、「3月11日」に向けた記事を書いていたので、気持ちはよくわかる。そのほうが収まりがいいからだ。

だが、メディアが求める「収まり」の良さは、ほんとうは複雑なはずの人間の感情を平板なものにしていく。「10年話せなかったこと」のすばらしかった点は、「収まりの良さ」を壊し、メディアが作る構図そのものを問い直したことにある。

「被災者」という役割ではなく

出演した人の多くは、10代のころどこかで、「被災者」という役割を背負わされてしまった経験がある。周囲の環境によって、「被災者」に期待されることは変わる。彼らは周囲の期待に応える、あるいはあらがうことで、何を押し殺していたのか。

番組はスタジオではアバターを、VTRでも顔を出すことを決して強制せずに、しかし、彼らのたどたどしい声は絶対に加工することはなく、リアルな言葉を伝えることに徹していた。音声を中心に据えたことで、迫力ある言葉を引き出すことに成功した。

たとえば、浪江町に育った女性たちは当時、取材を受けた様子を振り返り、こんなことを話していた。

いわく、彼女たちは「浪江のために」「地域のために」「使命感を持って」という話をしたが、じつは肝心の「使命感」とは何かをまったくわかっていなかった。先生が言っていた言葉をそのまま、自分の言葉だと思っていたのだ。だから、テレビに映った自分を見ていても、他人だと思っていた。自分の言葉ではないものを、無理をして自分の言葉であるように語っていたからだ。突然、カメラを向けられて質問をされても「わからない」と言えなかった──。

ノウサギという名前で登場した男性は、中学2年のとき岩手県釜石市で被災した。津波で祖母を亡くし、自宅も流された。しかし、彼は感情を押し殺した。私が思うに、彼は周囲の大人やメディアが無意識に望んでいた前を向く「子どもたち」という役割を、引き受けてしまったのだ。ほんとうは、悲しく、つらい気持ちを抱えていたことに進学先で一人暮らしを始めてから気がつき、結局、彼は精神的な不調から満足のいく学生生活を送れなくなってしまった。

「話せなかった」言葉とは

私も新聞記者時代、知らず知らずのうちに紙面に最適化されたコメントを取ろうとしている自分に気がついたことがある。こういうコメントが入れば、きちんと「収まり良く」紙面掲載が近づくと思った。私の取材姿勢は、あとになって彼らを苦しめた、「役割」を求めることそのものだった。

やがて、私は安直なストーリーから離れ、被災した地域に生きた人々を「知る」ことに徹するインタビューという方法に接近していった。きっと、この番組の制作スタッフも同じように変化したのではないだろうか。

役割に期待することもなく、ただ知りたいと伝えることから取材を始める。「知る」ことに徹したとき、彼らの語りはカメラの前でのものとは変化していく。

そんなことを聞かれるなんて思いもよらなかったという表情を浮かべ、考えながら、自分でも知らなかった自分の気持ちを見つけるような語りへ──それが番組で語られた、「10年語れなかった」言葉ではないか。彼らの言葉ひとつ、ひとつがメディアの押しつけた単調な「物語」に鋭く突き刺さっていた。

唯一、物足りなさを感じたのは番組の時間の短さだ。もっと時間をかけて、もっとたどたどしく、もっと沈黙する時間が続くのを見せても良かったのではないか。11年目にはもっと長く、そして、20年目、30年目と毎年、「語れなかったこと」を語る番組として続いてほしいと思っている。何年たっても、語れない人はいるのだから。

★著者プロフィール

石戸 諭(いしど・さとる)
1984年生まれ、東京都出身。2006年立命館大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。その後、BuzzFeed Japanを経て2018年に独立。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』、『ルポ 百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』。ニューズウィーク日本版特集で第26回雑誌ジャーナリズム賞作品賞。

★ノンフィクション・ライター 石戸 諭さんの「最近、何みてた?」

・NHK「シリーズ・横溝正史短編集」(池松壮亮さん主演。満島ひかりさんが明智小五郎を演じた「江戸川乱歩短編集」と同じコンセプトの作品。僕も含めて、ミステリー好きにはたまらないのではないか。満島さんの明智も妖しく、艶っぽいので、また見たい)

・Netflix「アイリッシュマン」(マーティン・スコセッシのシーンの切り取り方、作り方を研究するために、あらためて冒頭からノートで整理)

・Netflix「ローリング・サンダー・レビュー」(同じくスコセッシだけど、こちらはあるミュージシャンについて書くために何回目かの視聴)

★レビュー番組

「10年話せなかったこと」

【放送】3月11日(木)[Eテレ]後6:40~7:15

【出演】尾崎世界観

【イラスト】大島智子

テレビで、ネットで、震災を語る言葉があふれる3月。その言葉はどこまで“本当”なんだろう。今、被災地「だった」町で、震災が日常で語られることはほぼない。「自分は家族を亡くしてないから語る資格がない」「もう忘れたい」「誰をどう傷つけるか分からず怖い」──。さまざまな理由で本当のおもいを心の奥底に10年しまってきた被災地の若者たちがアバターで本音を語り合う。一緒に考えるのは尾崎世界観。

▶︎ 番組ホームページ

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