特派員は見た!コロナ禍で浮かぶ
ベトナムの現実と人々の優しさ

NHKで働く者にとっても、転勤はつきもの。
縁もゆかりもない場所で、仕事と生活が始まることも珍しくない。
私もそうだった。

内示目前、ある上司がこっそり教えてくれた。
「んー、東南アジアの1人支局だね」。ベトナムのことらしい。

特派員として向き合ってきて2年。
ベトナムの現実と、そこで生きる人々の姿を、少しだけ紹介したいと思います。

人事異動でベトナムへ

最初に簡単に自己紹介です。

NHKに記者で入って13年目になります、道下です。若手から中堅くらいのイメージでしょうか。2019年夏からベトナムで、ハノイ支局長を務めています。

▼中央:筆者。現地スタッフの皆さんと一緒に▼

小さいときから、海外につながりがあったわけでも、興味があったわけでもありません。きっかけは大学生のときでした。厳しい部活に明け暮れた高校生活の反動から、大学では、目的意識を持たない日々を過ごしました。

そうした怠惰な生活に、焦りを感じていたころ、大学の交換留学プログラムを知りました。英語は苦手でしたが、この機会に、新しいことに挑戦してみようと思ったのです。

留学先はアメリカでした。せっかくならと、日本人がほとんどいなさそうな大学を選びました。

9か月ほどの滞在中、アメリカの学生たちと授業に出るのは大変でしたが、日本で育った自分の価値観が「否定」されるような毎日は、新鮮でした。

多様な人種や宗教、世界から集まる留学生、日本のようにはきめ細かくないサービス、ちょっとした差別など、世界がさまざまな「違い」でできていることを、身を持って知りました。

日本や日本の価値観に閉じこもるのではなく、世界とつながる仕事をしてみたい、そう思うようになりました。

ですから、海外赴任はNHKに入ったときからの希望でした。5年あまりの宮城県での勤務を経て、東京・国際部に配属され、中国の取材を担当しました。

そして、人事異動で、ベトナムへと赴任することになったのです。

連行される動画を見て「超おもしろい」!?

特派員の仕事は、担当の国や地域で起きていることをニュースとして発信していく仕事です。
その中で、私は、日本がベトナムという国を、理解をする上での「手がかり」も、できる限り伝えたいと思っています。

そして、去年から続く新型コロナウイルスの感染拡大は、その手がかりをいくつも浮かび上がらせています。

ある日、メディアに勤めるベトナム人の男性から、話題になっているという動画を見せられ、ぎょっとしました。その動画は、ある女性が、当局者たちに連行される様子をとらえていたからです。

当局の感染対策が求める、施設での隔離を拒否し、家に閉じこもる女性。クレーン車両で乗り付けた当局者が、家の2階の窓をこじ開けて、乗り込みます。

その後、女性は、当局者に両脇を抱えられた状態で、家から連れ出され、無理矢理、車に乗せられました。

動画について、見せてくれたその男性は「超おもしろい」と話していました。「おいおい…おもしろいじゃないだろ、明日はわが身だぞ?」と一瞬、耳を疑いました。

ただ、ベトナムでは、当局の力は絶対ですし、ましてや、感染拡大への危機感が広がり、その最前線で当局者たちが対応にあたっているさなかです。
この男性には、感染対策に協力しない女性の態度の方が「非常識」に見えたのかもしれません。

実際、動画に寄せられたコメントにも「こんな女は隔離のあと、刑務所に送られればいい」などという過激な言葉が並び、街頭インタビューでも「感染対策に協力しないのだから、当局の対応は正しい」といった声が聞かれました。

ベトナムというと、南シナ海で領有権をめぐって中国と争っている国だとか、順調な経済成長を続ける東南アジアの国、利害を共有している国の1つなどという印象があると思います。

そうしたことも事実ですが、日本と異なる本質を持つことも、重要な現実です。

共産党による一党支配体制をとるベトナムでは、政府は「圧倒的な力」を持ち、ちゅうちょなく行使します。政府は、個人の自由を制限することにためらいを感じさせません。そして、多くの市民は、その結果のさまざまな「不自由」の中での暮らしを日常としています。

こうした現実に、日本人なら抱くであろう違和感も、日本がベトナムを正面から理解する上では、大事な「手がかり」です。

感染対策の「優等生」ベトナム

一方、この「強い体制」は、新型コロナウイルスの感染拡大の防止で、当初、その力を存分に、発揮しました。

去年(2020年)の年始、感染拡大が騒ぎとなった数週間後の2月初旬には、中国からの外国人の入国を規制。

さらに、感染経路を検査で洗い出し、感染者と接触した人も施設に隔離するなど、厳しい対策を実施し、たびたび感染拡大を封じ込めました。

この結果、ベトナムは、世界の混乱とは裏腹に、「コロナのない暮らし」も享受しました。

支局のある首都ハノイも感染者が確認されない時期が続きました。週末は、中心部の道路が封鎖され、歩行者天国になり、ダンスや音楽を披露する人、家族と散歩を楽しむ人などであふれました。ショッピングセンターも大勢の人でにぎわっていました。

人々がマスクをつけているということ以外は、感染拡大前と同じ景色が広がっていました。私もレストラン巡りをし、いきつけの店さえできました。

歩行者天国を楽しむ市民(2021年3月)

日本からは当初「まさかベトナムが封じ込めなどできているわけがない」という反応もありました。しかし、現地からの発信が増え、様子が伝わると、ベトナムの感染対策への評価も定着。

ベトナムは、いつしか、感染対策の「優等生」とまで言われるようになりました。

デルタ株の流行 変化する生活

ところが、ことし4月末以降は、苦戦を強いられています。「デルタ株」の流行もあり、感染拡大に歯止めがかからなくなり、政府は、これまでより厳しい対策を実施してきました。

各地で、食品などの必需品の買い出しや不可欠とされる仕事以外の外出が制限。感染が深刻な南部では、原則、外出を禁止とされた地域もありました。

また、グローバルサプライチェーンの一角も担う工場は、作業員が工場に寝泊まりすることも求められました。

ハノイでも、一時、許可された職種以外は、基本的には家にいるよう指示され、道路には、バリケードがおかれ、警察が人の出入りを監視する姿が目に入るようになりました。

ベトナムの代名詞ともいえるようなクラクションを鳴らしながら走るバイクの大群も町から姿を消し、静まりかえりました。

多くの企業も自宅でのリモートワークを導入し、私も、情報取材やインタビューなどで人と会うことが難しくなり、仕事に大きな制約が出るようになりました。

バリケードが設置された道路で監視する警察。

「ハイブリッドの変異ウイルス」という報道が…

また、新型コロナウイルスをめぐっては、ベトナムから発信された「ニュース」が世界を騒がせる出来事もありました。

「ハイブリッドの変異ウイルスが見つかった」というものです。
ベトナム保健相が発言したこの内容を地元メディアが報道すると、すぐに、多くの海外メディアも、「ハイブリッド」と引用し、世界に発信しました。

結局、しばらくしてから、「ハイブリッドではなかった」ということが認知されたのですが、当初の騒ぎのあと、ベトナムからの入国の水際対策を強化する国もありました。

海外では、政府の統計がいいかげんだったり、地元メディアも情報を未確認で報じたりすることが少なくありません。

われわれ特派員は、情報の出どころや真偽の確認に手間取ったり、どういった表現なら間違いがないか、頭を抱えたりすることがしばしばあります。

地元メディアによるこの報道を見た時、私も大きなニュースかもしれないとも思いましたが、疑問を抱きました。
新型コロナウイルスが変異を繰り返すことは、知られていましたし、ハイブリッド(混合)というキャッチーな言葉にも違和感を覚えたのです。

すぐに、WHOに確認したところ「ハイブリッドではなく、新たな変異があっただけ」と明言しました。これを経て、原稿では「ハイブリッド」という言葉は使わず、詳しい調査の必要性があるという点を強調しました。

▼その原稿がこちら▼

海外からも日本で発信するものと同じ質のニュースを届けるためには、「疑問をつぶす」というような日本の取材での基本動作が大事になります。

思いがけないような落とし穴はありますが、だからこそ、うのみにせず、日本と同じ方法で、地道な仕事を心がけています。

「したたかだけど助け合う」

その国の情報リスクに気をつけながら、地道な情報発信をすることに加え、現地の人たちの「姿」を伝えることも特派員の重要な仕事です。
特に、テレビですと、「臨場感」や「表情」といった情報ものせて伝えることができます。

私も、ベトナムの人たちの「姿」を届けるべく、彼らの「取り組み」や「思い」を切り取る取材を続けています。

この2年間あまり、さまざまなテーマの取材を通じ、政府や経済界、海外を目指す地方の人など、多くのベトナム人と会ってきました。

その経験からベトナムの人たちには、現実的な行動を好むという印象を持っています。人間関係は「友情」だけではなく、メリットがあるかも重視します。

また、長期的な関係よりも、目の前の利益を優先すると感じることもあります。損得を見極め、したたかに生きる、それが「ベトナム流」です。

ただコロナ禍では、ベトナムの人たちの「助け合い」が際立ちました。

厳格な対策で、いこいの場となっている街角の「カフェ」や、大衆居酒屋の「ビアホイ」も営業停止を余儀なくされ、多くの人が収入をたたれ、きょう食べるものにも困る人が増えました。

すると、「コメのATM」と名付けられた簡易な機械で、コメを無料で配布する取り組みが、始まりました。また、さまざまな企業が寄付した食べ物を配る「無料スーパー」も立ち上がりました。

さらに、企業に雇用枠を増やすよう働きかけ、仕事がなくなった人に紹介するサービスも始まりました。また、救急搬送サービスの対応が困難になった地域では、妊婦の搬送を無料でかってでる「妊婦タクシー」を始める人もいました。

コメを無料で配布する「コメのATM」会場が登場する。

「コメのATM」の会場に取材で訪れました。会場にいたのは「仕事がなくなった」とコメを受け取りに来た人だけではなく、コメを寄付するために、訪れた人も大勢いました。

そのうちの男性の1人は、袋詰めされたコメを、乗用車のトランクから、次々と降ろしていきました。

男性はインタビューに「厳しい状況にある人たちに自分ができることをしているだけだよ」と事も無げにこたえ、会場をあとにしていきました。損得勘定では動いていないのは明らかだと感じました。

▼こんな原稿を書きました▼

「したたかだけど、助け合いも忘れない…」。

ベトナムの人たちのありのままの姿を伝えていきながら、彼らにもさらに迫っていきたいと思います。

ベトナムに来て本当によかった!

縁もゆかりもなかったベトナムですが、ここでの経験は、どれもかけがえのないものとなっています。中でも、ベトナムの人たちの「生き方」に触れられたことはその貴重な経験の1つです。

取材で、技能実習生として、日本で3年間を過ごしたベトナム人の男性と仲良くなり、ある日、家に招待されました。

彼は日本人とベトナム人の違いについて「日本人は、『リスク』を心配して、事前に細かく準備をするのが得意だけど、結局、大事なことや目的を忘れている。ベトナム人は、事前に準備をすることは苦手だけど、大事なことは忘れない」と話していました。

日本では、今、さまざまなことに配慮することが求められます。ミスや責任を気にしすぎて、やりたかったことや目標、幸せさえも見失っていることに気づかず、最悪の場合、心身をもすり減らしてしまう人もいると思います。

一方、ベトナムの人たちは、社会の不自由さや貧困など、多くの困難の中でも、家族といった目の前の幸せや夢などを忘れず、大切なものに「まっすぐ」生きていると感じます。大事なことが何なのか、はっとさせられることがあります。

いつまでベトナムにいられるのか、これもまた、人事異動次第ですが、任期いっぱいまで、ベトナムと向き合っていこうと思います。


ハノイ支局 道下航(みちした・わたる)

2009年に入局し、仙台局・気仙沼報道室(当時)を経て、東京・国際部で中国取材を担当。2019年からハノイ支局。

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