体型をからかわれているあなたと、かつて「横綱」と呼ばれた自分へ

のんきにクリームシチューを食べている女の子は、幼少期の筆者である。

かつての自分が、子ども時代にタイムスリップできたとしたら、こんな忠告をしただろう。

「え…?」

幼い子どもにひどい言葉を浴びせるヤツだと思われてもしかたない。あのころ、食欲のままモリモリ食べたせいで 、私は“太っちょ人生”を歩むことになったからだ。

それから20年、私はNHKのディレクターになった。そして、自らの太っちょ人生をテーマに「ルッキズム(見た目で人を判断すること)」を考える「不可避研究中」という番組を制作することになった。

「不可避研究中」は、これまでジェンダーや選挙など、世の中の誰もが避けて通れない「不可避」な問題をディレクターたちが独自の視点で研究してきた番組。

制作を通して、長い間呪いのようにつきまとってきた“体型へのコンプレックス”から、ちょっと解放された気がしている。

かつて「横綱」と呼ばれた少女から、今、ルッキズムの呪いの中にいるあなたへ、伝えたいことを書いてみます。

からかわれても…太っている自分が悪い?

「痩せなきゃ」

多くの人が心の中でつぶやいた経験があるだろう。痩せなければ、という切迫感。人間が生きていく上での大切な営みのはずの“食”という行為が、後ろめたさでいっぱいになるあの感じ。私はずっと、この後ろめたさを背負いながら生きてきた。

物心ついたときから太った体型がコンプレックスで、小学生の時についたあだ名は横綱(名前が横内だから)。自分が太っていることを自覚したのは、小学校2年生くらいのころのことだ。

「他人に太っていると指摘された」最初の記憶を漫画にしてみました

「太っている」という身体的特徴は、「からかってOK」というゴーサインだったような気がする。

思い返せばあのころは、テレビやマンガで主役をはる女性はみんな痩せていた。逆に太っているキャラクターは決まってお笑い枠、どこか下に見られるような存在ではなかっただろうか? そうしたメディアのイメージに慣れ親しんだせいか、私自身にも「からかわれるのは、太っている自分が悪いからだ」という自意識が芽生えていった

明るくふるまって自虐で笑いをとることで、その場をやり過ごす。でも家に帰ると、ずっとモヤモヤしていた。なんとかしなければ…。

太っちょ人生に転機が訪れる

その後の学生生活も“おデブキャラ”のまま突き進み、社会人になってからはストレスのせいかさらに10キロ体重が増えた。

友人に会うたび投げかけられる「また太った?」という言葉。だんだん着られなくなっていく服。「いいかげん痩せなきゃ…」ここが年貢の納め時と言わんばかりに、かつてない程追い詰められた。

一念発起だ。ネットで見つけた効果抜群そうなダイエット本を手に取り、そのとおりに生活した。1日おきに断食するという過激なヤツだった。

そして3か月後。

私は15キロの減量に成功した。人生初の快挙である!
SNSでダイエットの報告をすると、周囲の人たちが急に容姿を褒めてくれるようになった。

「めちゃくちゃ痩せてない!?」「べ、別人…!!」「めっちゃ痩せた!!かわいくなった!!!」

めちゃくちゃうれしかった。人生の歯車がようやく動きだしたような高揚感に包まれた。しかし、喜びに浸ったのもつかの間。再びモヤモヤが生まれた。

太っていた私を苦しめていたものって、何?

ダイエットに成功してからというもの、人生は確実に生きやすくなった。

友人たちは以前より私をリスペクトしてくれている感じがして、人間関係は心地よいものになった。一緒に遊ぶと、頼まなくても写真を撮ってSNSにアップしてくれる。その投稿に、また別の友達から「痩せたね!」とコメントがつく。

喜ばしい反面、痩せる前とのギャップにむなしくなってしまうのだ。それまでずっと、人から下に見られているような居心地の悪さがあった。

体型をイジられたり「また太った?」と言われたりするのは、もちろん気分のいいものではない。けれど、そういう直接的な言葉を投げかけられる以上にキツかったのは「太っている人は痩せている人より劣っている」というような空気感だったように思える。痩せてないとダメでしょ、みたいな暗黙の了解、とでも言うべきか。

そういえば。
痩せる前って、友達のSNSに私の写真ってほとんど載せてもらえてなかったなぁ…。

いまだにズキッと心がうずく出来事がある。

大学時代、語学のクラスが一緒の仲よしグループがあった。夏休みや冬休みはみんなで旅行に行くほどの仲だった。そのグループの中には、なんと大学のミスターコンテストに出場し、見事グランプリを勝ち取った男の子がいた。

名前はK君。K君は誰とでも分け隔てなく接するナイスガイで、クラス旅行の常連メンバーでもあった。

(1番左が筆者 右から2番目がK君)

K君はあるとき、旅行の写真を自分のSNSにアップした。でもそこに、私の姿はなかった。

正直、悲しかった。「なんで私の写真がないのさ~?」と聞くこともできたかもしれない。

でも踏み込めなかった。全ては私が太っているせい。当時、直感的にそう思ったからだ。

K君に直撃 あの時私をどんな風に見ていたの?

あのとき、なぜ私の写真はSNSにアップされなかったんだろう。冒頭にもあったように、みずからの太っちょ人生をテーマに番組を作ることになった私は、このモヤモヤした疑問を企画のスタートラインにすることにした。

「太っている人は痩せている人よりも劣っている」という空気感は“ルッキズム” (見た目で人を判断すること)と呼ばれ、令和のいま、批判の的となっている。私はルッキズムに苦しめられた張本人として、その実像を暴いてやろうと思ったのだ。

さて、証言者が必要である。

…そうだ、K君に直接聞いていみよう!
私が太っていたから、写真をSNSに上げてくれたかったの?と。

ということで、あろうことか4年ぶりに連絡を取り「久しぶりにカフェでお茶でも」みたいな感じで呼び出した。仕事のこととなると、自分でもびっくりの行動力を起こせるものだ。

なんとK君は会社の経営者になっていた。大学生に向けて、SNSを使った就活支援をしているらしい。

私から呼び出しておいて、正直めちゃくちゃ緊張した。ひげをたくわえ、大人びた雰囲気をまとったK君。「やっぱかっこいいな、この人」と、しみじみ思ってしまった。

心がうきうきしたり、舞い上がったりしたのではない。むしろ萎縮していた。「私なんかが呼び出しちゃって大丈夫だった?」という、ものすごくいたたまれない感情に襲われたのだ。

大学時代も、グループでは旅行に行くほどの仲だったにも関わらず、1対1で会うことはなかった。私自身に「太っている私とK君は不釣り合いだ」という心の壁があったことに、このとき気付いた。

オーダーしたアイスコーヒーは、ものの5分で飲み干してしまった。時間も限られている。腹をくくって、切り出した。

実際のやりとりはぜひ動画でご覧ください ▶
(K君とのやりとりは3分2秒あたりから)

横内:私いなかったのよ。それめっちゃ悲しくて。

K君:いや、俺そういう自覚はないんだよね。全くないんだけど。

横内:覚えてる?

K君:覚えてる。

横内:集合写真じゃなくてこれなのは、多分グループの中に太っちょが1人混じってるからこれはNGなんだって思ってた。

K君:いや、ちょっと本当に今自覚したね。最低だね。何か申し訳ないな…。

私の写真がなかったことについて、K君はまったくの無自覚だった。彼は私の気持ちを受け止め、まっすぐ謝罪をしてくれた。

心の底からほっとした。「太っていたから写真を上げてもらえなかった」というのは、私の思い過ごしだったのだ。

さらに話しているうちに、K君もまた、容姿にコンプレックスを抱えていたことがわかった。

K君:当時とか多分インスタグラムとかSNSがはやり始めたころだよね。なんならルッキズムに拍車がかかったじゃないけど、もっと現実の自分よりよく見せられるし、他の人から承認得られるし、僕なんてもう男子校から上がりたての大学1年生だったから、すごいおびえてたというか。

K君:日々のSNS更新が命で、どれだけいろんな角度の自分を発信できるか。それは主に外見っていうような形だったから、やっぱりそうやって、そう思っている人が方やいることもつゆ知らず、自分が一番良い写りをしてるのをひたすら上げてたんだろうね。

K君は、容姿に関してなんの悩みもないものだと思い込んでいた。けれど彼もまた私と同じように、コンプレックスにとらわれていた1人だった。

あのころの私たちは、自分のことしか見ていなかったのだ。

ちょっと待て。じゃあ、「太っている人は痩せている人よりも劣っている」というルッキズムの実像は、一体何だったんだ?

K君は、あくまで自分の写りのいい写真を選んでアップしていただけで、太っていた私を見下していたのではなかった。私も彼も、自分のことしか見ていなかったのだから。

じゃあ、誰が?
と思ったところで、気付いた。

太っていた私を見下していたのは、自分自身だったのだ。

体型をからかわれたかつての自分(そしてすべての人)に伝えたいこと

私が苦しめられてきた「太っている人は痩せているよりも劣っている」という空気感。ルッキズムという言葉が知られるようになる前は、それによって傷つく人がいても、批判の的となることもなく、社会にまかりとおっていたように思う。

他ならぬ私自身が、小さいころに体型をからかわれるうちに、このいまいましいルッキズムを自分の中に取り込んでいた。どんなに傷つくことがあっても、反抗もできずごまかしているうちに「太っているから私はダメなんだ」と、自分で自分を苦しめていたのだ。

以上が、私がつかんだルッキズムの実像である。

さて、自分の悩みや恥ずかしい過去をさらけ出した今回の番組。制作から放送までの間で、意外だったことがあった。

放送前は、打ち合わせなどで私の過去の体験を語るとき、番組に関わる全員が真剣に内容を受け止め、考えてくれたこと。そして放送後は、視聴者や友人たちから「心に響いた」「救われた」「ルッキズムの本買ってみた」といった共感の声がたくさん寄せられたのだ。

思い返せば私は、どんなに嫌なことがあっても「傷ついた」「悲しかった」といった本音を言えてこなかった。私の悩みや感情なんて誰も受け止めてくれないと思い込んでいたからだ。しかし現実は予想に反し、たくさんの人が私の悩みに共鳴し、理解してくれた。

個人的な悩みであっても、ひとたび社会に発信すれば、たくさんの人々の心に響くパワーを持っている。それを身をもって体感できたことは、ディレクターという仕事に対して希望を持てる出来事だった。

さて改めて、子ども時代にタイムスリップしてみたい。

(…誰だこの人?)
「ちょーおいしい!」

「…?」

「傷つくからやめて」

この意思表示が呪文となって、君をルッキズムという呪いから遠ざけてくれますように。

「不可避研究中」横内D

▶ 番組公式Twitterはこちら
※NHKサイトを離れます

関連記事

その他の注目記事