“城マスター”千田嘉博先生が、
北陸の名城・金沢城の魅力を徹底解剖!

絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城「金沢城」

1月22日(土)[BSプレミアム]後6:00
1月29日(土)[BS4K]前11:00

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豊臣政権の重鎮・前田利家が築いた金沢城は、加賀百万石の歴史と文化を今に伝える石川県を代表する観光スポットです。壮大な金沢城は、なぜ本丸ではなく二の丸の方が豪華なのか、白漆喰しっくいや鉛瓦が美しい「白い」金沢城になったのはなぜか、そして、まるでステンドグラスのような石垣はなぜ築かれたのかーー。

全国各地の名城の秘密を解き明かすシリーズ「絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城」の1月22日放送回では、“城マスター”こと千田嘉博教授(城郭考古学)がこれら3つの謎を解明しながら、北陸の名城・金沢城の魅力に迫ります!

千田先生に、番組の見どころとともに、冬の城歩きに欠かせないグッズを教えてもらいました!

金沢城の顔「石川門」

重要文化財「石川門」は江戸時代から残る貴重な建物

──金沢城の特徴を教えてください。

金沢城は加賀百万石を象徴する美しい城として知られています。そして多くの方が、やはり初代城主の前田利家が造った城だというイメージを持っていると思います。しかし、今残っている城の中に、利家が造ったものはほとんど残っていません。その後の前田家の城主たちが、城をどんどん造り直していったからです。江戸時代を通じて金沢城は変わっていきました。その移り変わりから、私たちは多くのことを知ることができます。そういう意味でも金沢城は非常に意義深い、とても魅力的な城です。

日本を代表する大名庭園のひとつ「兼六園」

石川門のすぐ前は「兼六園」。実はこの美しい庭園にも、金沢城の秘密が。

──1つ目の謎「なぜ二の丸が城の中心となったのか」を解明するなかで、ひし形をしたやぐら「菱櫓ひしやぐら」や巨大な「五十間ごじっけん長屋ながや」が登場します。造られた意図などを教えてください。

普通、城は本丸が中心で、そこに天守をはじめとする豪華な建物が建てられることが多いです。しかし金沢城は、本丸の外側にある二の丸に、菱櫓、五十間長屋、橋爪門といった、豪華で大規模なやぐらや個性的な建物が建ち並んでいました。現在、復元されたその姿を見ても、二の丸がとても大事な場所だったことが体感できます。実は金沢城は、江戸時代の途中から、本丸ではなく二の丸を中心とした城に変わっていったのです。それはなぜなのでしょうか。1つ目の謎では、城の中心は本丸だと思っていては読み解けない、金沢城ならではの謎を解明します。江戸時代に城がどんな役割を果たそうとしていたのか、江戸時代の人々が城をどのような存在だと考えていたのか、それが大きな手がかりです。

長さ約100mもの「五十間長屋」

二の丸を守る巨大城壁「五十間長屋」

巨大な監視塔「菱櫓」

五十間長屋の先端にたつ「菱櫓」。高さ17mで、“天守級”の建物といえる。

──2つ目は、「なぜ金沢城は独特の白いデザインの城になったのか?」という謎が解明されます。白い城というと、姫路城や江戸城などいくつか挙げられると思いますが、中でも金沢城はどんな特徴を持つでしょうか?

江戸時代の城というと、姫路城のような白い城を思い浮かべる方が多いでしょう。確かに白い城が各地にたくさん造られました。しかしよく見てみると、実は日本海側には黒い城、黒い板を貼った城が多いのです。国宝の松江城天守などがそうですね。ですから金沢城は、日本海側の城には珍しい白い城なのです。そもそもどうして日本海側には黒い城が多いのか、そしてその中で、なぜ金沢城は白い城になったのか、今回はその秘密を読み解いていきます。

美しさの象徴でもある「海鼠壁」

金沢城といえば、黒の瓦に白いラインが幾何学的に走っている「海鼠壁なまこかべ」が印象的。なぜこのような壁が築かれたのか?
2020年に復元された「鼠多門」の壁も、海鼠壁。

白く輝く鉛瓦

鉛瓦は、雨風にさらされるうちに白く変色していく性質が。鉛瓦を使った理由とは?

──3つ目の「なぜ特色のある石垣が造られたか?」という謎の解明では、数々の見事な石垣や庭園が紹介されます。最も印象に残ったものを教えてください。

金沢城では、江戸時代のさまざまな時期に造られた石垣を見ることができます。そのため“石垣の博物館”とも呼ばれています。初代城主の前田利家の時代にさかのぼる古い石垣から、幕末に造られたものまで、いろんな時期の石垣が残っています。それぞれの石垣が、その時代の最高の石垣を目指して造られました。ですから、石垣の変遷を見ていくと、人々の価値観や考え方が変わっていく様子がよくわかります。中でも特に印象的な「色紙短冊づみ石垣」と呼ばれる石垣は、石の形や色を精緻に計算して積み上げた、たいへん芸術的な造りになっています。ほかの城ではなかなかお目にかかれない個性的な石垣です。一体なぜこのような石垣が生まれてきたのか、その背景には何があるのか、番組で探っていきたいと思います。

ステンドグラスのような「色紙短冊積石垣」

さまざまな形や色味が混ざった「色紙短冊積石垣」。
「色紙短冊積石垣」のある「玉泉院丸庭園」は、藩主のプライベート空間として造られた。

──今回のロケを通して、最も印象に残っていることは?

美しい建物やすばらしい石垣を見ようと、たいへん多くの人々が訪れる人気スポットになっていることが印象に残りました。実は金沢城の石垣や門、やぐらや庭は、明治時代以降にほとんどが取り壊されたり埋められたりしました。それを、長い時間をかけて丁寧な発掘調査を積み重ねることで、本来の姿に復元してきたのです。その結果、地域の歴史や文化を象徴する特別な場所としてよみがえり、全国から多くのみなさんをお迎えできるようになりました。金沢城は全国にある史跡のお城の中でも、最も積極的に本来の姿を復元しようとしている城の一つです。研究と復元はまだまだこれからも続けられますが、このような地道な活動がいかに大切であるかをよく示す、すばらしい城だなと改めて感じました。

二の丸の発掘調査は、現在も精力的に進められている。
経済の要所として栄えた金沢。華やかな茶屋町も、金沢の地でさまざまな文化が開花した表れ。

──視聴者へメッセージをお願いします。

金沢城の復元された建物には、たくさんの階段や段差がありますが、車いすの方も楽しめるように、階段にスロープやリフトを設けたり、エレベーターを設置するなど、さまざまな工夫が凝らされています。番組をご覧いただくみなさんの中にも、お城は好きだけど足の具合が悪くて現地に行くのは難しいだろうなあとか、車いすだからお城には行くのは無理だろうなあと、残念に思っている方もいらっしゃると思います。しかし金沢城はそんな心配は必要なく、すべての方がやぐらの中に入って、城の細かいところまで見学し、歴史を体感できる城です。ぜひ安心して訪ねてください。そして、このような取り組みが全国に広まって、日本中の城がすべての人に歴史を体感できる特別な場所になって欲しいと願っています。

連載コラム「教えて!千田先生」
“城歩きのコツ” その11

手袋は、防寒のためだけにあらず!

城を訪ねるときには、手袋が欠かせません。古い建物や石垣に触れる機会があるときに、手を守ることができますし、思わぬところにある林ややぶの中を歩くときにも有効です。おすすめは上のような指先が使える手袋です。これなら、手袋をつけたまま写真を撮ったり、メモをとったりといった作業が支障なく行えますし、タブレットなどの情報端末も使うことができます。

指先が使える手袋なら、貴重なシャッターチャンスも逃しません!

絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城「金沢城」

【放送予定】
1月22日(土)[BSプレミアム]後6:00
1月29日(土)[BS4K]前11:00

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