はじめまして、私は高松局で働くニュースカメラマンのアンナです。突然ですが、私の顔にどんな印象を持ちましたか?

私の父は日本人ですが、母はコロンビア人で、海外にもルーツがあるんです。そんな生い立ちから、これまで自分の顔について悩んできました。

「ハーフなのにハーフ顔じゃない」
そう周りに言われてきました。そんなコンプレックスはカメラマンの仕事にも影響を及ぼしました。

カメラマンと私のルーツがどう関係するのか?
周りにもなかなか説明が難しかったですが、自分にとって深刻な悩み。そんなこじらせた悩みを、「不可避研究中」という番組で研究しました。最終的には自信を持つことが大切という結論に至りました。

ありきたりな答えに聞こえるかも知れません。私も最初は自信を持ちたくても持てなかったひとりです。

ここでは、ありのままを愛せない人や自信を持てないと感じている人に向けて、私個人のこじらせた悩みの理由をたどりながら、自信を持つことに納得できるようになるまでを、ルッキズムな世の中を生きるための方法として、ここに書き残そうと思います。

※ここでは、「ミックス」や「ダブル」といった表現を使用せず、これまで「ハーフ」と呼ばれてきた筆者の経験をそのまま掲載しています。

「“ハーフ”である私」の悩み

「ねえねえ、ハーフってさ、もっとかわいいんじゃないの?」

小学生のとき、同級生に言われたこの言葉。今になっても忘れられない。私はこれ以降「ハーフだからかわいくならなきゃ」という思い込みを抱えて人生を過ごすようになる。

高校に進学してからは、目鼻立ちのはっきりとした友人と私の顔だちを比較され、こう言われた。

「ハーフなのにハーフ顔じゃないよね、日本人なのに●●のほうがハーフみたい」

“失敗作”とでも言われている気分だった。
一方で、私の顔に違和感がある人もいるようで、大学時代にはバイト先で全く知らないお客さんから突然出自を尋ねられることもあった。

私と相手の関係に関わらず、私の顔はすぐに話題にあげられる。そんな経験から、いつしかこう思うようになった。

人は外見をよく見ていて、しかも平気で口を出してくる。

きっと相手にとっては距離を縮めるためのやりとりに過ぎないのかも知れない。それを頭で理解していても、毎回、心を締めつけられた。

化粧をするようになって、まずお手本にしたのは女性向け雑誌の「外国人風、ハーフ顔メイク特集」。

雑誌には“ハーフ”とは何か、が事細かに記載されていた。彫りが深く見えるように、鼻筋に陰影を付けたり、頬骨が強調されるよう目立たせた。眉毛は色を濃くくっきりさせる。瞳の色を変えるため、緑色やグレー、ブルーのカラーコンタクトを選んだ。

でも、そういう顔が好きでなりたかったわけではない。
本当は、日本のアイドルグループのような透明感あふれる顔だちに憧れていた。目と平行にふんわりと生えた眉毛。丸くてぱっちりした目に、ぷっくりとした涙袋。でも自分は、そんなアイドル顔にはほど遠かった。納得いく顔には近づけなかったのだ。

顔のよしあしって、誰が決めたんだろう。でも「ハーフなのにハーフ顔じゃない」って言われる必要なんて絶対ない。

自分は気にしないようにしたくても、テレビや雑誌で取り上げられる”ハーフ顔特集”はどうにでもできないし、顔についてあれやこれや言われるし、一体どうしたものか。いつしか、周りの意見に左右されて必死になっている自分に疲れていた。

「ルッキズム」って言うらしい。 「ルッキズム」人を見た目で判断すること。大学時代にこの考えを知った。私は、この「ルッキズム」とか言うやつに悩まされていたんじゃないか。

これは、私だけの問題じゃなくて、みんなが抱えている問題のはず。

日本人顔がダメとか、痩せている方が良いとか、身長とか、外見のコンプレックスとか、女性が当然のように化粧するのも、仕事でヒールを履かなきゃいけないのも、「ルッキズム」とやらのせいだ!

私は、周囲から向けられた理想に悩んだ経験を発信して、もっと見た目から解放された世の中にしていきたい。そんな思いで、自分で取材して発信できるカメラマンの道を選んだ。

ルッキズムに加担?「カメラマンとしての私」の立場は?

カメラマンとして実際に取材にあたるようになった。毎日異なる現場でニュースを取材する。会見やイベント、スポーツ取材など、さまざまな人を取り上げる。そんな中である不安を感じるようになった。

人を撮るのが怖いのだ。

ニュースの現場だって、世の中のルッキズムの対象になる。例えば高校野球の取材のとき。球場には応援に詰めかけたチアリーダーたち。

SNSで、中継の映像をキャプチャした画像に「チアリーダーの顔がかわいい」というツイートがバズっているのを見たことはないだろうか。球場の熱気を伝えるつもりが、人を撮るときにこの人も画面に映ることで、ルッキズムの視線を向けられる。

つまり私が撮ることで、意図せず品定めの土俵に上げてしまうかもしれないのだ。

やがて私は取材相手にカメラを向けることに、怖さを感じるようになったのである。

このままではカメラマンとしての仕事を全うできない。カメラマンとして深刻な悩みになっていた。

“自撮り写真家”にヒントを求める

そんななか、「不可避研究中」という番組がルッキズムを取り上げるにあたり、VTR企画の提案募集があった。

「不可避研究中」は誰もが生きていく上で避けて通れない「不可避」なテーマを、ディレクターやカメラマンが、独自の目線で研究するというものだ。

私は迷わず手を挙げた。ルッキズムに悩み続け、自分で取材したいとカメラマンになったのだ。撮るのが怖いからって負けてはいられない。

結果、念願かなって、カメラマンとしての悩みを克服するという切り口で、世で活躍する先輩カメラマンにヒントをもらいに行く、という研究をすることになった。

先輩カメラマンとして協力していただいたのは、マキエマキさん。

【写真提供:マキエマキ】

マキエマキさんは自撮り写真家というちょっと変わった肩書きを持って活動している。その作風は「昭和のエロティシズム」。昭和の時代を感じさせる衣装に身を包み、かつての女性の色気を感じさせる作品を撮っている。

こんな場所でホタテビキニも…【写真提供:マキエマキ】

ちょっと過激な作品への反応はすべて自分自身に返ってくる。みずからカメラの前に身をさらして、ルッキズムの標的になるのだ。

マキエさんはもともと、商業カメラマン。28年のたしかなキャリアを築いてきた。

お仕事中のマキエさん【写真提供:マキエマキ】

プロのカメラマンとして自分の実力で生きてきた人だ。
大きく見れば、同じカメラマン。でも私は人にカメラを向けるだけで怖さを感じてしまうのに、自分で自分をさらすことなんて考えられない。

どうしてルッキズムをはねのけて活動できるのだろう。きっと、ルッキズムを乗り越えるための心得があるはずに違いない。

▼マキエさんと私の対話は52秒ごろから▼

早速マキエさんに疑問をぶつけた。

:自撮り作品を作り続けられるのはどうしてですか? 嫌なこと言われませんか?

マキエ:言われますよ。ばばあとかたいしてきれいでもないのに何やっているんだとか。

マキエ:でも生まれついたものは変えようがないから、ブスだろうがなんだろうが関係ないと思っています。

生まれついたものは変えようがない…。たしかにそうだ。でも、だからこそ私は悩んできたんだ。他人の言葉に全く左右されないためには、何が必要なのだろうか…。

マキエ:みんな見るんですよね。何でそんなに容姿を見るのって思うんですけど、これは変えられないんじゃないかと思います。だからといってそれに左右されるのは悔しいじゃないですか。容姿ではなく、自分のやってることや生き方に自信を持つことじゃないかなと思います。

必要なのは「自信」。私は聞き慣れたその言葉に少し戸惑った。「自信を持って」というのはこれまで母にも友人にも何度も言われてきた。

つまり、ルッキズムから解放されるための答えはこれまでも出ていたことになる。あのとき自信を持てていたら、どうなっていたんだろう。

:私が変わることでなにか変わりますか?

マキエ:世の中は変わらないかも知れないけど、世の中の見え方は変わると思う。

自分で自分を苦しめていたんだ。

世の中は変わらないけど、自分から見る世の中は変えられる。自分さえよければそれでOK。そうやって生きていけたらすごく楽になれそうだ。まずは、自分と向き合うことから始めないといけないみたいだ。

でも、正直複雑だった。自信を持つとか、ありのままを愛するとか、そうしたくても簡単にはできないものだ。だってこれまでずっと“失敗作”だと負い目を感じて生きてきたのだから。

そんなことを思いながら、マキエさんの言葉の意味を考えていると、あることに気がついた。

マキエさんは、自分の外見を自分で認めてあげようと言っているわけではなく、自分で自分を好きになれる生き方をすることが大切だと語っている。

外見に自信を持つのではなく、あくまで内面。それと、生き方。マキエさんの言う「自信」は、一般的に耳にする、ありのままの自分を愛する。とか、それとは似ているようで全く違うんじゃないか。

マキエさんが内面や生き方を磨くことにこだわる理由を探ってみた。

マキエ:私は若いころ、イベントコンパニオンをやっていました。容姿でお金をもらう仕事ですね。私イケてるじゃん。と思うこともありました。でも、化粧や髪型、服も自分の好みじゃない。そんな容姿で誰かに判断されることは、すごく悲しいことじゃないかと思ったんです。 

内面こそ人の本質。

マキエさんがカメラマンという職業を選んだのも、自分の技術や能力で人生を切り開きたいと思ったことが理由の一つなんだそう。

マキエさんは内面で自分の価値を認めてもらうことこそが重要だと考えているのだ。

ルッキズム時代のカメラマンとして生きる

自信を持つとはどういうことなのか、研究を通して感じた自分なりの考えはこうだ。

「自分の価値観を一番に考え、選択すること」

これまで、自分を好きになれず、美しいとされる容姿に近づこうと必死だった私。世の中の価値観をそのまま受け入れて行動してきた。でも、理想とされる外見に近づけても、心が楽になれたわけではなかった。

でも今は、自分の外見を好きになれないのなら、それはそれでいいと思う。

大切なのは、他人の意見を理由にするのではなく、自分の価値観で納得できる選択をすること。

たとえそれがダイエットや脱毛、整形など容姿を美しくするための行動であっても、それがルッキズムにとらわれたものなのか自己表現になるのかは、すべて自分の価値観で選択できているかにかかっていると思う。

自らの価値観からの選択に誇りを持ち、それを積み重ねていくことが、内面や生き方に自信を持つことにつながるのだ。

ルッキズムにとらわれてきた私にとっての、”自信を持つ”というのはどういうことか、わかった気がする。

ではカメラマンとしての私はどうなったのか。
正直言うと、ルッキズムな世の中はそう簡単に変えられない。結局は、怖いままだ。

でも、私自信がルッキズムの殻を破って、少しずつ自信を持つことで、怖さに折り合いを付けられるんだと、今回気がつくことができた。

これからは、ルッキズムな世の中を恐れながら、でも、決して負けずに、カメラマンとして生きていこうと思う。

そしていつの日か、人にカメラを向けることを恐れる必要のない世の中になることを信じて、これからも取材を続けていきます。

「不可避研究中」アンナC

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