ウクライナのテレビ局で考えた「公共放送」のこと

ロシアのウクライナへの軍事侵攻の1か月前、2022年1月、私はウクライナの首都キーウに滞在していた。ウクライナの公共放送に対する支援を締めくくるための訪問だった。

私は長年NHKの記者として勤務し、その後、NHKインターナショナルというNHKの関連団体で、国際協力の仕事を続けてきた。この団体では、諸外国の“公共放送”づくりのための人材育成、放送局支援の事業などをおこなっている 。旧ユーゴスラビアのコソボやアフリカの南スーダンでも支援を展開しているが 、ウクライナでは“国営放送を公共放送に転換するための支援”を5年間にわたって行ってきた。
私は責任者として、5年間で合計12回、ウクライナを訪問した。

キーウ市内(2021年9月)

キーウは美しい都だ。世界遺産のソフィア大聖堂など歴史的建造物が多く、クラシック音楽やバレエが盛んで、芸術と文化の香りが街中にあふれていた。

2021年秋からロシアは、ウクライナ国境沿いに軍の部隊を配置、年明けからは更に増強し、日に日に緊張が高まっていた。しかし、私の滞在から1か月後に大規模に戦争を仕掛けるとは予測できなかった。
そのウクライナでは今も、東部と南部を中心に広い範囲で戦闘が続いている。

ウクライナの公共放送の皆さんは今、どうしているのだろう。日々刻々と変わる戦況や被害の状況を国内外に発信し続けているのか。それとも、銃を手に戦っているのだろうか。
彼らとの5年間を振り返りたい。

ウクライナ公共放送PBC

ウクライナの公共放送局PBC(Public Broadcasting Company of Ukraine)は、2017年1月、キーウの国営放送局の傘下に、全国20余りの国営の地方放送局が入る形でスタートした。現地では、ウクライナ語で「公共」の意味のSuspilne(ススピーリネ)とも呼ばれている。

ウクライナ公共放送PBC

職員は全国におよそ4200人、テレビは2チャンネル、ラジオは3チャンネルを持つ。それまでの国営放送局は、政府や地方自治体の情報をそのまま受け取って伝えるだけの“広告塔”と受け止められ、平均視聴率も1%前後と低迷していた。

ウクライナは、ポロシェンコ前政権時代からEU(欧州連合)加盟の方針を掲げていたが、EU側からは、メディア改革を含む民主化の進展を求められていた。国営放送の公共放送への転換は、その重要な柱の一つと見られていた。

2014年のロシアによるクリミア併合をきっかけに、G7を中心とする国際社会のウクライナ支援の機運が高まり、日本政府も動き出した。JICA(国際協力機構)は、生まれたばかりの公共放送局PBCの組織改革や人材育成をサポートする方針を決定し、私の所属するNHKインターナショナルが支援プロジェクトを担当した。

国営放送と公共放送の違いって何だ

プロジェクトは、NHKのOBを中心にNHKインターナショナルの職員5人でチームを編成し、「災害などの緊急報道を実施する体制の構築」「公共放送に相応しい教育・福祉番組の制作」「放送機材の維持管理能力の向上」の3分野で実施した。
このうち緊急報道は、国民の生命財産に直結するだけに、公共放送の要と言える。これを支える「組織作り」と公共放送に相応しい「意識改革」が求められていた。最初に取り掛かったのは、全国ネットワークの構築だった。

ウクライナの国営放送局は、旧ソ連時代から“独立志向”が強く、統率のないバラバラの状態だった。PBCはNHKの組織を参考に、本部の報道局長の指揮下に全地方支局(前身は国営の地方放送局)のニュース部門を置くという改革を断行したが、紙の上で組織を変えただけでは、生きた情報が流れる真のネットワークは生まれない。

国営放送時代、情報は上から降ってくるものだった

私はキーウ本部の指揮下に置かれた20余りの地方支局の報道責任者に注目した。30代を中心とした若い世代で、報道経験が少なく、キーウから離れているため孤立しているように見えた。このため、本部と全支局の報道責任者が参加する対面やオンライン形式のワークショップを企画して実施した。
とにかく話し合い、情報を交換し、お互いを知り、絆を深めること。これに尽きる。

報道責任者対象のワークショップ

これまで5回のワークショップの開催で、本部と地方支局の一体感、連帯感は確実に強まったと感じる。

ただ、当初のワークショップでは、「取材先が会ってくれない」、「話してくれない」など、“泣き言”ばかりだった。彼らは、国営放送時代には、自ら情報を取りに行くという経験がほとんどなく、情報は上から一方的に降ってくるものだった。私は、公共放送は国営放送とは全く違うと伝え、自ら考え、足で稼ぐべきだとアドバイスした。取材先と食事をしたりお酒を飲んだりして、とにかく気楽に話せる関係を作ろう。情報を取るのはそのあとで構わないと、何度も激励した。その後、ワークショップが開かれる度に、「取材先に友人が出来た」「良いネタ元を開拓した」など、明るい声が寄せられるようになった。
“自分たちの手で、公共放送という新しい放送を作り上げたい。”
若いジャーナリストたちのプライドと熱意が、自らを着実に成長させていったように思う。今も戦火に身をさらしながら、各地で懸命に取材を続ける彼らの顔が次々と目に浮かぶ。無事を祈るばかりだ。

経営陣と対話を重ねた“公共放送とは何か”

組織改革と並んでPBC職員の意識改革も課題だった。公共放送の行方を左右する幹部の意識が特に重要と考えた。私は訪問の度にPBCの会長や理事、それに報道局長らと対話を重ねた。
テーマは「公共放送とは何か」。

国営放送は、政府の強い管理下に置かれ、民間放送は、営利を目的としている。これに対し公共放送は、営利を目的とせず、政府の統制からも自立し、公共の福祉のために行なわれている。従って公共放送は、政府から常に一定の距離を保つこと、具体的には「編集権の独立」が肝要だと私は彼らに伝えてきた。それを担保するのは「財源の独立」だろう。

PBCの収入は、政府からの交付金と広告収入などからなり、このうち政府交付金は、全体の95%程度を占める。政府交付金は、国家予算の0.2%を振り向けることが法律で明記されているが、2017年の公共放送スタート以来、一度も満額支払われたことがない。
ウクライナの現状では、NHKやBBCのような受信料制度が国民に受け入れられるのは極めて困難と見られ、当面は政府交付金に頼らざるを得ない。

こうした中、政府とPBCの間で緊張が高まったのが、2019年1月に起きたズラブ・アラサニア前会長の解任劇だ。当時のポロシェンコ大統領に近いとされるPBC経営委員会(会長の任命権を持つ)メンバーが中心になって緊急動議を提出し、解任した。

アラサニア前会長は、民放のジャーナリスト出身で、政府とは一定の距離を置く報道姿勢を取っていた。彼の周辺によると、前会長は、政府から取材をするよう頼まれた案件を幾度か断っていたということで、職員の間では「ぶれないリーダー」と支持する声が多かった。前会長なくして今のPBCはないと言われる。
彼は解任後、私に対して、「今回の解任決定は受け入れられない。法廷で徹底的に争う。必ず勝つ」と語っていた。
その後、裁判で解任決定は違法とされ、7月に会長に復帰した。

この解任劇は、前会長の対応に政府側がいらだちを募らせていたことをうかがわせるもので、強い決意をもって政府とは一定の距離を保つという公共放送トップの在り方を内外に印象付ける結果となった。

ウクライナの国民は

PBCを巡っては、この5年間で、視聴者の受け止め方が大きく変化した。EUと欧州評議会などが2020年11月から12月に実施した世論調査によると、PBCを時々視聴すると答えた人は34.2%で、ウクライナのテレビ局のうち7番目。一方、信頼度は35.2%で、全体の4番目だった。ウクライナには、財閥系の4つのメディアグループがあり、これまで放送界を支配してきたが、上記の世論調査によると、PBCはこれとは異なり、偏りのないバランスの取れた放送をするメディアとして、国民に受け入れられつつある。

戦時下の公共放送を率いる38歳の会長

PBC内部の話に戻ると、アラサニア前会長は2021年4月、自らの後継者として地域改革担当の理事のミコラ・チェルノツィツキー氏(38歳)を抜てきした。ほかの理事会メンバーの平均年齢も38.33歳で、2017年のPBCスタート時より3歳近く若返った。特にニュース分野では、いずれも30代で女性の理事と報道局長を抜てきするなど、ジェンダー問題や若い世代の意向にも配慮した柔軟な組織作りに着手した。

私はそれまでウクライナ訪問の度に、ミコラ氏と公共放送の役割や組織の構築について何度も意見交換をしていた。彼の最大の関心は、全国ネットワークを支える放送人材や予算の乏しい「地方支局」をどう強化するかだった。彼は、財閥系メディアグループの関心が低い“地方ネタ”を発掘し、全国に発信をすることこそが公共放送にふさわしい役割と考えていた。

ミコラ氏は会長就任後ただちに、「地方支局の強化」と「デジタルファースト」を目標に掲げた。地方支局の強化に加え、インターネットを通じたニュースや番組をより充実させ、ネット世代と言われる40代以下をひきつけようというメディア戦略だ。

また、政府と一定の距離を置こうという「前会長路線の継承」を明確にしている点も見逃せない。去年秋、ウクライナ政府がPBCへの介入の度を強めようと、経営委員会のメンバー構成を変えようと動いた際には、ミコラ会長は日本を含むG7各国のウクライナ駐在大使と相次いで面会し、政府に思い留まるよう働き掛けを要請した。若手らしい行動力と国際社会も視野に入れた柔らかい発想を感じた一幕だった。

政府と距離を取ろうともがいてきたウクライナ公共放送PBC。
ロシアとの戦時下にある今は、共通の敵を前に、その“距離”が曖昧にならざるを得ないかも知れない。それでも、可能な限り独自に情報や映像を集め、検証し、真実の放送を続けてほしい。
この5年間、一緒に課題を見出し、あれこれ考え、そして何とか答えを出してきたPBCの仲間たち。
ウクライナ初の公共放送のあかりをどうか消さないように。

宮尾 篤

1981年、記者としてNHK入局後、地方局を経て、政治部、国際部などで勤務。この間、ソウル特派員。その後、NHKインターナショナルへ。

▼「ウクライナ公共放送」を取材したNHKクローズアップ現代▼

関連記事

その他の注目記事