初めまして、中條誠子です。
NHKアナウンサーとして26年目となる私にとって、今、とても響く言葉があります。
「稽古照今」
古きを稽て、今を照らす
過去に学んで、今を生きる指針を見出すこと
不確かな未来だけを考えて焦るのではなく、これまでの道のりをよく学ぶと、歩むべき道が見えてくる・・・
ある時、大先輩に教わりました。
今回は、放送100年を振り返る番組制作と、ナレーションの育成を通して、この言葉を噛みしめた私の経験をお話しします。
放送100年に向けて「アナウンサー百年百話」の制作
記事をご覧のみなさん、改めまして、中條誠子です。私はこれまで、香川、大阪、東京、富山、東京と赴任し「おはよう日本」や「日曜美術館」「にっぽんの芸能」などを担当してきました。

語りでは、連続テレビ小説「スカーレット」や現在は「新日本風土記」「コズミックフロント」などを担当しています。
番組の反響や感想を伺うと、「良いものは良い!」という視聴者のみなさんの感度の良さにうなったり、細かいところまでよく視聴いただいていることに感激したり、ありがたいご指摘に背筋を伸ばしたり…みなさんと時代を共に歩んでいる、そんな思いでお伝えしています。
実は、2025年は、放送が始まって100年になります。そこで今年度アナウンス室で立ち上げたのが、ラジオ番組「アナウンサー百年百話」。毎週水曜日午前10時半からラジオ第2で放送中です。
放送の黎明期から、ニュース、スポーツ、エンターテインメントなど、さまざまな場面で情報を伝えてきたアナウンサーたちが、その時々にどう向き合ってきたのか。貴重な音声を元に放送の歴史を振り返ります。
私が担当したテーマは、「歌舞伎」です。
NHKに残る膨大な放送の記録や、当時の奮闘が綴られたアナウンサーの手記、熱烈なファンの方からお借りした実録と出会うたびに、こんなにも熱いドラマがあったのか! なんと高度な職人技! パソコンもない時代にすべて手書きでやってのけていたなんて信じられない! と、その情熱と挑戦に胸が熱くなりました。

(右)収録技術がまだなく、生放送を残すすべがなかった当時、放送を家庭で録音し残していた竹内章雄さんに貴重な実録をお借りしました
始まりは“耳で聴く歌舞伎”
そもそも皆さん、歌舞伎をラジオで実況していたのをご存じですか?
見ごたえのある衣裳や、舞台装置、見得などの歌舞伎らしい演技を“見られない”舞台を音だけで伝えるなんて成り立つの?と思った方も多いことでしょう。私も最初はそう思いました。
ところが歌舞伎は音楽的要素が強い芝居で、長唄や義太夫など、俳優のセリフ以外に、情景や心情、話の筋などを伝えるいわゆる語りの音楽があります。それらが絶妙な間合いで演技と一体化し作品を創っているため、音の世界がとても豊かなのです。
そんな歌舞伎の放送が始まったのは、昭和2年のこと。当時、主な歌舞伎の演目は日本人の誰もが知っていて、大スターといえば歌舞伎俳優。劇場に足を運べない人たちにとって“耳で聴く歌舞伎”はキラーコンテンツとなり、毎月1~2回の舞台中継が行われていました。
そんな歌舞伎放送の人気を支えたのがアナウンサーです。
セリフや音楽のわずかな間合いに、場面を捉え、俳優の動きや衣裳、登場人物の心情に至るまで、舞台と一体になった実況解説で聴く人を作品世界に誘いました。開始当時は収録技術がなかったため、アナウンサーが客席から実況する一発勝負の生中継。まさに職人芸だったのです。
歌舞伎を伝えた名アナウンサー
番組では、歌舞伎放送の道のりを4つの技術革新の時代で分け、歴代4人の名アナウンサーの取り組みを紹介しました。
第1回
舞台中継の先駆者 高橋博アナウンサー
~歌舞伎放送ことはじめ~
第2回
“十分にして簡潔”な描写でリスナーを劇場に誘った 竹内三郎アナウンサー
~芝居と一体化!歌舞伎の名実況~
第3回
俳優の心に触れるインタビュアー 山川静夫アナウンサー
~俳優の素顔を伝える!テレビ時代の歌舞伎放送~
第4回
自称「客席のバスガイド」!葛西聖司アナウンサー
~知らない人をもいざなう!現代の歌舞伎解説~
聞き逃してしまったという方! ご安心を! 第1、2、4回のアナウンサーたちがどんな思いで放送に向き合っていたのか、3つの番組を合わせて「らじるセレクト」でお聞きいただけます!(2022年12月25日16時55分まで)

歌舞伎俳優の信念に迫った 忘れられないインタビュー
その中で、特に私の心に残っているのが、冒頭の「稽古照今」を教えてくださった山川静夫アナウンサーによる人間国宝六世中村歌右衛門さんへのインタビューです。
ラジオからテレビ時代へと移り変わった転換期、山川さんは、これからアナウンサーは何を伝えるべきかを考え俳優の“心”に迫る放送を届けることを目指します。

(1993年9月総合「サンデー招待席 歌右衛門 出雲から歌舞伎を語る」より)
まず山川さんは、古から時を積み重ねてきた出雲大社と「芸の道」を結びつけて尋ねました。
すると歌右衛門さんは、
「出雲大社の、風雪に耐え、長い時間を生きてきた佇まいには自然に頭がさがる。芸の道も同じく品格が出るまでには、一朝一夕にはいかない。年輪を重ねること。自分でこうしようああしようと思っているうちは駄目だ」と答えます。
その後、山川さんが戦時中の興行について当時の心境を尋ねると、歌右衛門さんは、さまざまな制限下での苦労を経て、再び上演できた時に噛みしめた幸せをしみじみと語りました。
そしてこの後、山川さんは歌右衛門さんの信念に迫ります。
山「歌右衛門さん、歌舞伎は絶対に滅びないとおっしゃいますが、どうしてでしょうか?」
歌「芸というものは、力では抑えきれないもの。それを感じていたので、滅びないと申し上げたのかもしれません」
山「阿国以来の歌舞伎の歴史をひも解きますと、女歌舞伎を弾圧し、若衆歌舞伎を弾圧し。幕府が叩いても叩いても、雨後の竹の子のごとく、歌舞伎は立ち上がってきましたよね」
歌「芸術というか、芸というものはやっぱり計り知れないものがあると思うんですよね」
芸の力。人間は、物語を愛し表現を分かち合うことで心が満たされること。それは、どんな時代も変わらない…
実は、このインタビューに私が最初に出会ったのは、3年前「にっぽんの芸能」の司会をしていた時でした。中村歌右衛門さんの至芸を特集した回で、歌右衛門さんの柔和で確信に満ちたお話ぶりが、いつまでも鮮やかに記憶に残っていました。
今回、山川さんにお話を伺うことになり、一番印象的だった歌舞伎の仕事を尋ねると、まさにこの出雲のインタビューを挙げられたのです。
人生の大先輩が「決して滅びない」と言って下さることのなんと力強いことでしょう。温かくて、信じる心が励まされた気持ちがして、改めて言葉のもつ力を感じました。山川さんが歌右衛門さんの懐に飛び込んだ一期一会のインタビュー。時を経てアーカイブスで拝見した私にとっても、忘れられない言葉となりました。
放送で伝えるということ
かく言う私は、番組を担当したことがきっかけで、古典芸能をどう守るのかを考えるようになりました。近くで見たり聞いたりするうちに、どうか絶やさず受け継がれてほしいと思うようになりました。決して現在の経済だけでは測れない価値があると思います。
それは、一人の俳優が人生をかけて、代々受け継がれてきた型を身体に入れ、それを今度は自分の内側から出る表現として磨き上げること。その姿を現代に見られるのが、古典芸能です。世界の人々から愛される日本だけの豊かな文化。山川さんの言葉を借りれば歌舞伎は「江戸文化の正倉院」! 俳優とお囃子の絶妙なコラボレーションで描かれる日本人の心や生き様、豊かな自然や四季の情景を詰め込んだ舞台装置、衣裳、かつら、大道具、小道具…まさに総合芸術です。
もう一つ思ったことがあります。こうしてリアルタイムではお会いできなかった歌右衛門さんの芸や言葉に触れられるのは、アーカイブスのお陰なのだということ。だからこそ、私も番組を担当する時には、今の視聴者だけに届けばそれでいいのではなく、未来を生きる人たちにとっても何かしらの縁になればという気持ちで収録に臨みたいと思います。まさに稽古照今の一助になれるのなら、これほど光栄なことはありません。
ただ、古典芸能に触れる機会がないために、分からないことが多くて難しいものだと思ってしまえば、その価値は理解できません。だからこそ私たちは、放送を通じて広く知ってもらう役割を担っているのです。
NHKで古典芸能をご覧いただける番組は、
よろしければ、こちらの番組もご覧いただけたら嬉しいです。
ナレーション育成で受け継ぎたい
ひるがえって、私が日常業務の中で「受け継ぐ」ことを大切にしているのがナレーションの育成です。
かつて私自身も先輩に見守られ、語りの仕事に夢中になりました。見る人に心から良いと思ってもらえる語りは、どういうものなんだろう。そんな疑問に寄り添ってくださった先輩の存在が、今の私に繋がっています。今度は私が後輩たちに寄り添うことが恩返しだと思っています。
例えば、毎週金曜日にオンザジョブトレーニングとして収録しているのは「Nスペ5min.」。
NHKスペシャルの内容を5分に凝縮した番組で、アナウンス室の若手アナウンサーを中心に、全国のアナウンサーがナレーションを担当。収録にはナレーションの経験豊富なアナウンサーが、トレーナーとして立ち会います。私は、そのトレーナーの一人として若手アナウンサーと11人のトレーナーをつなぐ調整デスクを担っています。

収録前日に担当アナとトレーナーがマンツーマンでトレーニング。課題を共有し、収録でどんな挑戦をしたいのか、どうすれば実現出来るかを探っていきます。
声を聞くと、色々なことが分かります。何に悩んでいるのか、どんな癖があるのか、それはなぜなのか…。また良さも個性も、そのアナウンサーの現在が見えてきます。
挑戦するアナウンサーにとって、「自分の語りを聞いてもらう」ことは、一人では気づけなかったことに気づくチャンス。自分の状態を客観的に捉えられ、その後の成長につながります。トレーナーチームとしては、早い時期にナレーションの奥深さ、面白さを味わうことが種まきになり、やがて多様な音声表現者が増えることを期待しています。
11人のトレーナーは、それぞれが自分のメソッドを持っています。毎回、トレーニングを終えると、トレーナー同士で繋がっているチャットで報告し合います。一人一人の気づきを共有することで、同じように教えていることが分かったり、仲間のアプローチを聞いて引き出しを増やしたり。教える側も相談できる仲間がいることで、独りよがりにならず、大事にすべきことを常に確認できる場になっています。

NHK“ナレーションの流儀”
私たちが目指すのは、基礎基本である「型」を身につけた上で、説得力を持って多様な個性を輝かせることです。
NHKのナレーションにおける「型」=基本とは、番組の内容を正確に的確に伝えきることのできる音声表現技術とそのマインドのこと。
例えばそれは、情報の背景を踏まえ、文章の意味を正確に捉え、それを的確に音声表現すること。的確とは、キーワードや強調すべき言葉をきちんと立てるなど意味に即して言葉を音に変える力です。
音読をする際、「うねる」という表現を使うことがあるのですが、これは、伝えたい意味合いとは違った、読み手の調子や癖が出てしまっている状態です。他にも、特定の助詞を伸ばしがちだとか、文の始めの音程が一定で単調に聞こえたり、息を長く使えないために意味と違う所で切ってしまったり、自分の知識や考え方の偏りが影響してしまうこともあります。このような、内容に即さない癖をなくした状態がスタート地点!
その上で、番組に合わせ、「どう語るか」を構築していきます。正解のない、ナレーションならではの音声表現。ナレーターの個性も発揮されます。番組が伝えたいメッセージは何か、どんな世界観をもった番組か。提案票を読んだり、制作者に話を聞いてイメージを膨らませたり、台本の構成を読み解く中で目指すところを掴みます。
文体によっても工夫が必要です。例えば文末が「です、ます」なのか「である」調なのかによって印象ががらりと変わります。ナレーターの立ち位置をブレずに持っておくことも重要です。視聴者との距離感はどうか、ぐいぐい引っ張っていくような番組なのか。はたまた読み手の気配を消した方がいいのか…。制作側の狙いはもちろん、放送日時やどの世代に届けたい番組なのか、などを考えて収録に臨みます。
まだまだほんの入り口しかお伝えできていませんが、こうしたメソッドを私たちは、育成を通して積み重ねています。先輩から受け継ぎ、現在、そして未来に受け渡すNHKのナレーション流儀です。
稽古照今で、次の100年に繋げたい
今回、放送100年の歴史を振り返り、歴代アナウンサーから学んだことがあります。それは、まだ見ぬものへの挑戦です。歌舞伎の舞台中継の先駆者だった高橋 博アナウンサーは、それまでいわゆる演目名や出演者の紹介にとどまっていた枠づけアナウンスを、リスナーを喜ばせたいとの思いから、スポーツ実況の経験を生かすなどして、舞台と一体化する実況中継に発展させました。
その実況に憧れてNHKに入局したのが山川静夫アナウンサーです。ところが、時代はラジオからテレビへ。その時山川さんは、歌舞伎座に学生時代から出入りしていた経験を生かして、観客席からではなく幕内の視点から、俳優の懐に飛び込むインタビューを行います。だれも聞けない話が次々に飛び出しました。
放送の道のりは、そんな挑戦者たちによって繋がっていたのです。いくつものエピソードに出会うたび、未来を憂いている場合ではない、出来ることはまだまだあるのだ! と思えてきます。
まさか、会ったこともない大先輩にこんなことを教えていただくとは思ってもみませんでした。
「稽古照今」この言葉は、一見すると、昔のことから学ぶように という古風なメッセージにも取られがちですが、実際には、古の時代もその時々で新しいことに挑戦し道を切り拓いてきた先輩たちが、バトンを繋いできたのかもしれませんね。それからすると、私はまだまだです。子育てとの両立があり、時間をどう工夫するかという切実な問題もありますが、必要は発明の母、ということで、また新しい年に向かって、何かを切り拓けるよう作戦を練りたいと思います。
みなさんは、新しい年、どんなことに挑戦してみたいですか?
アナウンサー 中條誠子