12年目の南三陸で、家族に乾杯

穏やかな日差しが降り注ぐ、2月上旬の南三陸町。砂浜から望んだ海は透き通っていて、牙をむいた姿を想像することは難しかった。

町の中心にある商店街には、復興のシンボルの大きなモアイ像が立っている。その背後には、再建されたまっさらな街並みや、被害を伝える遺構が見えた。

12年前、この町を津波が襲った。
当時、高台にいて難を逃れた男性は、「夢を見ているみたいだった」と話してくださった。眼下に濁流が広がり、人や家が流されていく。あまりに現実感がない光景で、朝になって目が覚めたら元通りなんじゃないかと思ったという。別の男性は、知人を何人も亡くされた。「なぜ自分が生きているのか不思議だった」とつぶやいた。
そうした言葉の一つ一つが、確かな重さをもって心に残った。

私は、入局1年目のディレクター。今回南三陸町を訪れたのは、『鶴瓶の家族に乾杯』という番組のためだった。この番組のロケに参加するのは、これで3回目。まだまだ慣れないことばかりで、ようやく流れが少しわかるようになってきたばかりだ。それでも、1年目だからこそ気付いたこともあるはずと信じ、12年目の南三陸で感じたことについて書きたいと思う。

「今こそ行かなあかん」

私がいる『鶴瓶の家族に乾杯』は、鶴瓶さんがゲストと一緒に、日本中の家族を訪ねる番組。今年で26年目を迎える。

配属されてすぐ、班の先輩から「見ておいてね」と渡されたDVDがある。収録されているのは、鶴瓶さんと歌手のさだまさしさんが、震災の年の5月に宮城県石巻市を訪ねた特別な回。なぜこの回を渡されたのか分からなかったが、当時の私には、他にやれることがほとんど何もなかった。とにかく家に帰って、見てみることにした。

番組は、鶴瓶さんが以前出会った方にもう一度会うという、再会編。鶴瓶さんとさださんが、震災から間もない石巻で話を聞いて、どんどん番組は進んでいった。

津波の中を泳いで自宅の2階にたどり着いたと話す人、義理の親がまだ見つかっていないと声を落とす人。当時の石巻の方々のありのままの姿が映っていた。

そして番組の終盤。避難所となっているお寺を2人が訪ね、鶴瓶さんが立って落語を披露し、さださんが歌うことになった。観客のリクエストに応えた一曲で、さださんは「がんばれ」という歌詞を何度も歌う。それはやがて、お寺に集まった全員での大合唱となる。最後に、最前列で幼い子どもが無邪気に歌っている様子が大写しになり、私は涙が出てきた。

VTR明けのスタジオでは、さださんが「子どもたちは希望ですね」と言うのだ。小野文惠アナウンサーも泣いていた。

見たあとしばらく、ぼうっとしてしまった。そういえば、小学6年生だった当時、大阪の実家でこの回をリアルタイムで見たことを思い出した。一緒に見ていた母が泣いていたことを覚えている。当時はわからなかったが、大人になった今なら、母の涙の理由もわかる気がした。

しばらくして、この番組の制作者に思いが向いた。どんな経緯でこの回が実現したのか、当時はどんな方が番組を担当していたのか。
いろいろ調べるうちに、あるインタビュー記事にたどり着いて驚いた。私の上司にあたる佐橋プロデューサーが、当時もプロデューサーとして取材に答えていたからだ。よく見返すと、お寺でさださんが歌うシーンの端に、ふだんお世話になっている見慣れた顔が映っていた。その佐橋プロデューサーに、話を聞かせてもらうことにした。

2011年3月11日。番組では、いつものようにスタジオで収録をしていた。すると突然、大きな揺れが襲った。天井の照明が音を立てて揺れ、落ちてくるのではないかと思ったという。収録は取りやめとなった。

少し日がたって、鶴瓶さんが、東北を訪ねたいと言い始めた。前に出会った人たちに会いたい、と。「今こそ行かなあかん」。

そこで、以前石巻で出会った方たちに連絡してみると、無事だったことがわかった。新幹線が不通だったため、スタッフはロケバスで石巻に入り、下見をしたそうだ。そして震災から2か月経たない5月1日、石巻市でロケを行えることになった。

佐橋プロデューサーは、この時期にバラエティー番組が被災地を訪ねて良いのか悩んだこともあったという。しかし鶴瓶さんの一言も後押しとなり、この回が実現した。実際には、鶴瓶さんやさださんと出会って多くの方が喜んでくださったそうだ。

その様子は、映像を見た私にも伝わってきた。『鶴瓶の家族に乾杯』は、こうして人の縁をつないで地元の方に喜んでもらえる、不思議な番組なのかなと思った。

2011年5月1日、宮城県石巻市を歩く鶴瓶さん

「この番組だから出た」

そして、今回の南三陸町でのロケ。東北を毎年訪ねていた番組にとって、コロナ前以来3年ぶりとなる被災地訪問の回だ。先ほどの話を聞いて以来、私はなんとなく東北の回に思い入れがあった。だから、南三陸のロケに行けると分かった時にはうれしかった。

ゲストは、女子スピードスケート金メダリストの小平奈緒さん。去年引退されたばかりで、バラエティー番組の経験もほとんどないという。常に困難に立ち向かってきた方だ。鶴瓶さんも、ふだんよりもロケに長い時間をかけておられる様子だった。

私はロケの翌日、鶴瓶さんが出会った何人かにお話を伺った。

いまだに突然あの日を思い出すと話した方や、家が流されなかったことに罪悪感があったという方もいらっしゃった。その一方で、明るい番組だからか、笑顔を見せてくださる方ばかりだったのも印象的だった。

鶴瓶さんが旅で訪ねた、民宿を営む家族にもご挨拶に伺った。震災時には、生まれたばかりの幼子を抱えて大変だったとのこと。民宿が避難所となり、停電が3か月続いたことなど、当時の経験について詳しく語ってくださった。 取材を終えようとするとき、こんな言葉をいただいた。

「他の番組の取材を断ったこともあるけど、この番組だから出た。暗い感じより、明るく楽しくが良いです」。

この言葉は、南三陸の方から伺ったいろんなお話の中で、一番印象に残った。

震災のことがメディアで取り上げられるとき、明るいか暗いかでいえば、暗い文脈の方が多いだろう。私は番組制作のメイン役を務めたことはまだないが、いざ自分が担当になったとして、どこまで明るく伝えて良いものかとも思う。しかし、当事者の方が、明るく取り上げてほしいと言っておられる。まず、そのことにはっとさせられた。

そして、ここからは新人の私の個人的な思いだけれど、バラエティー番組のもつ意味を改めて考えるきっかけにもなった。

報道番組とバラエティー番組は、全く別のもののように思えるが、実際はそこまでかけ離れたものでもないのではと私は感じている。むしろ、正面から向かわないからこそ、さらっと本質を伝えられることもあるかもしれない。重要なのはジャンル分けではなく、社会を踏まえたうえで、何をどう伝えたいかということだと思う。

特にこの番組は、ぶっつけ本番でロケをして、その日偶然出会った人に話を聞く。バラエティー番組でもあるし、ドキュメンタリーだという方もいれば、紀行番組だという方もいる。そういう多様さや自由さ、遊びがあることに私は憧れている。

コロナ禍では「不要不急」という観点で、さまざまなものについて議論が盛んになった。取捨選択しないと前に進めないのは確かだけれど、必要不可欠のものだけ残すなんてことができるのだろうか。それではなんだか息苦しいし、不要不急とされるものの中にこそ、大切なものがあるのかもしれない。

私自身が、世間的には“不要不急”かもしれない音楽を真剣に続けてきただけに、よけいにそんなことを思ってしまう。

目指した仕事

5歳のときから、私はバイオリンを習っていた。ピアノを弾いていた母に影響されたからだ。良い師に出会い、大学卒業までの17年間ほど毎日弾いていた。プロを目指す人と並んでコンクールに出るくらい真剣にやっていた。

ぼんやりと向いていた自分の方向がはっきりかたまったのは、大学2年のとき。大学オーケストラに、指揮者の尾高忠明さんが来られた。後に大河ドラマのテーマ曲の指揮もされた、日本有数の指揮者だ。ある日、こんな話をしてくださった。

昔、作曲家の芥川さんと黒柳徹子さんが司会の、『音楽の広場』というバラエティー番組がNHKにあって、私はそこで指揮をした。誰もが気軽に、本物の音楽を楽しめる素晴すばらしい番組で、なくなってしまったのが残念だ。

この話が、NHKのディレクターを目指すきっかけになった。

そこからは水が流れるようにいろんなことがつながっていき、現在に至る。バラエティ番組班に配属を希望したのも、一番の理由は自分の原点、『音楽の広場』への憧れからだ。

音楽のほかに、各地を旅してきたという経験も私のバックボーンとして大きくある。いま、『鶴瓶の家族に乾杯』に携わる中で、ものごとを伝えたいという欲や、旅先で人に話を聞いたりしていた経験が生きているように思う。この番組が、さださんが深く関わっている番組なのもうれしい。さださんも、かつてバイオリンを真剣にやっておられた方だからだ。

こうした一つ一つが、ばらばらなように見えて、実は全部今につながっているのだろうなと思う。

「神様がついている」

南三陸のロケが無事に終わった、その日の夜。番組に初回から携わる構成作家の井上知幸さんは、私にこんな言葉をかけてくれた。

「この番組には神様がついていると思う。偶然の出会いに任せるこの番組で、こんなに素晴すばらしい出会いが続くんだから」。そして、「1回の特番だったはずのこの番組が、まさか25年も続くと思わなかった」。

知幸さんの、神様がついているという言葉。それは、鶴瓶さんや歴代のスタッフが人の縁を大切にしたからこそ、続いてきたということなのかもしれない。

この春で、入局2年目になる。学生時代との変化が大きい1年で、楽しかったことも失敗も受け入れて春を迎えたいと思う。

鶴瓶さんやこの番組のように、人の縁を大切にして、気付けば何十年も経っている。この年齢で何を言うと笑われそうだが、そんな年の重ね方に憧れる。
この先どんな方に出会い、どんな番組を作るのか。自分でも全くわからないけど、私の前途にも、神様がついていてくれればと願う。

『鶴瓶の家族に乾杯』宮城県南三陸町の旅(後半)の放送は、総合3月13日(月)午後7時57分~です。

ディレクター 永井佑樹

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