司法の近代化を目指して建てられた監獄、都市開発のために掘られた巨大なトンネル、バブル期に乱立した豪華絢爛なホテル、歴史に翻弄された競馬場、戦後の日本の繁栄を支えた鉱山や炭鉱……。
「夢のあとさき~日本遺構見聞録~」は、日本中に残された”夢の跡”=遺構を訪ね、そこに暮らす人々の物語を見つめるドキュメンタリーです。
全国の遺構を取材した佐野達也ディレクターのコメントとともに、それぞれの物語を紹介します。
門出 日本最古の監獄遺構が新たな姿に
1908(明治41)年に司法の近代化を目指して建てられた旧奈良監獄。監視所を中心に、建物が複数の収容棟へと放射状に広がる「ハビランド・システム」を取り入れた日本最古の刑務所遺構です。戦後は少年刑務所となり、2017年に廃庁するまで多くの若者たちの更生を担ってきましたが、今、宿泊施設として新たに生まれ変わろうとしています。番組では、改装前に行われた刑務体験ツアーに密着。案内役を務めた元刑務官の男性や、ツアーに参加していた元受刑者の思いとともに、旧奈良監獄の新たな門出に光を当てます。

遺構といっても、数年前まで実際に刑務所として使われていた施設なので、すごく生々しさを感じました。
ロマネスク様式の赤レンガ造りの建物は、建築物としての歴史的価値も高く迫力満点。こんな建物が、東大寺のすぐ近くにあったということにも驚きましたね。
成長 神戸で出会った2つの遺構を巡る成長の物語

1960年代、日本有数の港町・神戸では、急速な経済発展と人口増加に伴い、山を削り港を埋め立てる大規模な都市開発が行われました。山から海へ土砂を運ぶのに大活躍したのが、巨大な地下トンネルの中に敷かれた須磨ベルトコンベヤー。2005年にその役目を終えると、地下には巨大な空間だけが残されました。 活用法を模索していた神戸市は、地下の特性を生かしたユニークな実験を行いました。その試みとは?
また、同じ神戸市内の六甲山にある廃虚マニアに人気の廃ホテルも取材。建物を管理する現在のオーナーが、廃虚を保全する難しさに戸惑いながらも、廃虚を愛する人々との出会いをきっかけに変わっていったエピソードを紹介しながら、もう一つの成長の物語を見つめます。

総延長14.7キロにも及ぶ地下トンネルは、何もないだだっ広い空間ですが、神殿のようでどこか厳かな雰囲気に包まれていました。須磨ベルトコンベヤーが無ければ、今の神戸の町は無いと言っていいほど大きな役割を担っていたのに、今では人知れずひっそりと地下に眠っている。今回は、そのような意外に存在を広く知られていないような遺構を中心に訪ねました。
一方、六甲山にある摩耶観光ホテルは、“廃虚の女王”と呼ばれる有名なスポット。実は以前にも取材したことがあるのですが、当時は不法侵入が絶えず、オーナーは頭を抱えていました。だったら逆にオープンにしたほうが楽になるんじゃないかなと思って、廃虚が好きな人たちに「正式に見学を申し込んではどうか」と提案したんです。それをオーナーが受け入れてくださって、今では廃虚ツアーも行われるように。そうした交流をきっかけに、その方の考え方がどう変化していったかという部分も注目です。
流転 激動の時代を流転した幻の競馬場

江戸時代、横浜開港を機に作られた根岸競馬場。明治時代には外交の舞台としてにぎわい、昭和初期には鉄骨鉄筋コンクリート7階建ての一等馬見所が建てられました。しかし、戦争を機に競馬場として使われることはなくなり、朽ち果てながらも今なお横浜の町にその姿を残しています。一等馬見所の今と、時代とともにその姿を変えてきた根岸競馬場の歴史を見つめながら、競馬場を見守り続ける人々の思いに触れます。
激動の時代を、まさに“流転”してきたのがこの根岸競馬場です。当時の最新鋭の技術を駆使して作られた一等馬見所が、観覧スタンドとして使用されたのはわずか14年。戦時中は旧日本軍の印刷工場となり、戦後は米軍に接収されました。米軍から返還された後は横浜市が管理していますが、活用方法が見つからず長年そのままになっているんです。老朽化が著しく、補修するとしてもコストがかかる。しかし、歴史的な建造物なので壊すのも難しい。今後どう処理すればいいのか、市としても頭の痛い問題のようです。須磨ベルトコンベヤー同様、遺構を残していくには、どう活用すればいいかという問題提起になればいいなと思います。
傷跡 雲上の楽園が残した傷跡と向き合う人々

かつて東洋一の硫黄鉱山と言われた岩手県八幡平の松尾鉱山。最盛期には、多くの人々が暮らし“雲上の楽園”と呼ばれるほど繁栄しました。しかし、1971(昭和46)年に閉山した後、坑道から有害な鉱毒水が川に流れ込み、深刻な公害をもたらしたのです。人々が去った夢の跡地に残されたのは、住人を失ったアパート群と、環境汚染の傷跡でした。汚染水の中和作業に従事する人や鉱山の元従業員に話を聞き、雲上の楽園の光と影に迫ります。
硫黄は“黄色いダイヤ”と例えられるほど重宝された資源でしたが、石油の台頭によって松尾鉱山はたちまち閉山に追い込まれました。その後、強酸性の鉱毒水が北上川に流れ込み深刻な公害を引き起こしたことはご存知の方も多いかと思います。しかし、その後、どのように汚染水が処理されているのかということはあまり知られていないかもしれません。汚染水の中和処理に従事する方によると、汚染水の流出が止まることはないので、半永久的に中和処理し続けなければ川の水質を保てないのだそうです。そのことにも驚きましたし、鉱山で働いていた方が、贖罪の気持ちから植林を続ける姿も印象的でした。
泡沫 山の中腹に残されたバブルの残骸

函館市の活火山・恵山。その中腹に広がるリゾートホテルの跡地には、大きなコンクリートの台座が残されています。日本中がバブルに沸いた1980年代、この台座には長さ45メートルもの巨大な涅槃像が横たわっており、客を呼び込むモニュメントとして利用されていました。バブル崩壊後、涅槃像はどんな運命をたどったのでしょうか? 長年、恵山と共に生きてきた温泉宿の夫婦を取材し、泡沫の跡をたどります。
閉店 炭鉱の島唯一の食堂最後の日々

石炭の採掘で戦後の日本経済を支えてきた長崎県の炭鉱。2001年にその役目を終え閉山した後も、炭鉱の跡地には、石炭採掘の技術を学ぶために多くの外国人留学生が訪れています。炭鉱で働く人々の寮で食事の世話をしていた女性は、閉山後、島を訪れる人々のために食堂を開きました。しかし、高齢となり店を畳む ことを決めました。炭鉱の島の胃袋を支え続けた女性の最後の日々に密着します。
遺構が好きな友達に誘われて遺構を巡ったことがきっかけで、その美しさを紹介する番組を作りたいと思って企画を立ち上げました。でも、取材を重ねていくと、背景にある歴史やそこに暮らしている人々の思いを掘り下げていくとすごく深みのある人物ドキュメンタリーになるんじゃないかと気付いたんです。なので、今回は遺構そのものの魅力よりも人にフォーカスした番組になっていると思います。
取材を通して改めて感じたのは、日本には後先考えずに作ってしまったものがこんなにも残っているんだなということですね。それを否定的に捉えるのではなく、あまり知られていなかったような問題にも目を向けて考えてもらえるきっかけになればと思います。
「夢のあとさき~日本遺構見聞録~」
【放送予定】 7月8日(土)[BSプレミアム]午後10:30~11:59
【ナレーター】林原めぐみ