世界ふれあい街歩き

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これまでの街歩き

メリダ/ メキシコ

2009年3月5日(木) 初回放送

語り:浅野和之

撮影時期:2009年2月

世界地図

地図

場所

メキシコ中部に位置する街メリダは、メキシコ湾に突き出たユカタン半島最大の都市。人口約75万の、ユカタン州の州都です。
周囲を囲む密林のため、他と交じり合うことのなかった独自の文化「マヤ文明」は、紀元前5世紀ごろから2000年あまり続きました。16世紀にスペインの支配下におかれて、その長い歴史に幕を下ろしましたが、街には現在も古代マヤの遺跡が多くあり、マヤの末裔(まつえい)の人々が多く暮らしています。
坂の少ない平らな土地も、碁盤の目のように延びる道も、昔、ピラミッドがあった場所に全く新しい街を作ったためにできたものです。先住民に対するカトリック改宗の基地でもあったメリダの街中には、現在も多くの教会があります。
一年の平均最高気温は28度で、熱帯湿潤気候。鮮やかな刺繍(ししゅう)を施した「ウイピル」と呼ばれる民族衣装を身にまとう女性の姿をよく見かけます。

Information

エネケン産業

かつてメリダに莫大(ばくだい)な富をもたらした「エネケン」という作物があります。「エネケン」とは、テキーラの原料で有名なリュウゼツランの一種ですが、お酒の原料ではありません。
エネケンの皮をむき、余計な水分をしぼり出すと、あとに繊維が残ります。これを半日ほど天日で干したものが、天然の繊維として大変重宝され、19世紀から20世紀にかけては「緑の金」と呼ばれ、メリダの経済を潤したのです。
もともとは、先住民のマヤの人々がサンダルなどの日用品に利用していました。それに目をつけたスペイン人が、大きな産業に育てたそうです。エネケンの特徴は丈夫さ。特にロープは評判で、アメリカ海軍は第二次世界大戦までエネケン製のロープを使い続けていたとか。
エネケン産業で財を成した経営者たちは、屋敷の家具をフランス製でそろえました。エネケンを輸出した時の袋に詰めて、ヨーロッパから持ち帰ったものばかりです。
しかし、1950年代ナイロンの登場により産業は衰退。かつて100を数えた大きな農園も、今では歴史を伝えるために開かれている農園ひとつが残るばかりとなりました。
そこに行けば今でも、丈夫なエネケンで作った衣服やバッグを手に入れることができます。

黄色い街

メリダから東へ60kmほどの「イサマル」という街は、街中の壁が黄色に統一されています。
ことの始まりは19世紀。イサマルの市長が会合で「白い街メリダに対抗して、こちらの街も特徴のある色に染めよう」と言い出したのです。そして相談の結果、決定したのが黄色でした。
その理由はマヤの神話からきています。神話では「人類はトウモロコシから誕生した」とされているので、街をトウモロコシと同じ黄色にすれば、マヤの神様も喜ぶに違いない、と考えたのです。
イサマルには、マヤ文明の遺跡・ピラミッドも残っています。「キニチ・カクムーピラミッド」は、高さ40m。3世紀から7世紀ごろの建設といわれ、メキシコでも指折りの大きさを誇っています。
マヤの人々は、神々に近い高い場所で儀式を行えば、願いが届くと信じていました。

ハンモック

メリダのハンモックは、世界的にも有名です。
キレイな民芸品としてだけではなく、人々の暮らしの中で「お昼寝はハンモック、夜はベッド」というような実用品として、生活に欠かせないものとして知られています。
メリダ近郊の農村では、幼いころからハンモックの織り方を学んだベテランの職人たちが、色とりどりの糸を紡ぎ、今も伝統の技を守り続けているのです。
使い方は簡単。適度なたるみを持たせてつるしたハンモックの、ちょうど真ん中あたりを両手でつまみ、広げた端に腰を乗せます。そして徐々にお好みの体勢を作っていきます。
ただ寝るだけではなく、うつぶせになって床に置いた新聞を読んだり、片側だけ短く結んで背もたれを作って座ることも、また恋人同士でベンチ代わりに使うこともできます。

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