これまでの街歩き

ポルト歴史地区/ ポルトガル

2015年5月12日(火) 初回放送

語り:桂 文珍

撮影時期:2015年2月

世界地図

地図

場所

 ポルトガル北部の港湾都市・ポルト。人口約23万、リスボンに次ぐ第二の都市です。ローマ帝国、西ゴート、イスラム教国の支配という時代を経て、この地がポルトガル国となったのは11世紀のこと。そして初代国王アフォンソ・エンリケスはポルトから南へと進軍を続け、現在のポルトガルの領土を手中に収めます。こうした歴史から、ポルトはポルトガル発祥の地とされているのです。
 その後1415年にはエンリケ航海王子の指揮の下ポルトを出航した船が北アフリカセウタを攻略。他のヨーロッパ諸国に先駆け大航海時代の先陣を切ることになりました。
 こうした名残を伝える建造物を随所に見ることが出来る歴史地区が世界遺産となったのは1996年。近年はワインの輸出港として知られる醸造所は対岸のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区で見ることが出来ます。見どころいっぱいのポルトは、年間100万人の観光客が訪れる街として人気を集めています。

Information

ポルト繁栄の歴史

 ローマ時代から港町として栄えたポルト。15世紀には、エンリケ航海王子の海外進出の拠点として、さらなる発展を遂げます。エンリケ航海王子は、大航海時代の先陣を切り「海の帝国」と呼ばれたポルトガルの礎を築いた人物です。ポルトの港を出航したポルト船はモロッコやインドに攻め込み、交通の要衝マラッカ海峡を掌握。それまでアラブ人が牛耳っていた貿易網を打破し、ポルトガルを世界の征服者として一気に躍進させました。
 黄金の装飾で彩られた「サン・フランシスコ教会」や贅(ぜい)の限りを尽くした「アラブの間」など、今も街の至るところに栄華を感じさせる建物を見ることができます。

食べ歩きグルメ

街歩きしながら手軽に楽しめるご当地の味を、厳選してご紹介!

 今回の紹介してくれるのは、ドウロ川沿いでレストランを営むルイ・サントスさん。スイーツの食べ歩きが趣味というルイさんが、とっておきのポルトガル伝統のスイーツを紹介してくれます。

コンペイトウ

日本人にはなじみの深い「コンペイトウ」は、ポルトガル生まれ。コンペイトウの原型となる砂糖菓子が作られたのは、大航海時代。ポルトガルが南米に入植し、大規模な砂糖の生産が行われるようになったと同時に作られたのがはじめと言われています。日本には織田信長への献上品として持ち込まれたのが始まりといわれています。

カステラ

ポルトガル発祥のスイーツ「カステラ」。素焼きの窯でじっくりと4時間かけて焼きあげられるカステラは、モチモチ・フワフワの食感がたまらない一品。卵がたっぷり使われたカステラは、甘みもほどほどで、いくらでも食べられそう。どこか懐かしい気持ちにしてくれる王道のスイーツです。

ボーラ・デ・ベルリン

たっぷりのカスタードクリームをパン生地ではさんで揚げたドーナツ。直訳すると「ベルリンのボール」という意味。この名称についてはほとんど知る人はいないという謎のスイーツですが、一説によると、丸い形でジャムを詰めたベルリンのドーナツに似てるからだとか。食べ応えのあるベルリンのボールは若者たちにも大人気なのです。

ちょっとより道

街からちょっと足をのばして、イチ押しの観光スポットを訪ねます!

アーモンドの里で春に出会う
語り:中村玉緒

 今回はポルトから東へ130km、電車とバスを乗り継いで3時間半ほどにあるヴィラ・ノヴァ・デ・フォス・コアへ。美しい渓谷が世界遺産として知られるこの地は、ポルトガル最大規模を誇るアーモンドの里です。毎年3月を迎えると、山や畑の至るところでアーモンドの花が咲きほこる絶景が見られます。
 春先の街を散策していると、アーモンドのお菓子を作っている女性がいました。秋に収穫したアーモンドの実に砂糖のシロップをかけて混ぜるという伝統菓子は、代々この地の女性たちに受け継がれてきたんだそうです。なんと毎日8時間、8日間も作業を繰り返してお菓子が出来上がるんだそうです。
 さらに目的のアーモンドの花を探して歩いていくと、花摘みを楽しむ家族が…近所で暮らすこの家族はパーティーを彩るための花を摘みに来たのだと教えてくれました。誘われてご一緒してみると、そこにはアーモンド畑が。畑の花はまだ咲いていないので、早咲きの花摘みをしていたんだそう。庭に置かれたテーブルにはアーモンドをふんだんに使った品々が並んでいました。アーモンドの里で一足早い春の訪れを祝う家族たち。淡いピン色をした花がキラキラと輝いていました。

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