これまでの街歩き

チェジュ/ 韓国

2012年3月15日(木) 初回放送

語り:矢崎 滋

撮影時期:2012年1月

街の「海女さん」

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 韓国で海女さんがいるのはチェジュ島だけで、季節を問わず、一年中、海に入ります。古くから行われてきた海女漁ですが、最近はめっきり減ってしまいました。それでもチェジュ島の中心都市チェジュには、50人ほどの海女さんがいるそうです。60~80歳代のベテランばかりで、若い人はいません。素潜りで水深10mの海底に潜り、サザエやアワビ、タコなどを獲る作業は危険と隣り合わせです。そのため、海女さん自身は自分の娘を海女にしたくないと話します。
 それでも、「自分にはこれしかないから」と、年配の海女さんたちは、70歳、80歳になっても海に潜り続けています。海女の歌は、仕事や暮らしのつらさを忘れるために歌うんだと笑う海女さん。歌詞は、「毎日、波間を漂い、子を育て、何のための人生か」と嘆いていますが、それでも海女さんは潜り続けてきたのです。

街の「東門市場」

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 チェジュの市街地の真ん中にあるのが、チェジュ最大の市場、東門市場。1400ものお店が軒を連ね、海産物から野菜、果物、生活雑貨までなんでもそろうチェジュの台所です。そこで、チェジュ特産のミカンを売るご夫婦に出会いました。いろんな種類のミカンがありますが、すべてチェジュ産。韓国のミカンの99%はチェジュで栽培されています。ご夫婦の自慢は、おいしいミカンを売って、日本に娘を留学させていること。聞けば、娘さんはすでに日本語がペラペラだそうで、「自分たちも日本語を覚えなくっちゃ」とうれしそうに話してくれました。
 さらに市場を巡ると、エビを売る元気なおばさんがお客さんを相手に丁々発止のやりとりをしていました。キムチを作るときのエビの利用法を伝授中。軽妙なやりとりの末に、お客さんが「じゃあ、これください」の一言。おばさん、さすが商売上手です。市場で商売を始めて30年というおばさん、「30年前は私、すごくきれいだったんだから。今はすっかりだけど」と笑います。いやいやお肌も声もエビみたいにプリプリですよと返すと、神妙に「ありがとう」。表情豊かなエビ売りのおばさんに、思わず笑みがこぼれます。
 市場の屋外にも、大きな野菜を扱う店が並んでいます。そこで、背中に何かを背負ったおばさんを発見。よく見ると白菜をランドセルのように上手に背中に結び付けています。これからキムチを作るんだとか。“白菜ランドセル”が板に付いた姿、お見事です。

街の「ミカン農家のおじいさん」

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 ミカン畑が広がっているチェジュの郊外。このあたりには古いチェジュ独特の街並みが今も残っているとか。市街地から歩いて40分、石積みの路地が現れました。なんとも壮観です。路地をさらに進むと、石積みの周りを掃除しているおじいさんに出会います。石積みについて尋ねると、かつてチェジュでは家も塀もすべて石積みで作ったとのこと。火山島であるチェジュは、地下はどこも石だらけ、火山岩は最も身近で安価な建材だったそうです。どうして石積みの塀は隙間だらけなの?と質問してみると、「これは風の通り道、くっつけちゃったら風がまともに当たって塀が倒れてしまうんだ。くっつけちゃだめだよ」とおじいさんは教えてくれました。石積みの塀の内側はおじいさんのミカン畑だといいます。残念ながら収穫はすでに終わっていましたが、倉庫に一箱分だけミカンが取り分けてありました。サイズが大きいと売り物にならないため、家族用に残しているのだとか。
 そうこうするうちに、おじいさん、「うちの家族見るか?」と家の中に案内してくれました。部屋の真ん中に20人以上が写っている、大きな家族写真が飾られています。写っている一人ひとりを大きな声で紹介してくれました。「収穫のときにはみんな手伝いに来るんだ」とうれしそうです。そして、「ミカンの木があったから子どもたちを大学にやれたんだ」と感慨深げ。なんでも、チェジュでは昔から「ミカンの木が3本あると子どもを大学にやれる」と言われてきたんだとか。“ミカンの木は子育ての木”だったんですね。

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