“城マスター”千田嘉博先生がCGで復元!竹田城の姿とは!?

絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城「竹田城」

3月4日(金)[BSプレミアム・BS4K]後10:00

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雲海にそびえる山頂の石垣が、幻想的な光景を生み出すことで知られる山城「竹田城」。全国各地の名城の秘密を解き明かすシリーズ「絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城」の3月4日放送回では、“城マスター”こと城郭考古学者の千田嘉博先生が現地調査を行い、知られざるその姿をCGで復元していきます!
しかも、その過程で、城の壮大な仕掛け、意外な人物の天下を巡る戦略が浮かび上がっていくのです。

今回も、千田先生に、番組の見どころとともに、険しい山城を歩くのに欠かせないグッズを教えてもらいました!

雲海の中に浮かび上がる竹田城の石垣。この上に建っていた建物が復元CGで明らかに!

日本のマチュピチュ・竹田城

──「竹田城」はどんなお城ですか?

竹田城は「天空の城」として大人気の山城です。高い山の上にあって、秋や冬の朝、ふもとに霧が立ち込めると、城がまるで雲海に浮かぶように見えます。途中まではバスがありますが、最後は歩いて登ります。
城には今は石垣だけが残り、建物はすべて失われています。このように、天守や建物がないのにこれだけの人気を得ることに成功している竹田城は、全国の建物を失った城にとって、これからどのように城を保存し活用していくのか、そのよいお手本になる城だと考えています。

南千畳敷の石垣。ここからは陶磁器が出土しており、かつて生活スペースとして使用されていたと考えられる。

──竹田城をCGで復元すると聞いて、どう思われましたか?

たいへん驚きました。
竹田城といえば残された石垣の見事さで人気を博している城ですが、もちろん築城時は天守、やぐら、御殿といった建物がありました。CGによる復元で当時の姿を視覚化できれば、竹田城の新しい魅力を多くの人に知ってもらうとてもいいチャンスになるのではないかと思いました。

千田先生は、現地調査とともに、自身の知識と経験をもとにして、竹田城のCG復元に挑む。

──調査を進める中で、新たに分かったことや、改めて感心されたことなどは?

今回、復元CGを制作するために、これまでの発掘調査の成果や現地に残る手がかり、そして同時代のほかの城との比較から、ここにはこういう建物があったであろうと考えていきました。今は石垣しかない竹田城ですが、丁寧に観察するとどこにどんな建物があったのかを考える手がかりがたくさん残されていました。
例えば、建物の柱を立てたことがわかる「礎石」などです。すると、これまで石垣の形でわかっていた守りの工夫が、建物と組み合わせることでさらに威力を発揮していたことがよく分かったんです。改めて竹田城のすごさが、復元の中で見えてきました。
また、同じ石垣でも場所によって全然積み方が違っていたり、意図的に非常に大きな石を使っていたりしているところがありました。そこにどんな建物があったのかを考えていく中で、竹田城がどういう意図をもって造られていたのかということを読み解くことができました。これまで気づかなかった築城者の意図を示す手がかりが、こんなにあったのかと驚きました。

竹田城のCG復元のため、千田先生は改めて現地調査を重ねた。
南二の丸南千畳敷。石の積み方や使われている石の大きさから、上に建っていた建物を推測していく。

CG復元とともに、3つの謎も解明!

──今回も、竹田城にまつわる3つの謎が解明されていきますが、それぞれの見どころポイントを教えてください。

今回の番組をご覧いただく多くのみなさんも、いろんな遺跡や城を復元したCGをご覧になったことがあると思います。どうしてこのように当時の建物がわかったのかと、疑問に感じられた人も少なくないでしょう。今回の番組では、建物がこういうふうに建っていただろうという結論や結果だけをお見せするのではなく、そのプロセスを丁寧にご覧いただけるというのが大きな見どころだと思います。

例えば、1つ目の謎「城の最初の門はどこにあったのか」については、残された石垣を見ただけではなかなかわかりません。しかし、最新の発掘の成果を分析することで、門が立っていたのはここだという場所を発見して復元していきました。その様子をぜひ、一緒にワクワクしながらご覧いただきたいと思います。

城の正面玄関「大手門」はどんな建物だったのか?

また、城内の道が意図的に2つに分かれていたことも、今回の復元でわかった大きな発見でした。2つ目の謎「礎石が多く残る二の丸はどんな空間だったのか?」という謎を追求する中で、本丸や二の丸などの城の中心部分が独特の役割を果たしていたことがわかってきます。戦乱の世から江戸時代にかけて日本の城が大きく変わっていく真っただ中で、竹田城がどんな役割や意味を持っていたのかということを、一緒に読み解いていけたらと思います。

そして、そういった復元を重ねていくと、竹田城の築城の背景には非常に大きな力が働いていたことがわかってきます。ある人物の非常に大きな意図のもとに造られた、特別な城だったということが見えてきます。それは一体誰だったのか。そしてなぜあれほど見事な山城、当時の最先端の技術を駆使した城が、あの場所にできたのか。第3の謎「城主の背後にいる人物は誰か」では、お城から歴史を考えるという読み解きのスリリングな過程も楽しんでいただきたいと思います。

発掘調査で出土した瓦の中には、菊紋瓦も。これが意味するのは…?

──完成した復元CGをご覧になったときのご感想は?

本当に感動しました。
竹田城は石垣だけでもすばらしい城でしたが、実際に建物、特に天守などの中心部、それぞれの場所にあった櫓、さらには複雑な形の出入り口、それとセットになっていた当時の門などが復元されることで、城の持っていた意味があらためてわかってきたという思いを強くしました。そして、いかに当時の最先端の城として造られていたのかということも、CGを見て考えることができました。今回の復元CGの制作が、竹田城の歴史的な位置づけを変える発見につながりました。
もう一つ、感銘を受けたのは、城下から見上げた竹田城がどう見えるか、峠から見るとどう見えるか、400年前の人が竹田城を見てどう感じたかを追体験できたことです。番組を通じてその感動を多くの方と共有したいと思います。

天守が建っていた天守台。どんな形をした天守がそびえていたのだろうか?
作成途中の中心部・本丸のCG画像。完成形は、ぜひ本編で確かめてください!

──視聴者の皆さんへ、メッセージをお願いします!

今回の番組は、すべての建物を失っていた竹田城の建物を復元してCGにするという壮大な取り組みでした。竹田城のイメージを一新する番組になったと思います。
現在、全国で江戸時代までの天守が残っているのは12。江戸時代になる前にできた天守や建物はほとんど残っていません。いま私たちが城を訪ねても、わずかに残った石垣や堀の跡が見られるだけという城が大部分です。番組をご覧いただく皆さんの近くにも、そういった城が多いと思います。そのような城であっても、今回の番組を通じて城の復元の楽しさに気づいていただき、建物がこんなふうに建っていたかもしれないというイメージを持ってあらためて歩いていただくと、城を見る楽しみがさらに広がると思います。絶対見逃せない番組になっています。

連載コラム「教えて!千田先生」
“城歩きのコツ” その13

トレッキングポールで、楽々城歩き♪

トレッキングポールとは、登山用の杖で“ストック”と呼ばれることもあります。竹田城のような山城を楽しむには、起伏のある比較的長い道のりを歩くことになります。高い石段などの高低差も体の負担になることが多いです。そんなときにトレッキングポールがあれば、上り下りが楽になり、より安全に城歩きを楽しむことができます。ただ、1つ気をつけていただきたいのが、ポールの先端です。先端が鋭くとがっているものは、道に穴を開けたり、石段や石垣を傷つけたりする原因になります。このようなことのないように、先端にゴムなどが装着されているポールを使っていただきたいと思います。

トレッキングポールを使って、急な石段を登る千田先生。

絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城「竹田城」

【放送予定】3月4日(金)[BSプレミアム・BS4K]後10:00

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