“世界のクロサワ”2作品を放送!

2月のオススメ作品【渡辺祥子のシネマ温故知新】

寒さも今月が頂点の2月は黒澤 明監督映画が2本。シェークスピアの『マクベス』を原作にして“最高のシェークスピア映画”と評判の「蜘蛛巣城」(1957)と、もう1本はベネチア国際映画祭銀獅子賞受賞の「七人の侍」(1954)がお楽しみ。

プレミアムシネマ「七人の侍」

2月3日(土)[BS]午後9:00〜翌午前0:28

こちら「七人の侍」を基に、ジョン・スタージェスが監督したリメイク作「荒野の七人」(1960)が生まれ、1980年にはジミー・T・ムラカミ監督の「宇宙の7人」、2016年にはアントワン・フークア監督の「マグニフィセント・セブン」が誕生、といった具合で海外でも大人気だ。「七人の侍」には町を歩く浪人姿で、まだ俳優座養成所で学んでいた時代の仲代達矢がチラリと登場する。ただ歩いて通り過ぎるだけだったが黒澤監督は繰り返しダメ出しをして、撮影は朝から始まったのにOKが出たのは午後の3時ごろになっていたそうだ。その仲代が「用心棒」(1961)への出演が決まった時、黒澤監督は“あのときのことを覚えていたから起用を決めた”と言っている。

プレミアムシネマ「蜘蛛巣城」

2月6日(火)[BS]午後1:00〜2:51

1950年に「羅生門」を公開した黒澤監督は、シェークスピアの『マクベス』を日本の戦国時代に置き換えて映画化したいと思っていたが、当時オーソン・ウェルズが『マクベス』の映画化を進めていたことを知り気持ちが変わったそう。それ以前の1949年に木下惠介監督から阪東妻三郎主演作の企画を考えてほしいと頼まれたとき、黒澤は『マクベス』を戦国時代に置き換えた話を提案したことがあるという。当時の彼は、“ぼくが『マクベス』をやりたいと思ったのは、ドラマをやるなら一度はシェークスピアをやってみようと思っていたから。あんなドラマは日本にないから”と言ったそうだ。

1956年のはじめ、東宝と3本の契約があった黒澤は監督としてではなく、プロデューサーとして作品を作るつもりで小国英雄、菊島隆三、橋本 忍と共に脚本を書き、その1作目として「蜘蛛巣城」が誕生した。スケールが大きく製作費がかかる、ということから東宝は黒澤自身で監督することを要求。その結果、彼の監督が決まり、残る2作「隠し砦の三悪人」(1958)「用心棒」(1961)も黒澤の監督作になった。

「蜘蛛巣城」ではなんといっても三船敏郎演じる鷲津武時(マクベス)が次々と矢を射掛けられるシーンがあまりに有名だが、この矢は実際に射掛けられていたそう。三船自身に突き刺さる矢は大学の弓道部員が彼から数メートル離れた場所にある板に射込み、これを望遠レンズで横から撮ることでまるで本当に矢が突き刺さるように見えた、という特撮。それでも無数の矢をバラバラと射こまれる三船は、“このときは怖かった。あとで(監督を)殺してやると思った”と言っている。
『マクベス』では、昨年、天海祐希が主役のマクベス夫人役を演じた舞台『レイディマクベス』が評判を呼んだほどマクベス夫人が主役になってもおかしくない重要な役。山田五十鈴が演じる浅茅(マクベス夫人)が、水で手をとめどなく洗い続けるシーンは山田が自身で考案、黒澤監督は“このカットほど満足したカットはない”と言ったそうだ。

毎年2月は、1月のアカデミー賞の候補作の発表を受け、授賞式(今年は、日本時間:3月11日)を待っている時期。そのアカデミー賞の第62回授賞式(1990年3月26日)で黒澤明監督は名誉賞を受賞した。


渡辺祥子

【コラム執筆者】
渡辺祥子(わたなべ・さちこ)さん

共立女子大学文芸学部にて映画を中心とした芸術を専攻。卒業後は「映画ストーリー」編集部を経て、映画ライターに。現在フリーの映画評論家として、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ等で活躍。映画関係者のインタビュー、取材なども多い。また映画にとどまらずブロードウェイの舞台やバレエなどにも造詣が深い。著書に「食欲的映画生活術」、「ハリウッド・スキャンダル」(共著)、「スクリーンの悪女」(監修)、「映画とたべもの」ほか。

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