これまでの街歩き

長崎スペシャル/ 日本

2017年1月31日(火) 初回放送

語り:さだまさし

撮影時期:2016年10月

世界地図

地図

場所

 九州を代表する港街・長崎市。人口およそ43万。江戸時代には幕府公認の唯一の国際貿易港が置かれ、当時からオランダや中国をはじめとした外国文化が次々と入ってきました。日本と西洋と中国の文化が混ざり合った独自の街並みが、港をとり囲むように連なる山の斜面に広がります。
 第2次世界大戦では、長崎に原爆が投下され、4割近い建物が焼失・全壊するという甚大な被害を受けました。戦後70年あまり、人々は伝統の保全と継承に懸命に取り組み続け、現在は、国内外から年間650万人を超える観光客が訪れる一大観光都市です。
 2015年には、旧グラバー住宅や造船ドック跡などが「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録され、「日本の近代化を支えた街」として、さらに注目が高まっています。

Information

長崎の“和華蘭(わからん)”文化

 江戸時代、日本の貿易の拠点だった長崎。この地で生まれた「和華蘭文化」を長崎の芸子さんがご案内します。
 「和」は日本、「華」は中国、「蘭」はオランダのこと。鎖国時代、オランダと中国だけが、幕府から貿易を認められていました。その結果、長崎には当時非常に貴重だった砂糖やガラス細工など、多くの外国製品が入ってきました。
 中国とオランダと日本の文化が混ざった「和華蘭文化」は、380年以上の歴史をもつ秋の大祭「長崎くんち」で味わうことができます。地元伝統の秋祭りの催しもの、オランダ人をモチーフにした踊り、中国伝来の「龍(じゃ)踊り」。3つの国の文化が混ざり合ったエキゾチックなお祭りに発展しています。ぜひ、皆さんも「和華蘭文化」を味わいにきてください!

日本の近代化を支えた長崎

 長崎は、幕末から近代にかけて大きく発展を遂げました。幕末、風雲児・坂本龍馬は同志とともに、長崎で、長日本初のカンパニー「亀山社中」を立ち上げました。ある老舗の料亭には、龍馬が酔っ払って柱につけたといわれる刀傷が今も残っています。
 龍馬の死後、長崎では、彼の意思を受け継いだ同志によって造船業など重工業が花開き、日本の近代産業を大きく支えました。しかし、第2次世界大戦下の1945年8月9日、日本の軍事拠点の一つだった長崎に原爆が投下されます。戦後70年あまり、今や見事に復興を遂げた長崎は、平和を語り継ぐ祈りの街として、歩み続けています。

食べ歩きグルメ

街歩きしながら手軽に楽しめるご当地の味を、厳選してご紹介!

日本の海の玄関口として発展した、長崎ならではのユニークなおやつを、観光ボランティアガイドを務める、現役大学生の優理さんと綾香さんがご紹介します。

びわゼリー

長崎は、びわの生産量日本一。びわの種は、江戸時代、中国から伝わったのだとか。びわを“丸ごと”味わえる「びわゼリー」。なんと種も食べられるんです。種に砂糖を加え煮詰めること10時間!柔らかくって黒豆みたい!果肉と種、ちょっぴり違う食感のコンビネーションをお楽しみください。

ハトシ(蝦吐司)

ハトシ(蝦吐司)とは中国伝来の料理。中国語で、ハトシの「ハ(蝦)」は海老、「トシ(吐司)」はパンのトーストのこと。パンに海老のすり身を挟んで蒸したものを揚げます。長崎発祥の「卓袱(しっぽく)料理」(“日本風”中国料理)の一品でした。今では街じゅうで手軽に食べられるスナックとして愛されています。

ミルクセーキ

「ミルクセーキ」と聞くと飲み物をイメージしますよね。でも長崎の「ミルクセーキ」は食べ物なんです。卵に、たっぷりの砂糖と練乳、さらに。かき氷を加えて混ぜます。大正時代、イギリスのカクテルをヒントに考案されたんだそう。甘いものが大好きな長崎の人にとって、喫茶店の定番メニューです。

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