これまでの街歩き

プサン/ 韓国

2005年12月13日(火) 初回放送

語り:松田洋治

撮影時期:2005年11月

街の「占い屋さん」

Photo

ヨンド大橋を渡ってすぐのところに、海沿いの道に出られる階段を発見。そこを降りてみると、お店のような看板がたくさん出ていました。掃除をしているおばさんに訊(き)いてみると、占いをする家だということ。そのおばさん、実は占い師さんでした。運勢を占ってもらうと、幸せな家庭が築けるなど、いいことばかり。別れ際、なぜ港に占い屋さんがあるのか尋ねてみると、その始まりは朝鮮戦争の頃、当時橋のたもとには避難民が大勢暮らしていて、自分の運勢を知りたがった、それで占いが始まったのだと教えてくれました。日常の中に、歴史が隠されていることを感じた瞬間でした。

街の「キムチ」

Photo

韓国と言えばキムチ。プサンの街歩きでも、キムチとの出会いが数多くありました。ヨンド大橋ですれちがったリヤカーの中には、大根、白菜など、キムチの材料が。山の中腹でお邪魔した家では、唐辛子、大根、白菜を家庭菜園で育てていました。そのお宅では、クリスマスの時期が来ると漬け込むのだそうです。
そして画像は、プピョンドン(富平洞)市場にあるキムチ屋さん。唐辛子をたっぷりとかけて、豪快に混ぜ合わせていました。ほんと、おいしそ~。

街の「階段」

Photo

プサンの街には、四十階段、五十階段、七十階段という名前の階段があります。これは、日本による植民地支配の時代に、日本人が作ったものです。中でも有名なのが四十階段。この階段には、もうひとつの歴史が刻まれています。朝鮮戦争の頃、四十階段の上の方にはバラックが建ち並び、避難民が暮らしていました。人々は四十階段をおりて港に働きにでかけ、夕方階段を上って帰っていきました。時には階段の途中に座り、帰れない故郷を思って歌を歌ったといいます。
それぞれの時代を生きた人々の歩み、四十階段はそうした人々の足取りを受け止めて来たのです。

※NHKサイトを離れます
ページトップ